おなじような性のお悩みが「発見」されるとめちゃくちゃ安心するよね
ある日の別に深くもない夜、
とあるクリップがインターネット上を飛び回った。
長時間配信なのでちょっと脈絡はわからないのだけれど、いかにも装備見てます、みたいな画面なので待ち時間とかなのだろう。タイミングはよくわからないが、この切り抜かれたものだけを見てとりあえず「かなかな?!」にはなった(別視点をみていた)
ただ、ぼくはこれにめちゃくちゃ救われてしまった。
ぼくがまさにこれだからだ。
これはインターネットでもしている話なのだけれど、ぼくはとにかく疲れると
▶︎食欲:0
▶︎睡眠欲:0
▶︎性欲:無限
になることがある。パラメーターがバグる。無限性欲編が始まる。
この向こう側にはうつ状態が待っているのだ。ということをわかっているので、今更不安になったりコンプレックスになったりはしない。友人には「体が死を察知しているから遺伝子を残そうとしてるんだ」といわれてなんだか納得した。
だけれど、性のちょっとしたお悩みや自分の特性は、他の人も思っているのだと知ると途端に安心する。これはなんなんだろうか。
普段言わないし、人に言えるものでもない、だからこそ比べられるものでもない。自分がたとえヘンだったとしても、そういう事実があるだけだ、と受け止めるしかない。なのに、「そうか、そういう人はほかにいるのか」と思えるだけで嘘みたいに安心する。ぼくはこの突如始まった叶先生の下ネタ雑談クリップに心底安心した。
比べられないから受け止めるしかないのはそうなんだけど、比べられないからこそ自分の苦しみに気づいてやれないというパターンがある。
これももうインターネットに書いている話なんだけど、中学か高校くらいのとき、(いまおもえば)性欲がつよすぎてどうしていいかわからず、壁に頭をぶつけていたりしていた。発散の仕方がよくわからなかったのだ。
(健全だよな、ある意味では)
ぼくはまあ体も変化する時期だし、そういうものだ、と思っていたのだけれど、今になって結構それは辛いことだったんじゃないか、ということに気づき始めたのだ。壁に頭をぶつけたりはしなかったらしい、みんな。そうなんだ。
おまえ、それつらかっただろうよ、と大人になったぼくから声をかけてあげたい。救ってあげたい。
だから、書ける範囲でそういう話はインターネットに載せていきたいのだ。
きっとあなたは、一人じゃない。
そう知ったところで何があるのかと言われたら何もなく、解決や解消は己の力で行うほかない。ただ、解決したほうがいいことかもしれないというのは気づくことができる。
人生の歯車が上手いこと噛み合わず、実名でものを書いている性質上、書く内容に限度がある。インターネットにかけない話が自分の人生の中に5〜6トピックあるのだが、そのうちの多くは性にまつわる話だ。それはそう。だから、言える人がいえる話をしていくっていうのは大事なことだと思う。
誰もが安全に、性のお悩みを話せるプラットフォームがあればいいのにとおもうのよね。それを叶えられるのって、インターネットだと思うの。顔が見えないからこそいえることはこの世界にたくさんある。
ただ、性の話は自分の意図とは違う方向に消費される可能性が非常に高いというか、だいたいそういう「使われ方」をする。
叶さんのクリップに関しても、こっちより「朝勃ちってダルい」というほうがめちゃくちゃ出回ってしまっていた。なんというか、性の視点を感じざるをえない。ぼくは普通に「男性器って存在マジでめんどくさそう」と思った。うざすぎんかそんなの。もう「自分」の範疇超えてるじゃんね。
だから全く安全なプラットフォームは、顔が見えないからこそ成り立たせることができなくて、自分で小さなコミュニティを作っていくしかないんだよな。そういうなかで、露出とその覚悟がある人間がちょろっとそういう話をしていくことにはめちゃくちゃ意味があるなあと思った、そんな話。
したいひと、できるひとがやっていけばいいし、聞きたい人が聞いて、探したい人が探しやすい世界になりますように。
いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。