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【夏休みの自由研究】FPSゲームの画面構成ってなんか似てない?
仮説と知りたかったこと
日本で親しまれているFPSゲームタイトルの画面構成が似ている気がする。なにかエポック的なタイトルがあるのではないか?
FPSゲームの歴史が知りたい。
軍需や銃犯罪との関係性は本当にあるのか?
それと同時に、FPS産業を盛り上げる時に戦争を否定する視点を忘れたくない。そもそもFPSゲームってなんだったんだ?
自分はなんでそんなにValorantの競技シーンに魅せられているのだ?
結論
エポック的なタイトルはないが、一つの臨界点として『Counter Strike』はあげても良いと思う。
そもそも人を殺すゲームではなかった。
対人要素を含めていくと自然と人を殺すことになる。
アメリカにおける若者の銃犯罪は減っていて、銃犯罪の要因としてスケープゴートにされがち。(考え方の違い)
Valorantは競技を前提にして作られているから競技とプロモーションがセットになっている。そりゃハマるに決まっている。
前提
僕はFPSゲームをプレイしたことがないです。
感想てんこ盛りの、小学生の自由研究くらいに思ってください。
画面構成について
GTAの配信とヴァロラントの世界大会を複窓していた時のことだった。
GTAの大型犯罪中、警察視点でめちゃくちゃ撃っているのにキルログが出ないなあ〜と思った。出るわけがない。
そのときに、出るはずもないキルログを右上に求めていたのだ。
たしかに、よく見るFPSゲームってキルログが右上に出るかも。
なにか理由とか流行りがあるのだろうか?
ここが調べものの起点だった。
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ウィキペディア等を参考に、ヒットタイトルやヒットシリーズを中心にプレイ動画を探して検証してみた。
結論から言うと、必ずしも同じような構成をしていたり、どこか確実に型が決まったタイミングがあるわけではなさそうだった。が、いくつかのことがわかった。
・残弾数が表示されないゲームはほとんどない。
→現代のFPSの始祖とされる『catacomb3D』は一人称の設定が「大魔法使い」なので指から攻撃物質が出るため、残弾数という概念がない。
(ちなみに体力が主人公の顔の肉の量で表されていて面白かった。体力がゲージでも数字でもないのはこれだけだった。)
・体力ゲージは左側が多い
→どのゲームにも必要な概念のため、同じような配置になっていったのかもしれない。
・武器表示は体力にくっついているゲームと残弾数にくっついているゲームが多い。
2010年代ゲームはほとんど残弾数にくっついているイメージ。
→たとえば『OverWatch』に大きな影響を与えた『Team Fortress2』は、キャラクターごとのスキルという概念が初登場。使用キャラクター・使用武器・体力がセットとして考えられていて、ゲームの性質が出やすいポイントかも。
・画面構成はゲームが何を目的としているのかを表す
総じてそのゲームが重要視するものが「ポイント」なのか「相手を倒した数」なのか「生き残っていること」なのかによって配置やサイズに影響がありそう。90年代タイトルのなかには「プレイヤーはあまり被弾しない」ことが前提にあるものもあった。
デザインやUIの基本のキを見た気がする。
・ただし確かにキルログは右上がち。
→唯一の左上『Battle Field』(ヨーロッパ産)はとにかく全ての配置が米国産ゲームの逆だった。プライドバトルなのかなと個人的には感じた。
→FORTNITEは(三人称ですが)なんでだろうね(投げ出し)
・キルログの出るゲームは、キルログ初出の『Counter Strike』が下敷きになっているように感じる。
そして『AVA』以降、ゲームの画面を構成する情報はほとんど同じで
●体力
●キルログ
●所持武器情報
●残弾数
●ミニマップ
で、そのサイズや配置にゲームの趣旨と個性が出る
※AVAのあたりで欧米産FPSは何してるんですかって話なのですが、『Halo』『DOOM』『CoD』『Battle Field』などのヒットタイトルのシリーズ展開を行なっていました。その潮流は今でも続いている。シンプルに韓国はすげえよ。
※CoDのシリーズごとの画面構成を調べようと思ったのですが、普通にゲームとしてみていて気分が悪いので見るのをやめました。
FPSゲームの歴史-銃社会への影響
大偏見「FPSゲームと銃犯罪には相関がある」
カリフォルニア州に留学していた時、銃社会問題について話があがったことがある。日本はなぜ銃社会じゃないのか?と純粋に聞かれるくらい、銃が当たり前で身近で、カリフォルニア州民にとっては「脅威」であった。
そして、ゲーム会社と武器産業には関係がある、と発言した学生がいた。
へえ、そうなんだ、と当時は思ったが、それはそういう考え方の一つでしかなかった。
銃に関する犯罪とFPSゲームのプレイ歴に相関があるとするのはゲームをスケープゴートにした考え方にすぎず、銃犯罪の件数は減っているというデータもあるらしい。たしかに、ゲームが犯罪と直結していたら「図書館戦争」みたいな未来は避けられない。
一方でアメリカ空軍がプロゲーミングチーム”Cloud9”の『CS:GO』部門にスポンサードするという事象があったように、軍がPRとしてゲームを利用する側面もあるようだ。
それに、ゲーム内に実在の武器が出てくる以上、”商品”のプロモーションであることは否定できない。
相関が「ある」とは言えないけれど、ないとも言い切れない。
ぼくはやっぱり、FPSを見るときに「不快だな」と思う気持ちは忘れたくないし、日本に生まれた者としては戦争を否定する気持ちをセットで持っていたいなと思う。
FPSゲームの歴史-だってそもそも魔法使いだったじゃん
FPSゲームの始祖とされている『Catacomb 3D』は、プレイヤーは魔法使いとしてカタコンベのなかのゾンビやクリーチャーを倒していくゲームだった。その後もリリースされるゲームは宇宙船からの脱出とか、火星にいる生き物との戦いとかそういうコンセプトのものが多い。
三大FPSゲームとされるタイトルのコンセプトは以下だ。
『Quake』:時代を超えて未来からやってきた宇宙人との戦い
『Unreal』:とある惑星での宇宙人との戦い
『Half-Life』:特異物質の研究施設にてエイリアンとの戦い
初めて競技として採用され、銃の犯罪との関連を疑われた『DOOM』の無印でさえ、プレイヤーは宇宙海兵隊員として宇宙人と戦うものだった。
リアルなFPSのきっかけとなったのは1998年リリース『Delta Force』らしく、アメリカ軍に実在する特殊作戦部隊をモデルにしている。たしかに動画をみていてめちゃくちゃ嫌な気分になった。人を殺しているという手応えがかなりある。
『Delta Force』のヒットはタクティカルシューターというサブジャンルの発展に寄与した上に、その後に続くバトルフィールドやCoD、タルコフなどの「リアルFPS」の発展も導いていく。技術と文化の発展の起爆剤となることは好ましいが、ここでなぜ「実在の部隊の一員になる」という設定を採用したのか、やっぱりちょっと、ひっかかる。
そして今回一つの臨界点のようなもの、と感じた『counter strike』はもともと『Half-Life』のMODだったわけだが、『Half-Life』よりリアルなタクティカルシューターゲームとして大ヒットを果たした。リアルさを求めてMODを作った人がいて、そこに商機があったということだ。
だからやっぱり、銃社会との相関が「ない」とはいえず、むしろ「ある」寄りだと考える。はっきりとした相関があることについては誤解だった。
『Valorant』の異質さ
最後の知りたかったこと「なぜこんなにValorantに魅せられているのか」については序盤にはっきりとわかった。
Valorant自体が競技を意識して作られたFPSだからだ。
普通にRiot Gamesの戦略に乗せられてまんまと楽しんでいるだけだった!(笑)
すごくポリコレを気にして作られているゲームだなというのはゲームを知った時から感じていた。流血表現もすくなく、銃もオリジナルで、スキルがゲームの鍵を握るあたりもとてもスポーツらしい。
コンソール版がリリースされてもクロスプレイは断固受け入れず、なんというか全体的に「マイルドでわかりやすゲームだな」と思っていた。
ゲームが人生になかったぼくにとってもわかりやすくて入り込みやすい要素が多くて(シンプルにキャラデザが好きだったんだけど)とにかくスポーツらしさがある。
似たようなタクティカルシューターのタイトルに『OverWatch』があるが、OWにくらべてパーティー全員がシューティングによる責任が重い。そしていままでのFPSゲームよりスキルとロールによる役割の差が大きい(さすが『League of Legends』を作っている会社だなとおもいます)。その絶妙なバランスが、ここまで魅力的なゲームにしているのかな、と思う。
あと普通に個人的な話、リアルFPSはみていて気分がどうも悪いので、ゲームとして楽しめるからというのが一番大きいです。
好きなキャラはキルジョイ、かわいいから。
恋愛相談に乗ってもらいたいのはセージ。意外と強気そう。
顔が好きなのはアイソ。
もろもろ余談
・GTAIIIの胸糞ミッション
去年のGTAOがリリースされた時、うわ、アメリカって戦争するんだこれ、と思った記憶があるので、今回GTAも調査対象にしてみた。3DとなったGTAIIIの動画を探していたら、胸糞悪いミッションという動画にぶちあたり、みてみたら本当に胸糞がわるかった。ただ、GTAの悪いところだけを煮詰めたといったらそれまでのような気がする。III当時のグラフィックならまだリアルさがないからファンタジーとしておもろかった。おれは〜GTAの胸糞悪さは全体的に好きです。
・カルチャーの方向性は世界中で似ているところがある
『APEX Legends』 『OverWatch』 『Valorant』 『FORTNITE』
この4タイトルの共通点はなにか、そう、キャラクターのバリエーションが多いことだ。
ぼくはこういう商法を「ヒプノシスマイク戦法」と個人的に呼んでいる。
待って怒らないで落ち着いてきいて!!!!!
単に「入口が多い」という意味だ。
『鬼滅の刃』の柱、『チェンソーマン』の毎週違うED、『ヒプノシスマイク』に至っては登場する声優陣と楽曲提供者、そしてメディア展開のバリエーションが激しい。
入口がなんであれ、コンテンツの本質にたどり着くという意味で、この4タイトルは非常に2020年代カルチャーっぽいな、と思う。
キャラクターが多ければそれだけ関わる人間が増える。
キャラクターデザイン、キャラクターボイス、グッズ展開、コスプレイヤー、ファンアート…それだけ入口が増えるということで、入口が多ければ入ってくる人数は単純に増えていく。
カルチャーを大きくしていくのにはお金と人という資本が必要で、それを増やすためにとった手段として面白いなと思うのである。そしてまんまとそこにハマっている。
Valorantのウィングマンのぬいぐるみがほしい。
・出会いは低感度
そもそもFPSゲームを見ることが苦手だった。本当に偶然好きになったVtuberがFPSゲーマーで、偶然彼のマウス感度設定が極低だったためにゲームの観戦にハマっていった。
今回色々な動画をみたがCoD過去作の4K版とかグラフィックいいし感度高くてぬるぬる動くしでちょっと気持ち悪くなってしまった。が、いま配信者界隈を支え競技チームのオーナーとなっている人たちはCoD出身者が多いらしい。
閑話休題
たとえば『Dead by Daylight』はカルチャーのクロスオーバーが面白くてたまに実況動画とかみていたのだけれど、キラー側が一人称でそれすら酔ってしまってみていなかった。そんなぼくがここまで興味をもち、競技シーンという新しい文化にまで出会わせてくれてありがとう、ローレン・イロアス。
・すべてがインターネット上にある
まずはネットで下調べして、面白い文献が出てきたら図書館にでも行こう、と思っていたのですが、7類どころか普通に全てがインターネットにありました。学術論文もちょいちょい出てきているけれど、たかが30年くらいの文化。(実は正直もうちょっと歴史が長いと思っていた)まだまだ研究対象という感じではなさそうだった。
そのかわり、本当にすべてがインターネット上にあってすごかった。
わけあって過去のゲームタイトルの大会成績とかを探したりもしたのだけど、サービス終了していると公式データがなかったりするのね。でも個人のブログのようなものにことこまかく戦績やクランメンバーが残っていたりする。個人ブログの勝ち!これはインターネットそのものだな、と思った。
有識者の方へ
そもそも発端として「画面構成には理論値があるのではないか」みたいな仮説があったのですが、プレイをしていないので「見やすい・見やすくない」みたいな観点がすっぽり抜けています。
また、さまざまな観点からの研究結果などで面白いものがあれば是非コメントで教えてください。
noteは性質上、コメントに返信することができないので、教えてくれてありがとう、はハートをポチにて替えさせていただきます。
おわり!ひと夏の自由研究でした。
参考にしたもの
(ウィキペディアの各タイトルのリンク含む)
+
各ゲームのプレイング画面on YouTube
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