授業と演劇の似ているところ
教育実習のための授業で、初めてしっかりと学習指導案を書かされた。というか、書いた。
学習指導案というのは、授業のこのタイミングでこんなことするよーっていう、いわばシナリオみたいなものだ。
先生からオッケーが出ると、模擬授業をすることができるのだが、20人くらいいるクラスで最後から3番目くらいに模擬授業が決まった。それまで先生からボロクソに言われて結構凹んだ。
そんな凹んでいる折、すでに教育実習を実際に終えた友人に「脚本は書けるけど指導案は書けないんだよね〜」と愚痴をこぼしたら、彼女は「でも授業するって演出するってことと似てないの?」と言われた。
ハッとした。
似ているというか、ほぼ同じだ。
教育って結構虚像だと思う。実際にはそうでないことも教えたりするし、意外と現実とは離れていたりする。演劇も虚像だ。ないものをあるとできる。
それに何より「伝えたいことを伝える」という意味では全く同じだ。
そんな言葉をもらったあと、他の人の模擬授業のあとに先生が「もっとクラスを巻き込んだ授業をしなくちゃ子供が飽きるよ!」とコメントをした。
そこでもハッとした。
私は授業に「巻き込まれる」のが嫌だった。指されたりとか、立ち上がってペアを見つけるとか、机をうごかしてグループワークとか、本当に嫌だった。先生が「英語ってこういうところが面白いんだよ〜」って話を聞くのが一番楽しかった。面白いと思ったら「へえ〜面白い」ってノートの端にコメントを書いた。こういうのを授業だと思っていた。聞いて、取り入れて、自分の世界を豊かにすること。
これは私が好きな演劇のスタイルに似ている。
私は、第四の壁がめちゃくちゃ硬い。特に物理的なもの。壊れていたり、壊されたりするのが怖い。だからお客さんに振ったり、客席に降りたりする演出だけは絶対にしないで、とそれだけは演出家にお願いしている。
しかし最近、そういうエンタメ及びアートは多い。
これは勝手な考察なのですが、読書離れと関係があるのかな、と思っています。まあこの話はまた今度。
壁の向こう側で起こっていることを、窓の外からそっと覗いて、自分の中に取り込んで、育てる。それが楽しいのだ。それで心が豊かになっているのだ。とにかく私は、こっちが自分の世界を構築するテンポを崩されるのがいやだし、怖い。
授業も演劇も、同じ「表現」なんだなあと、思います。
プロデューサーは、文部科学省。
制作は学校。
脚本は教科書。
お客さんは児童生徒で、
演出は私。