大声を出すのを我慢したスーパーアリーナで、大声で歌った
2021年10月23日
ぼくはさいたまスーパーアリーナにいた。
最初で最後の、推しのコンサートを見にきていた。
推しはあと1週間で解散する。
うちわを持って会場前で写真を撮るのも、ペンライトを振るのも、全部憧れだった。最後だとわかっていたから、できることは全部やった。
一方で、ここで感染者が出たら終わる、
マナーを破った人が出たら全てが終わる、そういう緊張感があった。
高級なフェイスシールドも購入した。
フェイスシールドをつけていないとファンサを干されるというめちゃくちゃな都市伝説まであった。
推したちが面白いことを言っても笑えないし、
みんなで歌う曲も歌えないし、
掛け声がある曲も声が出せない。
アンコールも呼べない。
そんなのあんまりだ。
あんまりだけど、みんなが健康で明日も生きていくためには必要なことだった。そして何より、推したちが最後まで駆け抜けるために必要なことで、オタクは意地とプライドをかけて押し黙った。一生分の拍手をした。手首から先がとれるほどペンライトを振った。
名前を、呼びたかった。
あれから1年半くらいがたった。
ぼくはまたさいたまスーパーアリーナのスタンドにいた。
1年半前の席とちょうど反対側の席にいた。
隣の母に「あのへん、あのへんで見たんだよV6」と指をさす。
母を連れて行った二回目のビバラロックは、行動制限がなかった。
ダイブもモッシュも厳しく制限されていない。
スタンドの食べ物や飲み物の制限もない。
マスクの着用も自由で、
声出しにも制限がない。
好きなだけ歌えた。
好きなだけ返事ができた。
好きなだけ、名前が呼べた。
推しの名前を呼ぶのを我慢した。
いつもならモッシュが起こるバンドでも、椅子の前に立たされた。
好きな曲は歌えなかった。
そういう、悔しくて悲しい気持ちの上に、この自由は成り立っている。
ぼくらはある程度の我慢から解放された。
そういう我慢の果てに、この自由があった。
一人一人が頑張ったから、今日という日までたどり着けたからあの大声はあるのだな、と思った。
声出しが可能になった夜明けみたいなのは体感したことがあったけれど、
ここまで自由な、そしてぼくの、ぼくらの不自由が眠っているさいたまスーパーアリーナが戻ってきたことに、ただただ心が震えた。
これからも多分いろんなことがあるけれど、大声が出せるその喜びはしばらく忘れられそうにない。みんなで手に入れた「自由」がここにある。
ライブハウスのいいところは、大声を出しても、大きな声で泣いてもわからないところだからね。