「好き」が先か「才能」が先か。(和田誠展を見ての考察)
フリーライター&イラストレーターの陽菜ひよ子です。
「好きなことだからこそ努力できる。それこそが才能だ」とはよく耳にする言葉。しかし同時に「人は最初にうまくできたことを好きになる」ようにもなっているのだそうです。
つまり、最初にある程度「才能があるから」好きになる、ともいえる?「好きが先か、才能が先か?」。もうこれは長年の命題である因果性のジレンマ「卵が先か、ニワトリが先か?」並みに答えのでなさそうな問題であるような気がしてきました。
ちなみに、上記命題に関しては「ニワトリが先」で結論が出たそうです。
「和田誠展」(刈谷市美術館)に行って来た
突然ですが、愛知県の刈谷市美術館で開催中の和田誠展に満を持して行ってきました。上記命題は、この展示に絡めて考察したいと思います。
なぜ「満を持して」かといえば、2021年秋に東京オペラシティで始まったこの展示、2023年秋に名古屋という情報だけは早めに出ていましたが、2年も先!と気が遠くなる想いで待っていたのです。愛知県は最後の巡回地だそう。
2006年パレットクラブ時代の先生
和田誠さんは実はスクール(パレットクラブ)の先生でもあり、講義を含め3回お目にかかったことがあります。過去に一緒に記念撮影したこともあるのですが、なぜかデータが見つかりません(涙)
この展覧会のサブタイトルは「知ってるようで知らなかった あれもそれもこれも」和田さんのお仕事に関しては、一般的に知られていることよりは知っていたつもりですが、それにしても驚きました。
和田さん、なんと小学生のときからお仕事されていたんですね!びびっくりです。そして、イラストレーター以外にデザインやディレクション、絵本や映画監督をされていたのは知っていましたが、作曲までされていたのには驚き!
そしてのちに大物になる人は、子どもの頃からとにかく絵を描くことが好きで、たくさん描いていますね。
授業のノートには勉強については書かず、ひたすらクラスメイトや先生の似顔絵を描いていたそうで。先生の顔でつくった時間割は圧巻。週に数時間コマを持つ先生の絵は、今みたいにコピペじゃなくてひとつひとつそっくりに描いているとか。すごすぎる!
似顔絵を描き続けていったことで人に知られて、ボリュームのある仕事が来るようになり、それが営業ツールとなってさらに仕事が来た、と和田さん。
「似顔絵」以外にも「映画」「演劇」「音楽」など、好きなことを純粋に広げていった結果、和田さんの膨大なお仕事につながっていきます。またそれを人並み以上にすべてこなせたことが、和田さんのすごさですよね。
2010年「和田誠の仕事」(たばこと塩の博物館)
展示会場はぐるっと部屋を取り囲むように作品が並び、室内にはたくさんの柱が設置されて和田さんの歴史を刻んでいました。
その中で、自分にとっても思い出深い話を。
2010年、東京時代に行ったこの展示は今回とはまた違った切り口ですごくよかった。この展示で公開されていた制作中の動画は今回の展示でも見られますが、必見です。
このチラシでもわかるように、この展示は和田さんの「制作」にフォーカスしたもので、イラストレーター的にはすごく参考になりました。
スクール時代に聞いた話で一番驚いたのは、和田さんはある時期から作品に手で色を付けず、線画に色を指定して印刷所で色を入れていたという話。
印刷では色を4色(CMYK)であらわします。なのでイラスト(印刷物)の仕事ではカラーイラストを「4色」「4C」と呼びます。
その数値で色の割合を指定するるんですね。ちなみにCはシアン(青)、Mはマジェンタ(赤)、Yはイエロー(黄)、Kは黒。黒だけなぜか日本語なのが不思議ですが、和田さんも抵抗があったのか、BLと書いてらっしゃいます。
これの何がスゴイって、和田さんは数値で色を覚えておられたということですよね。こんなイラストレーターはほかにいるのでしょうか。和田さんがデザイナーでもあり、シンプルなイラストだからできたこと、なのかもしれません。どちらにしてもすごいことです。
この「色指定」は和田さんのものすごく偉大な特徴なのですが、今回の展示ではこの一枚のみ。もしかしたらこれが何かピンと来ない人もいたのではと感じます。
2015年「PEACE CARD2015 東京展」DM(ギャラリーハウスMAYA・北青山)
わたしが最後に和田さんにお目にかかったときのことが、展覧会で和田さんの記録に残っていました。
和田さんがDMを担当された青山のギャラリーハウスMAYAでの「PEACE CARD2015 東京展」にわたしも出展しており、ちょうど在廊しているときに和田さんが会場にお越しくださったのです。
このDMイラストを横断幕にして参加イラストレーターみんなで持って「NO MORE WAR!」と表参道を練り歩きました。この写真に写っているのは4人ですが、実際には20名くらいいたかもしれません。
この前年(2014年)に安西水丸さん、翌年(2016年)には原田治さんが亡くなり、和田さんも4年後の2019年に逝去。少しずつ時代が移り変わっていきます。同時代の宇野亞喜良さんや横尾忠則さんは現役で活躍中ですが、ぜひまだまだ頑張っていただきたいものです。
2,000枚の圧巻
和田さんの代名詞ともいえる仕事の一つが「週刊文春」の表紙です。線画のイメージの強い和田さんが「それまでとは違った手法で描こう」と決めて毎週描かれたもので、40年間、2,000号を担当しました。
壁1面を天井まで覆い尽くしても、たぶん全部ではないのでしょう。
かなり手が込んだ絵も多いです。
ポスターもすごい数を手掛けられています。
デザイナーでもあるので、ご自身のイラストだけでなく写真やほかのイラストレーター(横尾忠則さんや宇野亞喜良さんなど)と組んだものなど、紹介し切れるはずもない途方もない量の仕事をされていたんだなと、改めて思い至りました。
わたしが和田さんと同じ年まで仕事を続けられたとして、どれくらいの数の仕事ができるんだろう・・・83年の重みだけでなく、その量も質もとても追いつけそうになく途方に暮れます。
うまい絵ではなく、いい絵
和田さんはよくそうおっしゃっていたそうですが、講義のときにもそう伺った気がします。
和田さんの絵、失礼ですが、特別すごくうまくは見えません。でも、誰が見てもほっと和む魅力があります。こういう絵って描けそうで描けません。
和田さんの絵を見るにつけ、なんでこんなに「なんてことない、さりげない絵」がめちゃくちゃいいんだろう、とため息が出ます。ただの白いカップ&ソーサーでも、味があるのです。
余談ながら、先日依頼のあったイラストに頭を抱えているわたし。複雑なイラストは描くのは嫌だけど(笑)、頑張って描けばそれなりに形になるし「映え」やすい。でも、シンプルなイラストほど「絵になりにくい」のです。う~む。しかしやるしかない。
描いて、描いて、描いて、そこから見つけていくしかないんだろうな、といまだに言ってます。でも和田さんも同時開催の宇野さんも、20~30代の頃には今のスタイルが完成しているんですよね!
和田さんといえば、その独特な書き文字も魅力的。
和田文字フォントをつくる話が出て、書き溜めておられたけど実現されなかったそうで、残念!ひらがな・カタカナとアルファベットだけでいいから、これからでも実現して欲しい。
好きが先か、才能が先か
ここで表題について考えてみます。和田さんは時代を切り開いたすごい方ですが、これは才能だけでなく、時代にも運にも恵まれなければできないことだと感じます。
でもやっぱり「好き」からはじまったのだなと思います。重要なことは、ただ「絵が好き」なだけではなく、ほかにも好きな世界をたくさん持っていたこと。映画や音楽について、のちに監督をしたりエッセイや評論を書けたりするほどの見識があったこと。
和田さんと同じ絵の技術があったとしても、絵しか描かないのでは、「イラストレーター」としては難しいです。イラストレーターは、一つのことからいくつもの発想やイメージが浮かぶような「想像力豊かな人」の方が適性があります。それにはさまざまなものに触れていることが必要です。
本も読まず映画も見ないイラストレーターには、和田さんほどの仕事は殺到しなかったと思います。インプットは大事。好きなことにのめり込む時間って無駄じゃないんですね。
同時開催「宇野亞喜良展」
最後の展示室では同時開催の「宇野亞喜良展」が開催中。宇野さんは名古屋市出身の地元イラストレーター。刈谷市美術館は宇野さんのイラストをかなりの数所蔵していて、よくセットで開催してくれるので、ファンとしてはうれしい。
宇野さんもスクールの先生でした(やはり3度お会いしたことあり)。和田さんと宇野さんは仕事仲間でもあります。その最初のつながりは、興和新薬のカエルのキャラクター募集で一等を取ったこと。
そのご生涯にわたってお互いを認め合って一流として活動して来られたのは、本当に素晴らしいし憧れる。
ビアズリーの影響を受けていそうなデカダンスな雰囲気の宇野さんのイラスト。和田さんのイラストに憧れる一方で、わたしが本当に描きたかったのはこういう世界だったよなーと思う。
美術館の方が記念写真を撮ってくださいました。もう閉館時間過ぎてたのに「撮りましょうか」とお声がけくださって。なんてうれしい!
カメラマン・宮田の考える「才能とは」?
刈谷市美術館といえばお茶室が併設されていて、お抹茶と展示にちなんだ和菓子が楽しめます。今回わたしたちは時間がなくていただけなかったのですが、このおまんじゅう、かわいすぎませんか?どれが来てもうれしい!
帰りは美しすぎる空でした。
そして戦利品。
刈谷市美術館のもう一つの愉しみ
刈谷市美術館の前後に立ち寄りたいのが、斜め前(隣の図書館の正面)にあるパン屋さん。
美術館帰りに寄ると言っても、多くて年に数回。数年空くこともある。それなのに、今回突然「いつも美術館の帰りにお寄りくださいますよね」と声をかけてくださったのです。
すごい!覚えていてくださっただけでなく、おまけにサンドイッチをくださった!(喜)
(たぶん閉店時間すぎだからで、いつもおまけしてくだるというわけではないかも。わたしたちも数回通って初めてなので)
中からパンを焼いているご主人も登場して「美術館に来る人のオアシスでいられるように頑張ります」とのこと。ランチ(オムレツなどおいしそう!)やケーキもあり(イートイン可)、朝から夕方まで楽しめるお店です。
夕食後、動画を見て記事を書く仕事(ムック)のために、動画を見ながら早速お夜食にいただきました。パンがおいしいのでやっぱサンドもおいしい!
お隣はキューピーコーワゴールド(偶然にも興和!)を買ったらついてきたケロちゃん。かわゆし。
そしてこちらが買ったパン。どれも生地も美味しく、具だくさんでナゴヤ人の好きな「お値打ち感」も満載。パンは全部で6個購入して4個は翌朝食べました。
サンドイッチのあとに一つ食べて(写真ナシ)、最後の一個は翌日おやつに。このパン1個200円くらいなんですよ、安くないですか?