
誰かにぶら下がって生きること
割と引っ越しの多い人生で、25歳から4半世紀で10回くらい引っ越している。引越しが好きなわけではないのだけど。
転勤族と結婚して関西経由で関東へ。家まで建てて、もう永住すると思っていたのに、人生ってどうなるかわからない。
家を建てた時は土地に馴染めず、人間、年とるとだんだんなじみにくくなるのねーと、まだ30くらいなのに思ってた自分。
それが30代半ばで離婚してイラストの仕事をはじめて、周りの人間関係がガラッと変わって、40手前でサラリーマンの夫と再婚。
そのまま東京に骨を埋めるつもりだったのに、夫の病がきっかけで、二度と戻るつもりのなかった地元・名古屋にUターン。
夫はフリーのカメラマンに転身、ふたりしてフリーランスとなり、さらに引越しが2回。
きっとこの先も、生活がどっしり安定することはないだろうし、また何年かしたら引っ越すんだろう。引越しの作業自体は面倒だけど、変化は嫌じゃない。すっかり年を取ったというのに。
不思議だ。前の結婚相手はぬくぬくと専業主婦で過ごさせてくれてたのに、自分の未来に何の希望も持てなかった。
でも今は、普通だったら未来に不安しかないような状況でも、この人と一緒なら大丈夫だと思える(ノロケですわね、すんません)。
しみじみ、結婚も人のしあわせも人それぞれだし、条件で計れるものではないと思うのだな。

庭でバラを育て、植物画を描き食器に絵付けして、といった生活。
当時目指していたものは何だろう?って考えたら「サロネーゼ」だね。
(あの頃はそんな呼称はなかったけど)
モチロン現サロネーゼの方々をどうこう言う意図はなく
ただ庶民中の庶民のわたしには「ガラじゃなかった」としか言えませぬ。
この文章(というか自分語り)、自分のFacebookに載せたもので、意外にもたくさんの反響があった。知人しか見ていないFacebookにはちょいちょい自分語りをするが、このnoteには極力客観的なものを書くように心がけている。
でも、ちょっと気まぐれに載せてみることにした。
Facebookにこんなコメントをくれた人がいる。
◆草庵にしばらくいては打ち破り 芭蕉
「一所不住」は俳人の精神です。
わたしの返答はこう。
昔は安定を求めるタイプだったんですが、人生ってそんなに思うように行かないものだとしみじみ感じて、だったら最初から不安定前提で生きていくのがいいのかなと悟った次第です。
書いてみて「そうか、自分はこう思ってたんだ」と改めて気づいた。そしてタイトル「誰かにぶら下がって生きること」。それをよしとしなかった自分の物語なのだな、と。
書くことは誰のためでもなく、自分のため。自分自身が救われるためなのだ。
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