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明るいくせに、床の冷たい部屋だった。

自分ではじめて借りた部屋を出たのは、クリスマスで大安吉日。偶然だった。

おばあちゃんとのふたり暮らし生活がうまくいかなくなり、絶対にひとり暮らしをしてやると意気込み、バイト代にいっさい手をつけず1年半資金を貯め続けた学生時代の根性は今のわたしにはない。

その資金で住んだわたしのはじめての部屋を出て1年ということになる。

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東京の私立大学に進学し、上京の条件だった祖母との千葉でのふたり暮らしが始まった。

今思えば何が不満だったんだと言いたくなる。帰ればご飯があって、朝は寝坊することはなく野菜たくさんのサラダとトーストが起こしてくれる。ストップをかけない限り彩り栄養素フルメンバーのお弁当まで作ってくれるようなおばあちゃんだった。

ただ、20年一人暮らしをしていたおばあちゃんの家はおばあちゃんの城で、本当は崩してはいけないバランスでそこにあり続けていた。

余計な心配をさせないようについた、いろんな小さな嘘を重ねながらの生活が苦しくなったのか、おばあちゃんの小言を往なせなくなったのか。なぜか当時の記憶が薄くなっていてわからないが、ふたり暮らし生活1ヶ月弱で絶対に一人暮らしをしてやる、と、気づけば誓っていた。アップライトピアノの上のフランス人形とタンスの上の日本人形に背を向けて眠った。ひどい熱を出した時には、なんの意地だったのか、おばあちゃんに悟られまいと元気に振る舞ったことだけはその体温と一緒に覚えている。

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おばあちゃんに家を出ると告げた。
今振り返っても正直、どう切り出したか思い出すことができない。

友達が車を借りてきてくれた引越しも、思い出せるのは最後のお見送りのおばあちゃんの、なぜか俯瞰で記憶した背中と、湾岸線の免許取りたての助手席から見たディズニーリゾート。それくらいしかない。ただ当時のinstagramによると、おじいちゃんの仏壇に手を合わせた時にちょっと泣いていた。そしてこの6年前の私はおばあちゃんお手製の梅干しをしこたま持たされていた。荷物は1年半暮らしたとは思えないくらい小さくまとまっていた。

受け取った2本の鍵にGOALと書いてあって嬉しかった気持ちは思い出すことができる。

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少し経ち、小さなやすいお皿でフレンチトーストを食べた朝

「ああ、もう野菜を無くすのに朝から一生懸命にならなくていいんだ」

とほっとした。確かそのあたりになってはじめて明るい部屋でひとり泣いた。

明るいくせに、床の冷たい部屋だった。

友達を呼べば騒音のクレームの通達がポストに入る。そういう翌日の授業にはいけない。複数人で入ったこたつは不快。ウォークインクローゼットは便利なくせに玄関は3足でいっぱいになった。電気は料金を払わないと止まる。夜ごと増えるビンカンを捨てるのは難易度が高い。生きているだけでお金がかかるヒリヒリを知った。一番好きだった人はいつも自分勝手に来て、真冬でも自分勝手に外で待っていた。丁寧に買い揃えたつもりの家具もなんだかちぐはぐで、思い描いていたそれではなかった。ベランダと呼ぶには相応しくない狭いその場所からなんども洗濯物を落とした。

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気づけば社会人になっていた。更新してから半年経たないその部屋を出ようとなんの前触れもなく決めた。きっかけは特になかった。4年半の光熱費は351,051円になっていた。

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お湯が出ない。社会人になってまで情けないと自分を疑った退去1週間前。
今回に限っては給湯器の故障だった。修理会社に聞けば、「修理は最短で1週間」との話。それまでの自分勝手な行動を咎められているような気持ちになった。
クローゼットに隠すように詰め込んだ増えた荷物は引越し屋のダンボールに入りきらない。その分近所でもらってきたダンボールは、かがみ餅のダンボールだった。

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退去日。清々しさと寂しさと達成感とでめまいがしそうで、作業20分足らずで空になった部屋に流した音楽は脳にやけに堅く響いた。
なぜか、お風呂の桶と椅子は自分で運んでいた。

新居まで乗るタクシーを待つ時間はすごく寒くて、なんとなく移動距離に見合わず高額だった。

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ダンボールに埋もれた新居で、コンビニのクリスマスケーキと麦とホップを飲みながら、少しだけ家賃の高くなったこの家では、もうはじめてのあの部屋で抱え続けていた感情になることはないのかもしれないと悟った。くやしくて、誇らしくて、思い出したくないような忘れたくないような。階下に枕を落とす絶望も二度と感じないのかもしれない。新居のフローリングは無垢材でサラサラで、ベランダは座って煙草が吸えるくらい広かった。

毎日顔を見ていたファミマの店員も、今思い出そうとしたら三浦春馬に美化してしまって思考が停止した。

眺望の悪さは、今もはじめての部屋もそっくりで、ベランダで音楽を聞くときだけは、少しだけあの時と同じ感覚が蘇っているのかもしれない。

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実家に帰ると、久しぶりの帰省でも、夏でも冬でも、「靴下履きなさいよ」と母は言う。それと同時に小さい頃から裸足のまま育ててきちゃったからかなと笑う。

実家の床は優しい温度で、おばあちゃんの家の床はいつも温かかった。


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