問題社員のいる職場は、自分の問題でもあるという考えかた
職場内に問題社員がいるとつい、その人を責めてしまったり、避けるように業務を行うこともあるかと思います。もしくは、問題社員をなんとかしようと頑張って注意指導をするが、全然相手は変わらず、むしろその攻撃的な姿に自分が参ってしまう等々。
職場の相談業務を行っていると、問題社員はところどころにいることが分かり、会社として、職場として、そのような社員を抱えてしまうと周囲が本当に苦労されている様子がうかがえます。
問題社員の行動は人それぞれで、気に食わないことがあると大声で喚いたり、業務放棄したり、警察を呼んだり、些細な問題を見つけては上司に意見として上司の時間をたびたび長時間奪ってみたり、注意すると話をすり替えてきたり、指導をするとすぐに「パワハラだ。」と言ったり。。。
パワーハラスメントの定義には、「優越的な関係を背景とした言動であって」と記載があるため、部下による嫌がらせ行為などを相談してみても、例外はあるものの中々パワーハラスメントといった判断にはなりづらいようです。上司側には、地道に指導・注意し、指導・注意記録を積み重ね、会社側のルールに沿った処分含めた措置をしてもらえるよう会社に促すことや人事評価面で評価できるといった権限があることから、パワーバランスとして上司の方が職場内で優越的な関係であると判断される場合が多いようなのです。
上司が問題である場合、ハラスメントとまで言えない問題言動を行う上司や無責任な上司はやはり存在するもので、ハラスメント含む会社のルール違反として処分等はできない困った上司が数多くいます。
問題社員がいる職場においては、周囲の人が我慢したり、問題社員のフォローをすることで周囲の人が疲弊するといったことが起きます。問題社員が目立つために、全てが問題社員のせいであるように見えるし、周囲の社員は「問題社員のせいで」という気持ちを持って問題社員に色めがねをかけてしまうこともあるでしょう。
問題社員といってもあらゆるタイプがいるため、個々の事象によりアドバイスも異なってきてしまうのが実情です。しかしながら、問題社員のせいで、という気持ちが問題社員の問題行動を増長させるといったことはあるのです。
理解はできないかもしれないけれど、問題社員は問題社員なりの正当な理由と考え(周囲には言い訳と聞こえるときがあるかもしれませんが)を持って問題行為を行っていることが多々あります。
だから周囲の理解を得られなかったり、自分の思うようにいかない場合、自分の生きる世界を整えるために、問題行為を起こすことで、駄々をこね、もがいている子供のような面があるのです。
その人の振る舞いが悪いといった思考を抜いて、問題社員の置かれた状況や環境、周囲からの扱われ方を問題社員の視点から想像してみてください。周囲は敵ばかり、だから自分を守るために、自分が組織の中で優位であることを誇示するためにその言動を行っているかもしれないなど相手の気持ちを自分の世界として勝手に観察してみることで、今までと違う気持ちで問題社員を見ることができるかもしれません。
理解はできないとしても、問題社員には問題社員なりの考えがあるということを思えるだけでも視野が広がり、心に少し余裕ができることもあります。
もちろん、しなくてもいいのです。自分の居心地を少しでもよくなるためのひとつの提案にすぎません。
問題社員がどのような行為を起こしたとしても自分の幸せには影響がない、と強く思うことにより、問題社員をうまく受け流している人がおり、上手な考え方だなと思いました。
要は、問題社員の問題行為に苦しめられる被害者には成り下がらなくていいのです。
だから、今できる対応策としてできること、周囲への相談、指導、注意などできうることを淡々と行った上で、その結果は手放す。又は、自分が転職等して問題社員から離れるなどを考える機会なのだと考えてみるのもいいでしょう。
転職を決意した際にも「問題社員のせいで。」という気持ちだといつまでも、自分の人生へ問題社員を踏み込ませており、被害者に成り下がっている状況です。
問題社員のいる職場で働くことを選んでいるのも転職を選ぶのも自分自身です。
自分の世界にたまたま、自分が問題だと思う人が現れた。
じゃあ、自分の人生をどう選んでいこうか?
という話です。
淡々と対応をしていれば、その場所にそぐわない人であれば、どのような形になるか分かりませんが、去っていくでしょう。
去らない場合や問題を報告しているのに、なにも対応がない場合は、そういった問題行為をする社員を受け入れる会社であるというのが現実です。その現実を自分がどう受け入れるかなのです。
諸行無常、永遠とこのままの状況が続くといったことはありません。
会社は、個の塊であるため、個々を大切にしたい気持ちはあると思いますが、職場のバランスを考えなければならない組織運営状、個人個人すべての要求要望を受け入れることは難しい場合があります。
だから、個人個人の視野を広げ、それぞれのチームなどで人間関係の調整など個々でできればと思うのですが、問題とされる社員であればあるほど、一般常識、思考方法やコミュニケーション方法を学ぼうという思考にすらならない場合が多いので、一般的な常識の上で成り立つ調和を乱します。
この辺りは、個々の生まれ育った環境やこれまでの経験などもあるので、学んでいる方が偉い学ばない方が悪いといった話でもありません。
人生は、個々それぞれで事情があるのです。人生でどのような選択をするのか、どのような情報を得るのかも個々です。
問題社員への対応策については、本やネットの情報で沢山紹介されています。
自分の状況に合う対応策をそれぞれの職場でゲームのように楽しめる余裕が多くの人が持てるようになれば嬉しいです。
私が伝えたかったのは、自分の世界にたまたま、自分が問題だと思う人が現れた。
じゃあ、自分の人生をどう選んでいこうか?
という自分が主体となる問題と捉え、ひとりひとりが力強く人生の時間を重ねていけたら被害者に成り下がるよりも、一歩、ウェルビーイングな生活に近づけるかもしれませんよ、ということでした。