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鮎でもなく鮭でもなく

男兄弟のいない私、友人知人男子から聞いた、あるある話をよく覚えている。

カレーの日は、大きい炊飯器二個分を炊き、米は当然標準価格米だとか、、、、。

私は、自分の子供が小さいころは、食にはとても気をつかったものだった。

野菜や米は、無農薬無肥料のもの、肉や卵は、素性のわかるもの、調味料は、正しい工法で作られたもの、と、いった具合に。


また、住んでいたところが有機農業の町だったので、野菜は、選べるくらいあったし、値段も高くない。

肉も、国産資料にこだわった農家の肉が、簡単に買えた。


しかし、子供の成長とともに、消費量があがっていく。


そして、都会ぐらしが始まって、とんでもないことになった。
まず、いいものは高い。


しかも子供の食欲が爆上がりだ。

夜、朝の分までたいておいたはずの米が、朝にない。

昨日買ったヨーグルトは、朝、空箱が転がっている。

作り置きのおかずなんて、とっくに作れ置けなくなって、私の分すら危うくなっている。


それでも親は、食べさせなくてはならない。


こういう時は、鮎や鮭をおもう。

一年の寿命で子孫を残す鮎。
子孫を残すためだけに、四年もかけて故郷に帰り、産卵して死んでゆく鮭


生き物は、子孫を残すというシンプルなミッションのためだけに生きるけど、人間は、泣いたり笑ったり感情の振れ幅を味わいながら、自分が何者かなんてことまで考えていきれる。

動物にくらべたら贅沢な話だ。

いや、
逆の見方もできる。
なんだって、人間が生きる道は、複雑で苦しいのか、

いっそのこと、動物
のようでありたいか、、、



私は、答えもだせぬまま、今日も、ため息をついて、鮎や鮭に思いを馳せている。



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