Yoi noda yo

テセウスの船

という言葉がある。

男子が大好きそうな“パラドックス”のひとつ。

まず“パラドックス”がぴんとこない人もいると思うのだけど、

常識的見解に矛盾するように見える見解、あるいは真理に矛盾するように見えて、実はそうではない説。

— 「パラドックス」青本和彦(編集)、上野健爾(編集)、加藤和也(編集)、神保道夫(編集)、砂田利一(編集)、高橋陽一郎(編集)、深谷賢治(編集)、俣野博(編集)、室田一雄(編集)『岩波 数学入門辞典』岩波書店、2005年(ISBN 978-4-00-080209-3)


よく「親殺しのパラドックス」とか聞いたことあるかもしれない。

これは簡単に言うと、
Aさんがタイムマシンで過去に行って自分の親を殺したら
Aさんは生まれてないことになるけど、じゃあここにいるAさんはなんなの?

みたいなね。
不思議だねってはなし。が、パラドックス。


で話は最初に戻るけど、

“テセウスの船”っていうパラドックスがあるの。


これも簡単に言うと、
テセウスさんのとあるすごい船を大事にしようって話になって、
船の一部が朽ちては新しい部品に交換して、を続けて長い間保存してきました。そしていつの間にか、元々の部品は残らず新しい部品になってしまいました。さて、これはテセウスさんの船と同一と言えるのだろうか?

ってお話。
「同じってなんなの?」ってお話。


同じような話で、

犯罪を重ねに重ねるとんでもない極悪人が記憶をすっかり消されて、
虫も殺さない優しい人になった場合、この人は同じ人だと言えるのか?課されるべき罰はどうなってしまうのか?

って話もある。


もう一個。

人間はたくさんの細胞からできていて、その細胞も日々死んでは生まれていっている訳です。200日で完全に生まれ変わるそうです。
さて、201日後の自分は同じ人間と言えるのだろうか?

なんかこう考えたらね、
「変わっちゃったな」って感じることは当たり前なのかもしれないなって思ったりしました。
それと同時に「変わらないな」ってことの尊さも感じちゃったりしました。


あんまり<変化すること>に振り回されないで、

朗らかに日々に感動していきたいもんです。


ぴーちくぱーちく。らんらんらん。

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