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Wry Wonders発足のきっかけ──私が見つけたクリスチャン生活の課題とその本質

 前回の記事では、私が「Wry Wonders」を立ち上げようと思った背景と、そのコンセプトについて紹介した。

 今回は、そのきっかけとなった“課題”や“問題意識”に焦点を当ててみたい。

 なぜ、私はわざわざ新たなウェブメディアを企画しようと考えたのか。そこには、クリスチャンコミュニティや古典文学の世界、そして社会全体が抱えるいくつかの問題が浮かび上がってきた。



課題・問題意識の具体化

1. 信仰の学びと創造性の課題

 クリスチャンコミュニティと一口にいっても、世界中に多種多様な教派や団体、スモールグループがある。

 インターネット社会において、聖書解説や神学的な情報源へのアクセスは飛躍的に向上した。

 しかし、多言語に対応した「カルチャーと信仰の融合」というテーマの場は、すぐには見当たらない。

 一般の読者もワクワクできるような物語性や創造性を伴ったクリスチャンコンテンツにはなかなか出会えない。

 主にはカトリック的な、教会史(紀元後の初代教会時代から現代まで)の中で生まれてきたモチーフは擦り切れるほど多用されているが、純粋に聖書原理的(聖書に書かれていることをもとにした)な神学をベースにしつつ、創作にまで高めたモダンな作品は少ないし、あっても深刻だったり難解だったりする。

 私自身、もっと自由に「聖書世界」や「古典文学の世界」を行き来しながら、自分の信仰を深めたり他者と分かち合ったりする機会を求めていたが、既存のメディアや教会活動だけでは物足りないと感じることが多かった。

2. 古典作品との距離感

 学校教育や一般教養で古典を学ぶ機会はあるが、多くの場合は「難解」「堅苦しい」といった先入観を持たれやすい。

 かく言う私も決して古典マニアなわけではない。

 古典作品が持つ奥深さや詩的な言語表現に魅了される一方で、現代の生活からは隔てられた世界だと感じることが多い。

 アートに内包されているキリスト教思想や神話的要素は、作品にスノッブな印象を醸すくらいの効果しかないと思われてしまってもしかたない。

 私は、この「敬遠されがちな古典・聖書の魅力」を再発見しながら、それをどのように現代的・幻想的な視点で再創造し、エンターテイメントに昇華しつつ、さらにクリスチャンの信仰に結びつけられるかを模索している。

3. 多言語コミュニティの不足

 グローバル化が進んだとはいえ、世界のクリスチャンたちが「同じ文脈」で語り合えるオンライン空間は決して多くない。

 国内向けには日本語で情報を発信するウェブサイトはあるし、英語圏には独自のコミュニティが存在するだろう。

 しかし言語の壁を越えて、神学的テーマの可能性を、お互いの経験や知見を交えて共有できるかというと、まだまだ道半ばではないだろうか。


 聖書をはじめとする古典文書は歴史的にも多言語で翻訳されてきたが、そこからさらに一歩進めて、新たな「幻想古典」やクリスチャン文学を多言語で楽しめる場を作りたい。

 「Wry Wonders」が目指す挑戦のひとつである。


課題から見えた“本質”

 これらの課題を考えていくうちに、表面的な“不便”や“不足”だけではなく、より根本的なニーズやギャップが浮かび上がってきた。

1. 信仰と文化の融合の場が求められている

 クリスチャンというと「信仰の集まり」や「教会」というイメージが先行しがちだが、実際には多くの人が自分の趣味や興味、そして芸術的な活動と信仰をどう両立すればよいのか悩んでいる。

 聖書の理解を深めたい一方で、ファンタジーや神話、文学が好きだったりする場合、どこでそれを分かち合えばいいのか。教会で話すには少し場違いかもしれないし、一般的なファンタジーファンコミュニティに行くと信仰の要素がない。


 つまり、「信仰と文化の両面で豊かなコミュニケーションをしたい」という深いニーズがあるにもかかわらず、両方を満たせる場所や仕組みが少ないのだ。

2. 古典文学の新たな魅力を再発見したい

 古典は、時代を越えて読み継がれるだけの価値を持つ。

 しかし、それを現代に生きる私たちの言葉や感性で再構築する試みが少ないように感じる。

 知識としてのハードルが高い、間違ったことを言いたくない、一部の熱心な信仰者から怒られそう、という心理的なブレーキが働くのかもしれない。

 聖書やそれに関わる神話的文脈を踏まえて古典に触れると、作品の背景や登場人物がより立体的に見えてくる。この「解像度の上昇」は、信仰生活にも新鮮な刺激を与えてくれる。

 とはいえ、個人でこうした再発見を進めるにはハードルが高いし孤独な作業だ。そこにコミュニティや専門的な知見を共有できるプラットフォームがあれば、より多くの人が古典文学の魅力を楽しめるのではないかと考えている。


Wry Wondersで目指す課題解決のアプローチ

 こうした課題や問題意識を受けて、私は「Wry Wonders」というウェブメディアを通じて次のアプローチを図ろうとしている。

1. クリスチャンミニストリー+幻想古典=新たな創造

 従来のキリスト教系メディアは、牧師メッセージや聖書解説、社会情勢の教理的視点による解説が中心で、宣教や信仰の枠組みに基づいたコンテンツが多かったように思う。

 Wry Wondersでは、クリスチャンの信仰や神学的視点を大切にしながらも、ファンタジー要素とのシナジーを積極的に探求する。


 「新しい表現形式」を模索することで、既存の教会や伝道活動では掘り起こせなかった人々にもリーチできる可能性があると考えている。

 言い換えれば、信仰を単なる教条的な形で伝えるだけでなく、ストーリーテリングの力でより広い層に興味を抱いてもらいたい。

2. 多言語対応でグローバル展開

 初期段階でのバイリンガル(日本語・英語)運営は、今後スペイン語やポルトガル語、韓国語にも拡張する予定だ。

 多言語展開によって、同じ信仰や同じ好奇心を持つ人たちが世界中から集まり、新たなコミュニケーションの場をつくれるようになってほしい。


 ここで重要なのは、単なる多言語サービスではなく、それぞれの言語・文化圏に合った「文脈の再解釈(ローカライズ)」を意識する点だ。聖書にも文化的背景があるように、古典文学の持つ魅力も言語や文化によって受け取り方が異なる。Wry Wondersでは、そういった多様性を踏まえた上で、共に神の栄光を見上げるグローバルなクリスチャンコミュニティを形成していきたい。

3. 寄付・献金やコミュニティによる持続可能な運営

 「神の栄光」を現すためには、何よりも長期的な視野でサービスを続けることが大切だと考えている。

 そこで、Wry Wondersでは寄付や献金を受け付ける仕組みを整え、サイトの運営を支えていけるだけの収益モデルを構築したい。

 これにより、営利目的だけに偏らず、コミュニティや読者との距離感を保ちながら活動を継続できる可能性が高まる。

 ビジネスとして拡大しつつも、あくまで「神の栄光のためのクリスチャンミニストリー」「古典文学の再創造」という核心はブレずに進めていきたい。


読者との共同作業

 ここまで読んでみて、皆さんはどう感じただろうか。

 「同じような物足りなさを感じたことがある」「教会では得られない創造的な学びや交流がほしい」と思っている人は少なくないのではないか。

 あるいは、クリスチャンではないものの「古典文学の世界に憧れがある」「神話や聖書の背景を知りたい」という気持ちを持っている人もいるだろう。


 もし、そうした思いや興味があれば、ぜひコメントやメッセージで意見を聞かせてほしい。

 どのようなコンテンツを望むのか、どんなコミュニケーションの場が必要なのか。私が描く「Wry Wonders」も、読者の声を取り入れてどんどんブラッシュアップしていくつもりだ。

 次回以降の記事では、さらに具体的な「サービス名に込めた想い」や「ビジョン」などを紹介していく予定なので、引き続き楽しみにしてほしい。


 既存の課題や問題意識の本質をとらえ、Wry Wondersは「クリスチャンであること」と「文学・芸術・カルチャーを楽しむこと」を両立し、しかもそれを世界中の人々と共有していく場を築こうとしている。

 単に情報を発信するだけではなく、一緒に新たな価値観や物語を紡いでいく。

 その第一歩として、この連載を通じた対話が大切だと感じている。ぜひ、今後の展開にも注目してほしい。


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