【その1】 11ヶ月失業して、転職後1ヶ月で辞める話
社会に出た時から、いわゆる「就職活動」に正面きって取り組んだことがない
いやその前に、「入試」を経験したことがない。中学校のときに高等専門学校一択に進路を決め、勉強をがんばって推薦入試を勝ち取った。デッサンと面接のみだった。後にも先にも、私が経験した「受験」はそれが最後である。
もちろん高専から大学に編入できることは知ってたけど、大学に行きたいとはちぃとも思わなかった。
高専の後半は体調不良と共に過ごし、ついに退学した。数年間は療養生活だった。だからリクルートスーツを着て、髪をぴったりとまとめて、応募企業を練り歩くような経験をせず、入社試験もまともに受けたことがない。
広々した会場に机が並べられて、大勢で試験を受ける、という場面に出くわしたのは、30代になって受けたTOEICが初めてだった。自分で面白いほど、会場の雰囲気に飲まれた。
さて、世間の多くの人が経験するライフイベントをすっ飛ばした私が、どんなふうにキャリア形成をしたかというと、いわゆる「下剋上スタイル」だ。
アルバイトや派遣という非正規雇用から始めて、実績を積み、契約社員や正社員に成り上がるのである。失業前は社員数2万人ほどの上場企業で働いていたが、その会社でもそうだった。
メリットは、面接という登竜門にかけるエネルギーを限りなく低くできることにある。ヨノナカの社会人はいきなり正社員を目指すけど、正社員雇用のための面接の何がいいのか、私はついに理解できなかった。とはいえ人生のうち気がついたら「転職活動」に取り組んでたことがなくはない。
二次面接あたりで「私なにやらされてんだろ?」とか(あ〜〜〜。面接飽きたな〜〜〜:心の声)と我に返る瞬間があって、それを面接官に見抜かれて試合終了、ということもあった。
そんな、根掘り葉掘り聞くくらいなら、1ヶ月くらい仕事やらせてみ? というのが本音だし、もはや変わることのない、私の根源的な仕事への基本姿勢と言えよう。
でも、世の中には社外秘というものがあるし、ヒト一人を雇い入れるということは、会社にとってリスキーなことらしい。思っているよりもお金がかかってもいるらしい。
いやだからこそさ、やってみたいってヒトをライトに雇ってお互い合いそうなら続けて、向いてなければすぐに決別すればいいじゃん。
いやいや、人を雇い入れるためのシステムとか社会保険への手続きとか税金の手続きとかがあってだな……普通は一回入った会社で落ち着いて働きたいだろうし……会社に入るのが面倒なら、その構造の外側で仕事を受ける、いわゆるフリーランスとしてやっていくしかないのだよ。
と思ってフリーランス目指して活動してはみたものの、物事にはタイミングというものがあり、思うように契約がまとまらなかった。
というか、私が持ち合わせていた「デザイナー」とか「マーケター」とかいう肩書きは、それだけで戦うには、ありていに言うと地位が低いらしいのだ。どの仕事にもプライド持って働いてたから気がついてなかったけど。
YoutubeとかSNSとかで、フリーランスぽい人々がふたことめには「案件」「案件」といっている意味がわかってきた。「案件獲得」こそがフリーランスの生命線なのだ。
そこで私という緊張感のない人間である。生来必死さを持ち合わせていないので、案件獲得に躍起になろうと思ってもできない。ハッタリもかませない。すでにできることを2割盛るくらいはできても、ないものをあると言えない、世渡り下手が手伝って、だんだんとフリーランスを狙う線は、雨の後の運動場の白線のごとくうやむやになっていった。
失業保険もそろそろ切れそうだというころには、手当たり次第にいろんなエージェントや転職サイトに登録した
徐々に正規雇用の求人票が混ざり込んでくるようになり、あれよあれよと言うまに企業に面接に出向くようになっていた。なし崩し的に転職活動になっていた。
入社することになったのは、そんな会社の中の一つだった。とりあえず「デザイナー」と名のつく地元企業にエントリーしていたのだった。求人票の想定年収は「330〜600万」とあった。採用されれば、私の元の給与水準を維持できるだろうと思えた。
応募から2回の面接を経て内定をもらった。応募から内定って、1〜2ヶ月かかることもあるらしいけど、2週間ほどで決まった。私にとってはさして不思議とは思わなかった。件の大企業も、この時は派遣だったが、エージェントの紹介から1週間で入社が決まったのだから。
面接の中で、「希望給与の◯◯◯万円はちょっと厳しいけど、最低ラインの△△△万円はできるだけ超えるようにします」と言われた。
この時にちょっと「あれ?」と思ったんだった。今にして思えば。
だって、希望給与の◯◯◯万円は、求人票に書いてあった「330〜600万」の中間値くらいなのだ。
内定をもらい、労働条件通知書には、東京で仕事をしていた頃の半分くらいの基本給、みなし残業代、賞与などが書いてあって、全部ひっくるめると、希望最低給与を超えてないでもなかった。
……まあ、これが北海道価格かぁ……。
それでも、やりたい方向性の仕事を、気のおけない(関係になるはずの)仲間たちとやるという未来に賭けた。
条件を呑んで入社が決まった。
「入社後3ヶ月は、試用期間としてみなし残業代がつきません」
管理部長の説明を受けたのは、入社から2日めのことだった。
「わかりました」
言葉では冷静に返したけど、頭の中はぐるぐるとしていた。
おや……? 私何か勘違いしてたかな? 勝手に、試用期間て1ヶ月くらいだと思ってたんだけど。
家に帰ってもう一度通知書を見てみた。
通知書は別添え資料と二部構成になっていて、「勤続1年経過後の給与及び賞与の満額支給時 概算」という資料には、「みなし残業手当:〇万円 x 12ヶ月」と書いてあるのだ。
おやおや……? これは本来9ヶ月分と書くべきなんじゃないのか……?
改めて、もう一度よく書類を読むと、本来年収に含めるべきでない交通費も年収に含めてあったりする。賞与も年末分は支給対象外だ。そういう曖昧なところを差し引くと、少なくとも初年度は最低希望給与を大きく下回った。
何なら基本給も最低賃金ギリギリのラインですよ?
いや、むしろおまえ、入社する前にちゃんと冷静に確認しろよ。
と言われても仕方ないんだけど。
みなし残業代がつかないってことは、社会保険とか税金とか引かれると、手取りが失業保険でもらってた額を下回る可能性もあるのでは?
それが3ヶ月続く?
正気か?
管理部長。
わたしがそんなミニマルな生活してるとでも?
家賃とサブスク、クレカの支払いだってあるのに……
おいおい……
さすがにこれは……
これはさすがに……
生活できないじゃん?
つづく。