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変な主人公


ストーリーの偏食

 物語を作ることが好きというからには、インプットもできるだけ広く深くしたいのに、重大な問題がある。ホラー、グロテスク、ダークファンタジーが苦手なのだ。

 ホラー、グロはいいとして、ダークファンタジーをはじいてしまうと、現代のエンターテイメントではだいぶ損している気がしてしまう。

 どの範疇をダークファンタジーとみなしているか、名作を挙げると、

 まず『進撃の巨人』はアウトだ。

 『ハリー・ポッター』も挫折した。

 『東京喰種』も。

 『チェンソーマン』も『呪術廻戦』も。

 『エヴァンゲリオン』とか『ガンダム』もダメだった。ガンダムを含めていいのかわからんけど。

オイオイお前ら暗いなぁあああ?

 ちゃぶ台返しをしたくなる。陰キャなのにダークは苦手なのだ。

ブレない主人公

 じゃあどのラインから大丈夫かっていうと、

 『鋼の錬金術師』とか『鬼滅の刃』とか。『魔道祖師』とか。

 基準がはっきりしているわけではない。主人公にめちゃくちゃ強い芯があってほしい。葛藤とかあまりしてほしくない。葛藤はクライマックスだけでいいと思ってる。主人公の葛藤は劇薬だ。かといってあまりにも無双状態ではつまらない。障害はあっても一瞬たりともブレてはほしくない。

 古典でも、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャンや、『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスも、偏執的なまでにブレないところがいいんだ。決めたことに関しては立ち止まらずにやり遂げるっていうのが。それでいてロボットみたいではなくて人間性も両立してるっていうのが。

 ブレないところの良さは、笑えるっていう意味で「面白く」なる。楽観的でいられる。

 「痛み」についても、一定の距離をとってくれる作品の方が好きだ。「血」は「痛み」や「限界」の象徴なので、流血が多い作品は苦手だ。

神秘的な主人公

 名作の主人公は唯一無二だ。今まで見たことがないほど個性的なのに、「こいつが主人公じゃないと物語が成立しない」と思わせられる安定感と輝きを持っている。

 数ある主人公の中でも「こいつ特に変わってたな……」って思う奴らが、誰しも何人かはいるはずだ。

 私の中で一人(二人?)挙げられるとしたら、ドラゴンクエストⅣ(DQⅣ)の主人公だ。

 いや、小説でもなければマンガでさえないじゃないか……キャラクター設計っていうかキャラクター造形じゃん……とツッコミたくなるかもしれないが、

 DQⅣには久美沙織作のノベライズ版があってだな。

 ドラゴンクエストの二次創作マンガ雑誌も市販されていたのだ。(集めてたなー。また読みたいなー)

 文字どおり貪るように読んだので、私にとってはただのゲームではないのだ。
 天パーで緑色の髪の主人公。造形が尖ってないだろうか。どちらかといえばアリーナとかマーニャのほうがカリスマ性がある。

 主人公って、割とプレーンかつ王道な要素を押さえている場合が多いと思う。

 例えば黒髪(褐色)にするとか。(鳥山明の並びでいくけど最近のマンガとか思い浮かべてください)

髪が逆立っててもなんか王道感あるとか。髪の色が赤か青か黄色とか。


 対して、DQⅣの主人公たちは緑という中間色。耽美というか、妖精っぽいというか。

どちらかというと賢者とかトランクス寄り。特別感のあるサブキャラクターの位置付け。

 (……トランクス、可愛い)


 出自に関しても、DQⅣ主人公は変化球である。天空人と人間とのハイブリッドだ。主人公にはできるかぎり感情移入したいし、ワンチャン主人公になれるかもっていう、蜘蛛の糸よりも細い希望を読者は持つものだ。なのに天空人の血は願って手に入るものではない。

 DQⅣ主人公のカラーリングは緑・白・ゴールドだと思うのだが、私はこのコーディネートが色の組み合わせの中で一番好きだ。高貴で神秘的。

 DQⅣでいえば、章立てされたストーリーの構造からいって、脇を固めるキャラクターたちもある意味で主人公だ。神秘的な主人公の輪郭を個性的な仲間たちによって浮かび上がらせている。


人間は天使と結婚できない

 DQⅣ主人公の母親は天空人で、人間の男性と結婚したが、夫には裁きがくだり死亡、妻は天空に連れ戻されてしまう。

 人間と天空人は、体の造りが似てて交配できたとしても、掟として結ばれてはいけないらしい。

 DQⅣのシナリオライターが何を参考にしたのかはわからないが、聖書でノアの時代の大洪水を引き起こした要因は、人間と天使たちとの雑婚であると言われている。

 さて、人が大地の面に増え始め、娘たちが彼らに生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、それぞれ自分が選んだ者を妻とした。そこで、主は言われた「わたしの霊は、人のうちに永久にとどまることはない。人は肉にすぎないからだ。だから、人の齢は120年にしよう

創世記 6章1節〜3節

 ここでの「神の子」とは、サタンと共に堕落した悪霊たちである。

 なぜ悪霊、すなわち堕天使たちは人間の女たちに手を出したのかと言えば、神がはじめに設計した人間の形を壊し、メシアの誕生を阻止しようとしたから、と解説される。人間と天使の子供は、人間でもなければ天使でもないのだ……。

 「人の齢は120年にしよう」というのは寿命の話ではなくて、人間の世界はあと120年で終わりにする、という意味だ。

 神は義人ノアとその家族、つがいの動物たち以外の生き物を滅ぼした(海の生き物は無事だったわけだが)。

聖さの確定した天使たちは結婚をしない

復活の時には人はめとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのようです。

マタイの福音書 22章30節

 復活に預かる人々は、疎外感や承認欲求から解放されていると考えることができるし、現在の人類が所属している家庭や地域のコミュニティよりも、ずっと完成された絆のなかで居場所を持つことになるという希望がある。

 それらをすでに体現しているのが聖なる御使いたちという存在だ。

 天使と言えば、「翼+見た目が抜群にいい人間」として表されることが多い。

 『天使論』を打ち立てられるほど、聖書には天使についての情報が満載だ。旧約、新約あわせて273回の言及がある。『ヨハネの黙示録』には65回で、聖書の書物の中では天使がパーティ状態だ。

 上位格の御使いはまだしも、一般の天使に翼はない。

 上位格の天使さえ、翼が4つあったり、顔が4つあったりするので、人間の美的感覚から言ったら異形と言えるのではないだろうか。

 聖書の記録によると、人間は天使を目にすると恐れてひれ伏し、場合によっては死を覚悟するらしい。

 きよさが異様なまでに輝き出て、強烈な存在感を放っているに違いない。

 牧師によっては、動物や昆虫は、天使の造形をベースに神が創造されたものであると言う人もいる。ハエが光を求めて飛ぶのも、天使の性質をシンプルに表現した“デモバージョン”と言えるかもしれない。考え出すと止まらない。

 それでいて人間よりも上位の被造物が天使だ。天使に死はなく、結婚・出産をしないので数の増減はないが、1000の幾千倍というほど数がいるらしい。

 天使の世界にも相当なスケールと多様性があるのだ。




聖書の終末預言が大好物なアラフォーが、聖書を学ぶうちに勝手に湧いてくる奇想・妄想を吐露します。

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