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【その2】 11ヶ月失業して、転職後1ヶ月で辞める話


手取りが新卒の初任給レベルに

 さすがにナチュラルボーン・楽観主義の私でも頭を抱えた。

 入社前もらった労働条件通知書には、冷静になって見ると、東京スカイツリーのごとく高々とフラグが立っていたのに。

 まさか社会人経験10年越え、しまいには知る人ぞ知る有名企業でしのぎを削ってきたこの私に、そんな狼藉ができる奴なんかいるはずない、とタカをくくっていたのだった。

 世間は厳しいとか、北海道の給与水準がどうとか、そんなこと言ってるバアイじゃない。これは明らかに舐めくさっている。侮辱だ。

 入社3日で明らかになった私の人事評価は、企画部全員の中で最低値に据えられていた。完全に社会人として初期化、工場出荷状態に逆戻りである。

 もしもぉーし? 私の職務経歴書、ご確認いただいてましたでしょおかぁぁーー?

 もしかして、失業期間が11ヶ月だからって足元見ちゃったかなぁぁぁーー?


 こんなことじゃあ、賞与のための人事評価だってあてにできるわけない。

この会社は何だ? アラフォーにこんな屈辱を与えてまで、なんでみんなヘラヘラと仕事をしてられるんだ???

胸の中にモヤモヤが充満したまま、入社後初めての土日を迎えた 

 土曜日にしたことは叫ぶことである。

 床に崩れ落ち、クッションを顔に当てて隣人に配慮しつつ、力の限り哭き叫んだ。

 我が主、この世の創造主、私にいのちを与え、クソみたいであってもこの会社が存在することをお許しになった神に、この不当な扱いを訴え出るために。

 クソみたいな会社に入社して、クソみたいな状況に陥っている。

 何でこんな結果になったかは、わかっていた。

 自信がなかった。

 失業していた期間は確かに長かった。毎日、労働と変わらないくらい制作に打ち込んでたとはいえ、会社で働くこととは別だ。健康状態もどこまで回復しているかは、社会に戻ってみないとわからないことも多かった。

 がんばりたくなかった。

 当初の計画は、会社で生活の糧を得つつ、余暇で制作活動を続けることだった。会社のグレードを落とせば、心身ともに余裕を持って働けると思ったのだ。
 しかし当然、仕事と名のつくものをする以上、プレッシャーも疲労もある。
 様子を窺っていると、給料が低いだけに、みんなダラダラ残業して残業代を稼いでいるようだし、代休があるとはいえ休日出勤もざらにあるようだ。規則正しい生活ができないうえにキリスト者にとっては日曜礼拝も守れない。
 なにより新卒社員みたいな薄給では、制作費も捻出できずワーキングプアに陥ることは火を見るよりも明らかだ。新しい服はおろか、下着を買えるかさえわからない。

 自己憐憫があった。

 前の会社でやらかした失敗を心の中で並べて、ああすればよかった、こうすればもう少し長く働けたかもしれない、と心の片隅で後悔し続けていた。

弱さが全て裏目に出た。

 人を陥れることを平気でやるような人たち、自分たちがやっていることが何なのかわかってない人たちは、心の隙間や弱みにつけ込むというか、弱みを持った人を引き寄せるものなのだ。


 ごちゃごちゃ考えることはあるが、確かなことは一つだ。私は今ハッピーじゃない。未来もハッピーになれそうにない。ハッピーじゃない者同士が「俺たちなんてどうせこんなもんさ」と傷を舐め合ってる会社に満足するなんてできない。そんなの私の人生じゃない。


転職活動をやり直してもいいかもしれないとうっすら思い始めた日曜日

 教会から帰宅後、私が敬愛する牧師、中川健一先生の聖書講読を試聴した。ちょうどその日に配信されたメッセージだった。

 東京にいた頃は、中川先生のメッセージを聞きに毎週のように恵比寿の日曜礼拝に通っていた。

 先生はご高齢だけれども精力的に活動しておられ、最近心筋梗塞で倒れた。先生が倒れたと知らせを受けたのは、ちょうど、今の会社の最終面接に向かおうと、本社の最寄駅に降り立った、まさにそのときだった。

 あと30分ほどで役員面接が始まるというのに、動揺が抑えられず涙が溢れてきた。「倒れた」ではなく「帰天された」だったら、面接も何もかも投げ出していただろう。


 私が教会に通い出したのは7年前で、まさにその時が、先生は肉体的にも実績的にも黄金期を迎えておられたのではないかと思う。

 先生にはとてつもないエネルギーと、熟達、そして安定感があった。きっと召される直前までこのままなのだろうと、疑っていなかった。

 コロナ禍を経て私は札幌に帰り、Youtubeで配信される講解メッセージを見ることでしか、先生の様子を知ることができない。先生は主の御元に向かわれる準備を着々と整えられているきがしてならない。率直に言うと、老いられた。

 今回のこと以外でも何度か体調不良にあわれて、みるみる弱まっているのが見てとれた。

 ご本人もさすがに危機感を覚えられたという心筋梗塞から、ひとまず復帰された最初のメッセージが、私が徹底的に落ち込んでいた日に配信されたのだった。

 先生はまたひとまわり弱まっておられ、これまで礼拝形式で賛美や朗読などのコンテンツが盛り込まれていたオンライン礼拝を簡略化し、メッセージのみの配信になった。

 先生の働きは、かつて華々しく日本全国や海外を飛び回っておられた時からは、比較できないほど小さいものになった。かつてはおそらく日本最高峰だと思われた弁舌も衰えている。

 しかし私には、別の声が聞こえてきた。

ここからだ。

 先生は、肉体的にも精神的にも底についたところから、どうしようもない弱さのなかから、神の栄光を表されるためだけに立ち上がって、また何かを成し遂げようとされている。ここからが先生の働きの真骨頂だ。

 私もそうだ。

 どん底だ。間違いなくここが底辺だ。

 でも、ここからだ。

 もう一度生活を立て直すことを決意した。待遇への怒りによって──今度こそ完全に主に寄り頼んで、私にとって最善の未来を勝ち取りたいと霊に燃えて、自己卑下や自己憐憫は完全に過去のものになり、消し炭になっていた。


つづく


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