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当事者にしか扱えないテーマがある
ファンタジー・SF作品を作りたいと思っているので、正統派というか金字塔的な名作をもっと読みたいと思い、Audibleで乾石智子氏の作品をこつこつ聴いている。
乾石氏の作品はダークファンタジーで括れないほど鋭利な、儚さと漆黒がある。異能の前に非力すぎる人間たちを、容赦なく書き切っている。一方で、物語の語りのトーンによって、凄惨な描写もあまりグロテスクさを感じないところがすごいと思う。これはAudibleで聴いているせいもあるのだろうか。
『太陽の石』では、女性登場人物に対しての引くほど残虐なシーンが描かれる。『夜の写本師』でも、「そりゃないだろ」って言いたくなるほどあんまりなシーンがある。
ふと思う。例えば同じような作品を、男性が書いていたとしたら、少なくとも私は、「作者は女性に対してとんでもなく嗜虐性があるんじゃないだろうか」と平気な気持ちでは読めないと思う。名前で知る限りは乾石氏は女性なので、その分だけ自分が観客であるというのをわきまえつつ、作品から繰り出されるパフォーマンスに熱中できる。
あるいは、乾石氏の作品のキャラクターには、あまり「性」とか「肉体感覚」みたいなものを感じないせいもあるのだろうか。
女性が「性」や女性の肉体に起こることを表現するのは、エンターテイメントとしてはなかなか受け入れられない。というか、人間の半分近くを占めている男性にとって、どう笑ったらいいかわからない、どこまで笑ったらいいのかわからないので不安になるのかもしれない。
Amazonプライムのオリジナルコメディドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』で、女性コメディアンを目指すミッジが、妊娠のネタで会場をしらけさせるシーンがあった。『ミセス・メイゼル』は60年代ころのNYを舞台にしている。
今日のタイトルに戻ると、世の中にはまだ極められていないテーマがあるとはいえ、それを当事者じゃない人が挑戦するのはリスクが高い。例えば女性の肉体や生理現象について、男性がこきおろし、笑い飛ばすということは、このご時世、かなり難しいだろう。
スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』のように、女性蔑視を告発して勧善懲悪なストーリーに仕立てられてないと、納得は得にくい。
https://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/438101.html
しかし、女性自身ならばできる。できるけれど、「ここは笑っていいところですよ」みたいなフラグがわかりやすいことは求められるのかもしれない。もしくは作品自体のテーマ性みたいなものがとんでもなく高いとか。悪童日記みたいに。
そこまでくると、もはや性とかなんとかは関係なく、自分が持っているものにどれだけ向き合うかが勝負になってくると言える。自分が持っているもので、一番近いものといえば、結局のところ、自身の性自認にかかってくる。性は近くて遠い存在だ。
性の話をしたところで、キャラクターデザインについて考えたり調べたりしていると、「性の消費対象としての男性像」というものが、わりともう浸透してきているのだとわかってきた。
性の消費対象としての女性像(グラビアアイドル的な存在感)が当たり前にあったように、女性が愉しむための理想化された男性像が、欲望のブレーキなく洪水のようにフィードを埋めている。90年代とか、ゼロ年代初頭も、男性アイドルだとか、ビジュアル系バンドとか、草食、肉食、メガネ、その他もろもろ、アイコン的なものは常にいたけれど、やっぱりどこか、男性は女性を引っ張って行ってくれる立ち位置を期待されていた。捕食者(女)と被食者(男)の関係性ではなかったような気がする。
時代は少しずつだが確実に変わっている。
数週間noteを放置していたが、久しぶりにしれっと投稿してみました。
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