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【その7】 11ヶ月失業して、転職後1ヶ月で辞める話
全てを捨てる勇気はなかった
11ヶ月失業していたけれど、失業保険は1ヶ月分残して就職とあいなった。
結局1ヶ月で辞めたんだから、もっと直感を働かせて、聖霊の声に耳をすませれば、内定を辞退するくらいで済み、こんなに気まずい思いをしなくて済んだのではないだろうか。
面接の準備をし、入社後のイメージを膨らませ、それなりの熱意で取り組んだ以上、ここで引き下がるのは女がすたるとか思ってしまった。
当時は(というほど昔の話ではないけど)この会社と、もう一社が最後まで選択肢に残っていた。どちらかに決めなければいけない、と思い込んでしまうような状況だった。まさかどちらも捨て去ることが正解だとは思ってなかった。
ニュースとかでもよくある罠だよね。マスコミはA対Bの二項対立に持って行こうとする。でも実際はCとかDという選択肢もあることが見えなくなっている。
とはいえ、内定を承諾するかしないかのタイミングでは、エージェントからの連絡は来るとさえ思っていなかった。
A社もB社も蹴って、活動をゼロに戻す勇気はなかった。怖すぎた。
信仰と蛮勇を区別するにも、さらに強い信仰や、神についての経験が必要なのだ。
派遣会社は、数ヶ月前に、あるアルバイト採用に応募するために登録しただけで、アルバイトは時給1200円のデザイナー募集だったけれど、不採用になっていた。リモートOKとなっていたけど出社が推奨されているとか、年齢とか、厚みのありすぎる経歴とか、そういったところで折り合わなかったんだろう。グレードを下げたって間が悪ければバイトさえ落ちるのだ。
その時の私は、フルリモートで働くフリーランスになりたいと思っていて、アルバイトで一定の収入を得つつ、副業もやって補填しようという魂胆を持っていたんだけどさ。
思い出したけど、このアルバイトも求人票では時給1200〜1500円と幅を持たせてあって、実際エージェントと話すと悪びれずに「時給は1200円です」って言われたんだった。流石に「330万〜600万」に比べたらかわいい嘘だけどさ。
期待を持たせて応募者をできるだけ多く吸い上げようとするって採用の闇、どうにかならんかねー。
プロデューサーに昇格
さんざん引っ張ってきたけれど、結論、ある程度の規模の企業のプロデューサーとして働くことが決まりました(ヒュー🥳! パチパチ〜👏)
エージェント経由でオファー(内定)の連絡が来たのは、結局、面談から2週間以上経ってからだった。営業日換算で10月は残り5日もなかった。きっとこのタイミングで会社側に月内の退職を申し出ても、仕事もたくさん持たされてただろうし、揉めたし荒れたし嫌われただろう。何より私が炎上に耐えられなかっただろう。
結果を見れば早めに退職を決意してよかったとか言えるけど、40%くらいは、オファーを諦めていた。それでもどうにかなる。不思議な楽観だけに支えられていた。就職前にできなかった信仰を、この時ばかりは発揮したかった。
なにはともあれ、一度は最低な状況に飲み込まれそうになっていたのに、給与的には元の水準かそれ以上になり、待遇もアップした職場があてがわれるなんて、普通あり得る? 神の働き以外に考えられるだろうか? 神に栄光を帰したいと思います。ハレルヤ!
今まで浅く広く手掛けていたことに、ポジションとして名前がついた。今後もし独立するんだとしても、「デザイナー」とか「マーケター」を名乗るよりも、条件は有利になる。
案件の紹介が来た時は、先の企業への入社まであと数日、我が自由と放埒の日々を惜しんで、スタバでたそがれてたときに電話を受けた。その時は内定先への義理を通すために断ったのだった。
あの時、15分くらい必死で神様にお伺いを立てたら、内定は辞退して、この採用に賭けよう、と踏み切れたんだろうか……。
後付けだけど、そういうことでもなかったと思うのだ。
だから、この患難の良かったところを振り返ってみたいと思う。
1ヶ月でも働いてよかった点
14か月のブランクの肩慣らしができた。
2023年の半ばから体調を崩し、会社を休職し、ついには失業した。その間まともに働いてない。
作家として生きるためにあらゆることを模索する期間だったわけで、自分というブラック企業の社畜だったが、好きなことを思いっきりするというのと会社員として働くということとは意味合いが違う。
ちゃんと業務に着地できるか不安すぎて、入社してから一週間は一日中おなかが痛かった。食欲もなくて、昼ご飯はおにぎり一個食べるだけで精一杯だった。
会社員時代のフルリモートの期間も長かった。コロナ禍の3〜4年、ずっと家で仕事をし、疲れた時は一瞬であっても横になれるわけで、そんな環境からしてみたら、ランチタイム含め9時間ほぼ同じ姿勢で、体を横たえられないのは拷問・エクストリームでしかないじゃん。
大好きなことを1日16時間考え続ける VS 気が進まないことに9時間縛り付けられる。
実際はどちらが苦しいのだろうか?
それでも楽しく自由で孤独な16時間労働の方が過酷だった。9時間なんてどうということもなかった。
それがわかって自信がついた。
通勤で体力がついた
失業中は体調不良で、引きこもり生活で、活動量が低かった。復職後、歩数ベースでは二倍以上に運動量が増えた。食欲不振とあいまって、体重が激減した。ほどよく痩せて快適になった。
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受託企業の実情を知ることができた
会社はとにかくわちゃわちゃしていた。
あらゆる案件が飛び交っていて、ビジネスの流れとか時代のトレンドに揉まれながら立ち向かっていた。
大企業でも「私どもも案外泥臭くやってるんですよ」みたいなことを口にする人はいるが、真の泥臭さ……立ち止まったら沈んでしまって見向きもされなくなるという危機感に裏打ちされた現実がそこにはあった。
大極観の名の下に、流れを見てから必要な手を下そう、と悠長に構えている奴は逆にポンコツに見えてしまう危険があるので、仕事してるふり、真剣に考えてるふりはこういう環境で磨かれていくのかもしれないと思った。
世にいう繊細さんは世渡りできなくて出世もできないとか言われるかもしれないが、「この人たちは真に繊細だな」と思える人は大企業の方が多い気がする。だって温室の中でしか生きていけないわけだしさ。母数がそもそも多いってのもあるけど。
大企業が向いてたとわかった
転職体験談で大企業から地方ベンチャーとかに転職して、中小企業ならではの強みみたいなものを活かして活躍するみたいな記事を見るので、大企業から中小への移動って割とある話なのかなって思ってた。でも、大企業の人は、大企業とか優良企業の間で転職するのが定石なのかもしれない。珍しいから話題にもなるのだ。
「前職はあの有名企業の〇〇」みたいな話が好きな人は多いし、前職マウントとか、大企業出身のやつと一緒に仕事してるオレ、みたいなのが誇らしく感じてしまうものなのだ。
有名企業出身者は、次元の違いこそあれNiziUとかBTSみたいに人にファンタジーを与えられる存在なきがする。
そんなの別にどうだっていいよ……って言えるのも、一回は富士山の3合目まで登ったことがある人だからこそかませる余裕なのかもしれない。だから私の発言がいけすかなく感じてもご容赦ください。
すごいのは私ではなくてすごい会社を作り上げた創始者であり地の塩になった先輩方なのだが、それだけに大きな企業は養分が高い。
私は養分の多い土壌でないと満足ができない。どんな環境でもうまくやれる器用さがあると思っていたけれど、そうじゃなかった。
不器用というよりは、燃費がものすごく悪いのである。ある意味、たちの悪い寄生虫だ。
初めに大企業で働くことになった時は、こんなラッキーは最初で最後だと思って、退職した時はボーナスタイムが終わっちゃったなぁと思っていたんだけど、2回続いたんだから、きっと私の適所は養分高めの大企業なんだと思った。
こんどこそ自信を持って落ち着いて職務に邁進しようと思う。
ギリギリ仕事してるように見える量がわかった
隣の席に仕事してるフリがうまいポンコツがいたおかげで、少なくともこれよりがんばれば仕事してるように見えるのか、という最低基準を知ることができた。
「言い訳がましい物言い」が何かわかったので、周りをイライラさせる言い回しを知ることができ、結局のところ能力のあるなしは隠し通せるものではないとわかった。
ポンコツに見えるとはどういう人間かを知った
「視野が狭い」のである。
誰しも余裕をなくすと視野が狭くなりがちで、そうするとポンコツみが出てしまうので気をつけようと思う。
いともたやすく行われるえげつない行為
会社は総じて見るとたしかにブラックだったが、一人ひとりは別に悪い人間ではないのだ。見方によってはむしろ優しい。
なんでその優しい人たちが停滞感を生み出してしまうのだろう? 人の足をひっぱって同調圧力に屈させるような機構ができているんだろう?
「出る杭は打たれる」以前に、その杭が立つ土壌が泥沼状態になっているのだ。
今後考慮にいれるべき集団心理というか社会現象を垣間見ることができた。
それでも残る人はいる
何事も向き不向き、適材適所だ。
私には理解できない長く働ける良さがあの会社にもあったということだ。見る人が見れば泥沼のなかにソリッドな足場があるのだ。もしくは右足が沈む前に左足を出せば理論上は水の上を走れるように。見極める知性や能力が私にはない。謙虚な気持ちになることができた。
文字通りの「安売り」がどういう状態か知ることができた
できることをできると言うのと、謙虚さとは匙加減が難しい。
面接の時にもっと毅然と職務内容をすり合わせできていたらよかったと思う。その結果不採用になったとしても、スキルを棚卸しすることができ、自分の能力にはどれだけの価値があるか、自分で気がつくことができたからだ。
面接中や入社後に、管理部長と給与の話になった時も、もっとラディカルに突っ込んで交渉すればよかった。決裂したとしても、条件交渉や協議の勘所を鍛えることができ、慎重さにおいて多少のスキルアップにつながったからだ。
もっと自分自身に責任と自信を持てばよかった。多少追い詰められていても堂々と振る舞わなければいけない局面のために、普段からあらゆる面で余裕を作っておきたいと考えるようになった。
自信を持ちつつ、必死になれた
これらの要素を集積させ、零細企業のモデルのような場所で社会復帰の準備体操をしつつ、業界の実情を学び、いつまでもここにいるわけにはいかないという危機感と共に派遣面談に望むことができた。
おそらく、はじめにエージェントから電話を受けた段階でプロデューサーとしての面談に臨んでも……必死さ、目的意識、覚悟を持つことはできなかった気がする。
あるいは、長い失業期間の果てに、期待を持ちすぎてガチガチになり、本来の持ち味を出しきれなかったのではないかと思う。
いずれにせよ、再度エージェントに連絡を取った段階でポジションが埋まってなくて、オファーをいただけたのだから、結果オーライだし、紆余曲折含めて御心だったと思ってる。
完璧にできない、と知れてよかった
何もかも捨て去って信仰に賭ける勇気がない、本来の自分を低く見積もってしまう、自分の価値に気がつけない、相手が間違っていても指摘の仕方がわからない。失業期間終盤の活動を通して気がついた私の弱さだ。
これらのことができなかったから不合格ではなくて、体験を通して気がつくこと自体が課題の試験だったと思ってる。楽観的に。
信仰生活を続けていると、心においても、行動においても、「正しさ」を求めるあまり純粋すぎる行動や動機を求めてしまいそうになる。綺麗にうまくいくと気持ちがいいからだ。
田舎の零細企業に入り、小さくてもやりがいのある仕事をこつこつこなし、素朴で優しい人たちと絆を持ち、ときにわちゃわちゃしながら、貧しくともいつまでも幸せに過ごしましたとさ……
みたいな。
はたして、それが叶ったから何だと言うのだろう。
この世界に広さ、長さ、高さ、深さがある限り、神が私たちに見せたいと思っているいのちはもっとダイナミックであるはずだ。少なくとも私はダイナミックなものが見たいと思ってる。
そんな人間が慎ましさに甘んじて生きられるものだろうか。
つづく