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千年王国というテーマと“アウェイ感”──文脈づくりの必要性
小説「エスキャトロギヤ」の第一部を仕上げてから半年ほどが経ったとき、私は作品をもう一度冷静に評価できるようになっていた。
改めて感じたのは、キリスト教の千年王国、終末論(エスカトロジー:eschatology)というテーマのニッチさと、それをいきなり一般読者に訴求することの難しさ。
読者との「文脈の共有」が思った以上に足りていないのではないか――今回は根本的な課題に直面した経緯と、そこから得た気づきをまとめてみたい。
作品の振り返りと“文脈”の欠如
第一部完成後の冷静な評価
「エスキャトロギヤ」第一部を完成させた当初は、作品を仕上げた達成感に包まれていた。しかし半年も経てば、熱狂的な気分は落ち着き、作品を少し客観的に見られるようになる。
そうすると気づくのは、物語のスケールやテーマが大きい分、読者にはハードルが高い内容かもしれないということだ。
千年王国という概念は、聖書終末論に基づく専門的なテーマだ。「1000年続く王国」と言うとファンタジックに聞こえるが、実際の神学的背景や歴史的イメージを知っていないと、物語として消化しにくい面もある。テーマの専門性への実感が、じわじわと深まってくる。
第二部を書く意味と“世界観”の不足
「やっぱりこのテーマを面白く伝えるには、第二部まで書き上げ、私自身が作品全体の構造を深く理解した上で、読者にはさらに噛み砕いて見せないといけないのではないか?」そんな考えも頭をよぎった。
当初は「書きたい物語を自由に書けばいい」と思っていたが、今や「読者が千年王国というコンセプトをどう楽しめるか」を考えないと、この作品は真価を発揮しないと感じるようになった。
ラノベ風への改稿とテスト公開
10,000文字の短編をラノベ化
そこで、千年王国ネタをよりわかりやすくした短編を試作的に書いてみることにした。すでに8割ほど仕上げて寝かせていた作品を、思いっきり改稿することにしたのだ。
文章のテンポを意識し、コメディ要素をちりばめて親しみやすくすることで、読者が最初から神学的内容に圧倒されないよう工夫する。
細かいところでは、「キリスト」や「エルサレム」といった露骨に聖書を想起させる単語を「君主」や「聖都」に変更し、敷居を下げるよう試みた。
千年王国は1000年続く王国なので、666年を舞台に設定して、反キリストの象徴と言われる「666」という数字をコミカルに扱うストーリーを作り、読者の想像力をくすぐるよう意図した。
こうして完成した約10,000文字の短編を、ラノベ投稿サイト「ノベルアップ+」に掲載することで反応を確かめることにした。
思った以上に残る“アウェイ感”
結果から言えば、文章はスッキリ読みやすくなり、起承転結もしっかりついているという点で、自分の作品としてはこれまでにないほど完成度が上がったと思う。
しかし、閲覧数や反応は正直期待したほど伸びなかった。もちろん、私自身の活動量や宣伝が足りていないという理由も大きいが、それ以上に「千年王国って何? ナーロッパ的な異世界とどう違うの?」というハードルが、読者と作品とを遠ざけている気がした。
そもそもキリスト教の話は日本ではまだまだアウェイ。いきなり終末論をテーマにされても、「どう受け止めればいいのか分からない」という読者が大半だろう。
なんなら、私がカルト教団や新興宗教の信徒で、作品を通して洗脳し、入信を迫っていると思われてもしかたがない。
ただのプロテスタント福音派、ただただ終末論が大好きな女だとしても。
やはり専門的な題材を扱うなら、それを「どう楽しめばいいか」を最初に示す文脈づくりが欠かせないのではないだろうか。
キリスト教千年王国ネタの“アウェイ感”を痛感
何を本当にやりたいのか?
大改稿した作品が思うように反響を得られなかったことで、私は自身のモチベーションの源泉を見直すことになった。
つまり、私は何がしたいのか?
「千年王国ネタでひたすら小説を書き続け、自分をブランディングしたい」のではない。
むしろ、「いろんな人が千年王国の世界観を楽しんでくれたり、二次創作をしたり、盛り上がりが生まれてほしい」というのが本音だ。
繰り返しになるが、私はただ「千年王国」というコンセプトのポテンシャルに熱狂しているだけの、アラフォー女だ。
要するに、自分の作品だけが注目されればいいわけではなく、「このテーマにはこんな面白い可能性がある」ということを多くの人に伝えたい。
そのためには、作品単体の完成度だけでなく、千年王国という概念自体を読者にとって“ワクワクできる世界”に変える努力が必要だ。
文脈づくりと世界観の拡張
読者がこのテーマを深く楽しむためには、まだまだ解説や世界観づくりが不足している。
逆に言えば、それを補完するコラムや背景設定の紹介、さらには小説以外のメディア(たとえばコミカライズやプロットテンプレートの提供)など、あらゆる手段で興味を誘う必要がある。
最終的には「読者自身が、千年王国というコンセプトを使って自由に創作できるほど浸透させたい」というのが理想像だ。
キリスト教的終末論に抵抗がある人でも、ファンタジー的アレンジや物語性を通じて「千年王国は、遊べる」と思ってくれたら大成功なのだ。
タブー視されているテーマを浸透させるには
1) ニッチなテーマに必要な“文脈づくり”
世界観のわかりやすい提示:
時代設定(例えば王国紀100年、500年、666年といった具体的区切り)
主な勢力や人物の相関図
ファンタジーの視点を加えて、興味を引く
読者の入り口づくり:
いきなり専門用語を出さず、用語集や導入の解説記事を用意する
難しい神学概念は物語的演出で“体験的”に紹介する
コメディ要素や日常描写を取り入れ、読者の緊張を解く
2) 宗教・思想的コンテンツへの抵抗感や誤解の対処方法
日本では、宗教に対して「怖い」「怪しい」という印象を持つ人が少なくない。そんな読者の警戒心を解くためには、強制や勧誘の印象を与えない工夫が必要だ。たとえば、
あくまで物語として楽しんでもらう割り切りを提供し、必要以上に“正しさ”を押しつけない
“正義”を描くには、それと同じか、それ以上の対抗勢力や個性、闇の存在を描き、対立させる必要がある
ネガティブに捉えられがちな神学用語や終末論を、ファンタジー設定の一部として分かりやすく再構築する
こうした工夫をもって、「ちょっと面白そうだから読んでみようかな」と思う人を増やすべく創作を続けている。
結びに
千年王国という壮大なテーマを扱おうとするほど、「分かりづらい」「思想強いw」「何だか危なそう」という抵抗に直面する。
だからこそ文脈づくりや世界観の解説に力を注ぐことで、作品は独自の存在感を発揮できるのではないかと思う。
作品自体のクオリティも当然大事だが、それだけでは読者に伝わらないテーマは多い。特に神学や専門性の高い題材に挑む場合は、読者を巻き込むための「案内役」としての姿勢が欠かせない。
より多角的なアプローチで千年王国の面白さを広め、最終的には読者がこのテーマで自分も創作したい! と思えるような世界観を築いていきたい。
次回は、こうした文脈づくりを補完するために始めようと思ったウェブサイト構想、いわゆる「ファンタニクル《幻想古典》のホームスタジオ」となる「Wry Wonders」の再始動について書いていく予定だ。
テーマにハマってくれる読者を育てるには、何よりも“受け皿”としての場が必要なのかもしれない。どう工夫し、どんなコミュニティを築いていくのか、引き続きその試行錯誤を共有していきたい。
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