をんなに囲まれる運命
プロデューサー歴 1週間
プロデューサーとして参画することになって1週間が過ぎた。
もはや「仕事を覚える」というフェーズでなくなってしまったんだなぁ。これまでの仕事で覚えたことで、他人の仕事の付加価値を上げる仕事。ざっくりいうとそれが私に求められていることだ。
新しい職場で考えるべきことは、「私は何なのか」だ。
Who am I ? 私は誰だ?
なんで私はここに置かれているんだ?
どういう背景で私は呼び出されたんだ?
求められているポーズ、立ち居振る舞い、所作は何かを間違えないことだ。私の役はなんだろう? 役職っていうよりは、演劇とかの役者に近い。
人を新しく入れるということは、会社内に大なり小なり課題があり、社内のリソースでは解決できない、人材を入れてまでなんとかしなければいけない危機感があるってことだ。
採用ってリスキーだ。お金かかる割に、機械みたいに感情もなくずっと動いていてくれるわけでもなく、社風とか人間関係の合う合わないがあることを踏まえても入れなければいけなかった。人を。
ゆえにこの1週間は、全身の毛を20センチくらいフサフサに伸ばして、全力で社内の人間関係を把握した。
部内の人に話しかけるっていうよりは、もはやほとんど気配を消して、人の動き、発言、表情を読み取る……スパイのように……。
新しい環境に入っていけるかどうかに、特別高いコミュ力はいらない。入社一ヶ月、時には数ヶ月の孤独感・疎外感に耐えられるかどうかだと思う。
他人からこう思われたいみたいな誘惑が湧いてきても、自然な流れで話に入っていけるまでは無理に自分を出さず、それでいて接触がある時は、受け答えや表情で好印象を持たれるように振る舞うことだ。
女、ばっかりだなぁ……
そんなこんなで気を張っていたので、部署に女性が多いことに気がつくのが遅れた。日本の慣例にのっとって、マネージャクラスは男性が多いけれど、プロジェクトを動かしているのは女性たちだ。
もはや驚きもしない。いつも、女性の多い、または強い環境に置かれる。
学校
私は高等専門学校の中退者だ。高専生というと、工学系、男子生徒がほとんど、というのが一般的な認識かもしれないが、札幌にあった高等専門学校はデザイン系だった。英語表記もSapporo School of The Artsだ。略してSSTAと呼ばれていた。現在の市立大学の前身だ。
SSTAは女子生徒が9割。今でいう意識高い系女子の集まりっていうよりは、「アートディレクター」が流行っていた時期なので、モッズっぽいっていうか無印良品ぽい聡明な女性たちが集まっていた。
女子校みたいな、あけっぴろげ感はなかった。
家族
母親は五人姉弟で、女性が四人、男性が一人の構成だ。
北海道という土地柄は、女性の自立心が強いという。だからかは知らないけれど、母親含め、四人の姉妹のうち三人が離婚を経験している。
母の実家も、おばあちゃんがめちゃくちゃ強い主導権を握っているように見えた。
職場
これまで6つの職場を経験してきたが、5つの職場で女性の多いチームに配属されたり、女性と関わることの多いプロジェクトに参加した。
残る一つは一ヶ月でやめた前職で、オヤジばっかりだった。
オヤジ勢に違和感しかなかったのも、女性濃度の高い環境に慣れていたからかな。
教会
日本でのクリスチャン構成比は1~2%と言われている。ほとんどの人が教会の内部なぞ知る由もないだろうが、肌感では女性信者の方が割合多い気がする。少なくとも私が参加している日曜礼拝では9割が女性だ。
教会の教派によるかもしれないが、同性の仲良しグループができる。若い世代は合コンみたいなノリで男女でつるむこともある。適齢期で結婚にこぎつけるのは、クリスチャン家庭で育った、あるいは若い時に決心した(洗礼を受けた)若者たちに多いような気がする。
同性同士にしかサポートできないことがあるので、教会では婦人会とか女子会みたいな集まりを作ることも多い。異性の目を気にしなくていい状況になれるとラクだ。
クリスチャン女性はやはり基本的には謙遜で優しいので、あからさまにマウンティングしてこないのもいいなぁと思ってる。
東京にいる時に参加してたグループは、メンバーがみんな結婚適齢期をむかえていて、一人が結婚すると核融合のように次々結婚していった。
私にもこの波くんのかなあ? とワクワクしてたけどなんもこんかった😆笑
やはり結婚となるとみんな浮き足立つわけで、ちょうどそのタイミングで、末期がんの父がいよいよ危篤状態になっていたため、「喜ぶ人と共に喜べ」るわけもなく、付き合いからは距離をおいた。
父を看取りロスを癒しているうちに、今度は飼い猫が次々死に、過労になり、失業し、貧困にあえいでいたので、教会での人付き合いがまたできそう、と思い始めたのはつい最近のことだ。
起こるだけのことが起こってしまうと、人付き合いの中で少しでも幸せそうに見られたいとかどうでもいい、適度にその時必要な温度さえもらえればいい、と思えるようになるもんだ。人に期待しないで神に期待するようになる。
女性との付き合い方
男性経験はさておき、女性経験は豊富だ(言い方)
仕事においては、販促とか企画には女性特有のしなやかなコミュ力みたいなところが活かされる場面も多い。営業職の懐に飛び込む力技みたいなのとは違う。コミュ力といっても種類があるのだ。
女性の世界で生きる中でも、ポジショニングは様々ある
私の得意なポジショニングは、「姉御肌の庇護のもと、おつかいをこなしながら信用を積み重ね、自分のやりたいことをやる」だ。つまりは妹的ポジションだ。
いっぽうで苦手なポジション、強みを発揮できないポジションがある。
なまじ人を読むのがうまいだけに「自分が一番でいたいだけのかまってちゃん系女性に無駄な憐れみをかけて、必要以上にへりくだり、こき使われてるような図式に陥りやすい」ということだ。
でも私はそこで終わらない。呼吸のように努力を積み重ねられる。結局のところいつかは実力で上回ってしまうので、そいつの下にいることが窮屈になる。檻を突き破れなくてだんだんとフラストレーションが溜まっていく、あるいは結局のところ反旗を翻した途端、かまってちゃんは「え?」ってなり、嫉妬にかられて陰険な争いをしかけられ、心身ともに消耗する……というところまでがセットだ。
こんなことなら、はじめからかまってちゃんを眼中に置かない方がよかった。
「努力するの好きです。仕事大好きです。私はここで終わる女じゃないんです」っていうのをさらけ出して怖がられてるほうがよかった。
繰り返しになるが、「はじめから自分自身でいた方が最終的にラク」だ。
女性社会で生きることは、「女性から嫌われないようにうまく立ち回ること」と「ある程度は自分を出す」ことのバランスの上に成り立っている。
「女性から嫌われないように」っていうのは、「キーパーソンになる女性から」っていうことだな。
キーパーソンになる女性のタイプだっていろいろあるわけで、法則にできないだろうけど、今まで割とうまく行ってきたのは、下のようなことを心がけたからだ。
キーパーソンに設定した人には100%に近い忠誠心を発揮する。
キーパーソンに接触する時間は可能な限り削減する。
味方はするけど、つるむのは最小限に、だ。
相手が気分的にこっちを向いてるなぁ、今私のこと大好きなんだろうなぁ、というときほど、境界線はしっかり意識する。
男どうしでも通用するのだろうか?
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