私が"ヴィジョン"にこだわる理由
ヴィジョナリーライフストーリー作成1DAYセッションが開始されます〜
100人まで投げ銭制、という新しい試みでして、
すでに「気になる」と個別連絡をいただいたりして、引き続き興味を持っていただけて嬉しい限りです。
資料も大作なものが出来上がり、なんと71枚になりました!
これを作りながら、
私のヴィジョンこそが「情熱を解き放つ社会を創る」なわけですが、まさにこれこそが私の「情熱の分野」なんだな〜と思った次第です。
つまり、この資料を作りながら、私自身、一人一人の「ヴィジョン」を明確にしていく、ということに並々ならぬ「情熱」があるなぁ!と思ったのです。
私は、誰もが「情熱を解き放つ」状態で生きてほしいと願っています。
そして、その「情熱を解き放つ」状態というのは、まさに「ヴィジョン」が明確である状態なのだ、と信じて疑わないからです。
今日は、私が、人が情熱を解き放つには、「ヴィジョン」が明確になることだと確信している理由、「ヴィジョンが明確になるには、何をどうしたらいいのか」を研究し続けている理由を、書いてみたいと思います。
「ヴィジョン」というのは、「人生の目的地」である。
最初に質問です。あなたは何のために生きていますか?
おっと。いきなり、答えにくい質問でしょうか?
「生きる」「ただ生きる」
それもありです。
でも、あなたの人生が、もし、行き先を決めない旅だとしたら、、、
どの飛行機に乗ればいいか、わかりませんよね?
右か左か、はたまた、季節もわからないので、どんな服を用意したらいいか、わかりませんよね?
「お金を稼いで楽しみ尽くして生きる」
という回答を仮に用意しましょう。
お金を稼いで、「何を」楽しむんですか?
あなたは死ぬ時、「何を」「どのくらい」楽しんでいたら、後悔しないのでしょうか。
例えば、高級レストランで食事をして、高級ホテルに泊まりまくる。
海外旅行もハイクラスで行きまくる。オシャレもしてカジノもして、あらゆる趣味のかぎりを尽くしたりする。
欲望の限りを尽くしたとして、それで、あなたの人生のゴール時、死ぬ時、幸せなのでしょうか。満足なのでしょうか。
あなたの人生の目的地は、具体的に「何を」楽しむところにあるのでしょうか。
もちろん、あなたが本当に情熱を傾け続けられるものがあって、それをやれさえすればいい!その情熱の海に埋れて死んでいけるなら本望だ、というのであれば、それはとても幸せだし、ヴィジョンとして悪くないと思いますよ。
例えば、サーフィンが好きすぎるから、サーフィンが週3以上できる人生にする、そのために海の近くに住み、サーフィンが出来なくなるほどの仕事はしないんだ、そうやって、サーフィンに命を捧げるために生きている。
っていう回答はとっても意志があって情熱もパワーも感じて、素敵だと思うんです。
でも、多くの方は、「そこまでたった一つの何か」に情熱を注げるってなかなかないのではないでしょうか。
いいな、と思っても、一時的な好きで終わるとかだと、「推しの〇〇に生きてます」というのは、ちょっと違いますもんね。「推し」も歳を取るだろうし、30年後も、50年後も、”その人のために”生きているか、なんてわからないですよね。
目的地なく動くイカダの運命
イカダは、このイラストは帆がありまして、必死に漕いでいますがが、それでも小さくて目的地へ確実に行く能力がありません。おそらく、海の流れに逆らえるほどの力がありません。
だとすると、イカダが待ち受ける運命は、海の海流、渦となっているところに抵抗する力がないので、いずれ藻屑となって海に消え入ります。
そう、どこにも辿り着けないのです。
「なんのために生きるのか?」「どこに向かって生きるのか?」
この質問に答えられないということはつまり、
「ヴィジョン」なしで生きている、是すなわち、
「目的地不明の人生の旅を生きている」、是すなわち、
イカダに乗った人生を生きている
という状態なんです。
はい、結末はどうなりますか?残念ながら、海の藻屑に流されていきます。
長らく私もイカダ人生でした
私も、会社員の生活から脱却したくて30歳の時に、退職・独立しましたが、何も「ヴィジョン」が描けていませんでした。
ヴィジョンがない、目的地がない、だから常に違和感だらけ
よく起業塾とか行くと、自分の棚卸しをして、「自分が一番お金と時間をかけたこと」が何かを聞かれるので「英語の学習」がその時、一番お金と時間をかけたものだったので、それを商品サービスにしようとしました。
が、何か違和感がある。
「これ、私がやりたいことだったっけ?」
苦しくなってしまって次にやったのは、日本の製品を海外で販売していく、という事業でした。だがこれもピンと来ず。
せっかく仕入れた商品も、他の事業者の方に譲りました。
他にも手をつけた事業はあるのですが、どれも散々な結果になりました。
色々できる人ほど器用貧乏(心の貧乏)になる
結構、会社員自体に身につけたスキルが高い人ほど、やれてしまうだけに、やっても幸せにならないという心の貧乏の器用貧乏に陥りがちです。
出来ること、自分の「今」のスキル・経験でお役に立とう、とすると、そこに引っ張られて、本当に自分の心が望む未来に繋がっているのかの吟味ができなくなるので、心は苦しいのに、下手に優秀で出来てはしまうから、やり続けてしまう、ということになってしまう。
どうやって自身のヴィジョンを見つけたのか?
最初のきっかけ
そんな風に、色々やってみるのに、情熱が続かず、結局、結果が出る前に辞めてしまう。やりきれなくて、心がついてこなくて諦める。
実はそんな時期が3〜4年続きました。
自分はなんて根性のないやつなんだ、自分はなんてダメなやつなんだ。そうやって自分を責めて、ますますセルフイメージが下がる日々。
そんな時、最初のきっかけは、「ヴィジョン」を見つけるという3時間のセッションを受ける機会があったこと。その当時は「理念を作る」というセッション名でしたが、その時に目から鱗なことを言われたのです。
私は、その当時、「障害者のきょうだいである」という自分の側面を誰にも出していませんでした。「その"きょうだい"であるということも一因で、パニック障害を患ったことがある」ということも、誰にも開示せずにいました。
ところが、3時間のセッションの最後の30分くらいになって、私が、ポロッと「うちの妹が障害者なんです。それですごく苦しくて辛い思いをした。パニック障害にもなった」と言った時に、目の前にいたコンサルタントさんが、目を見開いて、「そんな大切なことを、なぜもっと早く言わないの、、、」「あなたにとって、とても大きな出来事で、あなたの価値観を形成しているはずなのに」というようなことを言われたのです。
今まで、私は、自分の人生の薄暗い部分は、きっと重たいから開示しないほうがいい、と思い込んでいたんですね。
でも、「ヴィジョン」=「人生の目的地」を探すときは、その人が一番に感じたであろう「痛み」の経験こそが、お役目として与えられており、人生の目的地を示してくれる、ということだと、後からわかりました。
そう考えてみれば、私は、妹から、妹が症状を発症して障害者手帳をもらう中で、たくさんの気づきも得ましたし、それによる他の人が到底経験しないであろうことも体験し、価値観も世界を見る視点も、きっと、私でしか得られないものが自然と見についていると思います。
そうか、そこにこそ、私が私である理由があるのか、そこにこそ、私が目指すべき道のヒントがあるのか。
やっと最初の関門を突破した瞬間でした。
もう一つの大事な要素
せっかくそのヴィジョンを描く3時間のセッションをしても、私はまだ、狐につままれたような気持ちでいて、長らく、自己開示、しかも自分にとっての一番の闇の開示が、未来の道、私の人生の目的につながる、ということが、腑に落ちていませんでした。
それもそのはず、私は、ヴィジョンを生き切る身体が整っていなかったのです。
33歳と2ヶ月の頃。身体がだる過ぎて、思うように動かなくなりました。偏頭痛の頻度も高く、毎日を生きるのが辛い感じ。
アーユルヴェーダの先生のところに駆け込んだところ、胃腸が消化不良を起こしていて、食べても栄養が吸収されないし、排出もされないから身体がだるい、と。食生活を改善していくこと、オイルマッサージで身体から毒素を排出していくことを勧められました。
この治療を続けて3年ほどたっとき、自分の身体と心と魂が一つになるような、がっちり全てが繋がり、「ああ、私は何があっても大丈夫だ」という最大の自己信頼感を得たのを覚えています。
そうした時に、やるべきことが降りてきて、映画を作るプロジェクトに至ります。
ヴィジョンを作る要素
自分の一番辛かったと思える体験とそれを乗り越えた軌跡は、とてつもないヒントです。あなたがそこで、「幸せとは何か」を掴んでいるのです。
そう、ここがポイント。「幸せの定義」が重要なのです。
人は、誰もが幸せになるために生まれています。
そして、誰もを幸せにしたいと思っても生まれています。
だとしたら、あなたの唯一無二性が発揮されるのは、
あなた独自の「幸せの基準」なのです。
自分だけのために生きても、人は幸せを感じにくいと言われています。
だから、誰かを幸せにしたい。
これは全人類共通。
でも、あなたがあなたの独自性を発揮するのは、「どんな幸せ」を提供したいのか、に個性が現れるのです。
美味しいものを食べるときの幸せ を提供したい人なのか
心健やかに生きるというメンタルの健全性の幸せ を提供したい人なのか
我慢せず選択できる稼ぎを得る幸せ を提供したい人なのか
あなたにとって譲れない「幸せ」の定義が見えた時、それがあなたである必然性が見えた時、ヴィジョンは見えてきます。
ヴィジョンとミッションの違い
これも誤解している人がとても多いので書いておくと、
ヴィジョンとミッションは別物です。
ヴィジョンは、人生の目的地であり、映像として見える未来予想図です。
ミッションは、ヴィジョンを実現させるためにやること(使命)です。
これをごちゃごちゃにすると、いや、世の中では、結構、定義が曖昧なわけですが、こうして分けないと、わからなくなります。
ヴィジョンが似ていても、使命が異なる人はいるし、
使命が似ていても、ヴィジョンが異なる人はいます。
みまの「幸せの定義」は「情熱を解き放っている状態である」なので、まだ情熱を見つけてない人とかを見ると、「ああなんて勿体無い!」とスイッチが入ってしまうw 解き放たれるのを待っている情熱があるのに!その情熱を解放してあげたい!!と思ってしまう。
つまり、みまのヴィジョンは、「誰もが情熱を解き放つ社会」なのだけど、
ミッションは「情熱を解き放つことを妨げる全てのことを取り除く」なんでうよ。わかりますかね?
そして、みまは、ナチュラルに研究してしまうのです。「どうしたら目のための人の情熱を解き放つことができるのか?」を
そして、本当に、目の前の人の「情熱が解き放たれた!」という瞬間を見るのが、最高に嬉しくて、人生のご褒美なんですね。
それはもう、報酬もいらないくらい、ただでもいいからその現場にいたい、というぐらい。
そして、目の前の人が「情熱を解き放つ時」というのは、
自分だけの「ヴィジョン」を見つけた時であり、その人が、「ああ、こういう人のこういう幸せに貢献したいんだ!!!」という誰のどんな幸せに関わりたいのかが明確になるということなんですね。
はい、ここもポイント。
ヴィジョンに生きるというのはあなたの幸せの定義に自分自身が貢献できたという自己効力感があること
ちょっと文字では理解が追いつかないポイントに入ってきましたよ。
はい、この辺でだんだん「???」となったかもしれません。
でも、その一方で、あなたもまた、自分の「情熱を解き放ちたい!!」「自分の人生の目的地を発見したい!」と思ったのではないでしょうか。
ならば、ぜひ、投げ銭企画中にお越しください♪
これから日程も追加していきますが、今後はLINEで追加日程を発表していくので、是非ともLINE登録もお願いいたします♪
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