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幽霊作家㉑

 何とか原稿を送ったあの日から、僕達は平穏な日々を過ごしていた。

 昼間はゆめさんの手伝いをしつつ、ゆめさんの手が止まったら、気分転換に連れていく。

 日が落ちる前に作業を終えて、夜の時間をテレビを見たり、話したりして過ごしてから、ベッドに横になる。

 次の締め切りだが、最終巻と言う事で四か月以上もある。時間に余裕があるためか、執筆中に文句を言われることはなく、ゆっくりだが着実に文字が物語になり、二か月が経つ頃には、九割書き終わっていた。

 最終巻とは言え、ほぼ一冊分のストーリーを読んで分かる。ゆめさんの小説は面白い。

 ゆめさんの言葉を聞きながら、続きが気になる場面がいくつもあった。

 殆ど文章に触れていなかった僕が面白かったと言う事は、文章としては簡単なのだろう。敢えて読みやすい言葉を使っているのか、こういう風にしかかけないのかはわからないけれど、本が苦手な人もすらすら読めるのは良い事なのだと思う。

 今日も執筆の予定だったのだけれど、パソコンをつけようとする僕を、ゆめさんが制した。

「締め切りまで、あと二か月以上あります。小説もほとんど完成したと言っていいところまで来ました。

 だから、萩原さんが私に書いてほしいって作品の事、もう教えてくれますよね」

「答える前に、ゆめさんに訊きたいんだけど、どの段階で未練がなくなったって言うのかな? この作品を完結させられなかったことが未練だ、って言っていたよね。

 それって、書き終わった直後なのか、店頭に並ぶまでなのか、売れ行きを確認してようやくなのか、ゆめさん自身は分かっているの?」

「私が満足したら、だとは思うんですが、自分でも分からないですね」

 書き終わってすぐ成仏する可能性は、捨てきれない訳か。だとしたら、頃合いなのかもしれない。

「僕の事について書いてほしいんだよ」

「萩原さんについてですか?」

「小学生の頃から、今日にいたるまでの僕を題材にして欲しいだけど、駄目かな?」

「私に自伝を書け、という話なら、できません」

「ゆめさんは小説家だから、頼むのは小説だよ」

 ゆめさんの名前を借りたいのに、自伝を書いて貰ったら、ゴーストライター使いましたと宣言しているようなものだ。

 なにより、萩原稔という名も知れぬ一般人の自伝など、誰が読むのだろうか。

 ゆめさんの表情は硬いままで、何か言い難い事があるかのようだ。

「引き受けるかどうかは、萩原さんの話を聞いてからでもいいですか?」

「ネタとして、面白く無いといけないんだよね」

「はい。私も小説家の端くれですから、面白く無い話を作品にする気はありません」

 ここまで話して、ようやくゆめさんの表情が和らいだ。

「ですが、幽霊の手伝いをしている時点で、面白いと言えば面白いんですけどね」

「こうやって手伝っている以上、成仏の手伝いをしている人は割と多いのかもしれないけど、話に聞いた事はないね」

「しばらくは、完成させない程度に私の作品を進めつつ、萩原さんの話聞かせてください。

 おそらく、一か月ほど設定を練ってから、書き始める事になると思いますので、何か外せない要素があれば、早めに言っておいてくださいね」

「了解。とりあえずは、主人公を僕にしてくれたら良いかな」

 書いてほしい事は尽きないけれど、すべての要素を取り入れたら、きっと収拾がつかなくなる。だから、ある程度は頑張ってもらうにしても、基本はプロの判断で取捨選択してほしい。

「話も纏まったところで、マスターさんの所に行きましょうか」

「マスターの所に?」

 この話の流れで、どうしてマスターの名前が出るのか分からなくて、怪訝な顔をする。

「この前のコーヒー無料券も使っていませんし、二か月も行っていないですから、心配するんじゃないですか?

 あとは、小説を書かないといけませんから、萩原さんの観察です」

 最初の二つはともかく、僕の為と言われたら行かざるを得なかった。

 二か月ぶりにやって来た、飲み屋街の喫茶店には、やはり人は少なかった。

 しかし、僕の知っている頃とは違い、カウンター席には誰もおらず、テーブル席に一人ずつと言った具合。

 退屈そうに頬杖をついていたマスターが、僕を見つけた途端、嬉しそうに顔を上げる。

「よう萩原、久しぶりだな」

「一応客として来ているんだけど」

「いらっしゃいませ、ご注文はいつものでよろしいですね」

 どうやらこちらに決定権はないらしい。普通に対応されたとしても、いつものを頼むのだが。

「いいよ」と軽く返したいところだけれど、確認の意味も込めて、財布から暗号付のマスターの名刺を取り出した。

「これ使える?」

「お、解けたんだな。何回使う?」

「回数何て書いてたっけ?」

 首を傾げる僕を前に、マスターが『五十一』と書かれた部分を指さした。

 まさか五十一回も使えるのか、と信じかけたところで「冗談。一回だけだよ」とマスターが背を向けた。


#小説 #創作 #1話目 #オリジナル #ミステリ風

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