幽霊作家㉔
ゆめさんに言われていった旅行から、帰って来た次の日。
今日は何も予定はないとの事だったので、マスターの喫茶店にやって来た。
カウンター席に座り、名も知らぬいつものコーヒーを傾けつつ、マスターに語り掛ける。
「真面目な話をする時って、どう切り出していいか分からないよね」
「俺と真面目な話をしたいのか?」
からかうようなマスターの反応は、全く真面目な話をする気がないと見える。
「マスターに話すことはないんだけどね」
「俺の時はどうしてたっけか」
「ああ、マスターが良く僕に相談していた時ね」
「あの時は真面目な話だっただろう」
こうやって店を出すにあたって、出すべきか出さざるべきか、くらいから相談を受けていたから、真面目じゃない方が可笑しい。僕の側としては、具体的な話も無かったので、ここまで大きな話だとは知らなかったのだけれど。
「マスターの方から、いきなり電話がかかって来て、えらく真剣だっただけなんだけど」
「じゃあ、萩原も真剣に話したらいいんじゃないか?」
「改まると、なんか言い出しにくいんだよね」
ゆめさんも急に真剣になって僕の仕事の事を尋ねてきたけれど。いざ自分がするとなると、何かのきっかけが欲しくなる。
「萩原がそう言うなら、タイミングが来るのを待つしかないだろ」
「だよね」
語尾を伸ばしてやるせなさを表現する。
隣で、目の前に置かれたコーヒーカップに何かできないか、と試しているゆめさんに話したい事なので、真面目に、ではなくても早く伝えてしまうのもいいかもしれない。
「ところで、やっぱり隣を陣取るんだな。しっかり椅子まで引いてさ」
「コーヒー二杯頼んでいるから、許してよ」
「コーヒー好きとしては、二杯とも味わってほしいんだが」
「……ちゃんと飲むよ」
ゆめさんが飲めたら、せめて味を感じることが出来たらとは思うのだけれど。
「幽霊が居るんじゃなかったのか?」
「居るよ。飲めているのか分からないけど」
マスターがからかうので、本当の事を言う。マスターは事実だとは思っていないだろうけれど。
話を聞いていたゆめさんが「味もしないです」と、僕の方を見る。
「味もしないって」
「コーヒーを味わうことは出来ないなんて、幽霊も大変だな」
なんともマスターらしい感想に、笑いが洩れる。
マスターは乗ってくれているけれど、本当に幽霊がいると知ったらどんな反応をするのだろうか。
益体のない事を考えていたら、ドアベルが鳴って、別の客が入ってくる。
声から察するに、男性二人のグループで、一人が「今日の商談は上手くいったな」と機嫌が良さそうに大きめの声を出し、もう一人が「流石です」とへつらっているので、営業に出ていた上司と部下のペアなのだろう。入ってくるなり、大きな声を出す男性に良い印象は持てなかったので、様子を窺いつつマスターを手招きする。
「何かあったら」
「守るのは従業員、だろ?」
ひそひそと、僕とマスターが話している間に、今宮さんが注文を取りに行く。
マスターに注文を取りに行くよう言えば良かった、と思っても後の祭り。
穏便に済むことを祈って、今宮さんの様子を窺う事にした。
しかし悪い予感と言うものは当たるもので、注文を取っている今宮さんを壮年の男性が品定めでもするかのように眺める。
注文を取り終え、こちらに戻ってこようとした今宮さんを、上司と思われる方の男性が「君」と引き留めた。
「どうなさいましたか?」
「君、バイトだろう?」
「はい、そうですが……」
「学生か?」
どこか上機嫌で、厭らしい男性客とは対照的に、今宮さんはやや怯えたように見える。
「いえ、バイトをしながら、漫画家を目指しています」
「へえ、漫画家ねえ。漫画なんて描いて何になるの?
そんな意味分からない事するくらいなら、ちゃんと就職した方が良いよ?
自分の子供が、漫画家になりたいなんて言い出したら、オレは子供の神経を疑うね。同じバイトをしながらだったら、資格を取らせるよ」
怒りからなのか、恐怖からなのか、今宮さんが下を向いて震えている。
聞いている僕も、内からどす黒いものが湧き出してくるのが分かった。
助け舟を出す前に、大きく深呼吸をして冷静になろうとしていたら、幸いにも男性の注目がこちらに向く。
「そこの君もそう思うだろう?」
「僕ですか?」
答える前にマスターに目で合図を送る。
「そうそう」
「僕としては、彼女は偉いと思いますけどね。自分は今無職ですから」
先ほどまでは軽く話を振って、同意を得られればいいと思っていただけだろう男性が、今宮さんよりも立場の弱そうな獲物を見つけて、完全にこちらを向く。
男性の視界から外れた今宮さんを、マスターが裏に連れていくのが見えたので、一応ミッションコンプリートだろう。
「無職って、君。学生って年齢でもないだろう?」
「そうですね。卒業してから、三年以上たったんじゃないですかね」
「三年も無職してるのに、こんなところでフラフラしてるとか、君の両親に同情するよ」
男性がわざとらしく、でこに手を当てて、天井を仰ぐ。
饒舌な男性の話は既に間違っているけれど、何も言わずに耳を傾ける事に徹した。
――――――――――
(作者別作品宣伝)