幽霊作家⑥
帰りの電車も人はほとんどおらずゆめさんと話しても問題なさそうだったので、気持ちを静める意味も込めて声を掛けた。
「一人で住むには大きい家だったね」
「あの家って元々空き家だったんですよ。部屋を探している時に異様に安かったので、買っちゃったんですよね」
「部屋余らない?」
「余りませんよ。今日萩原さんに入ってもらった所と、寝室と、客室と、あとは全部本棚みたいになってます。すべての部屋の本棚が全部埋まっていたってわけではないですが、死ななければ増えていったと思いますしね」
値段はともかく、一戸建てを買って住んでいるのだから、やはり名のある作家なのだろう。続いて三つあったパソコンについても尋ねてみる。
「何でパソコンが三つもあったの? というかデスクトップは良かったの?」
「パソコンの中で一番どうでもいいのがデスクトップですから、大丈夫ですよ。
調べ物とか、ネットショッピングとか普段使い用ですね。小説に関連しないこと全般です。
一番小さいのが執筆用のパソコンで、インターネットには繋げられないようになっています。持ち運びが簡単で、数日家を空ける時でも持っていけて便利なんですよ」
「ノートパソコンは?」
ここまで来たら全部説明してくれると、思ったのだけれど、ゆめさんは何故か照れたように笑って、話すのを躊躇っているようだった。
「ノートパソコンは、連絡用ですね。編集さんとやり取りをするためだけのパソコンです。メール専用って事ですね。他の作家さんも、執筆用だけのパソコンを用意したりするらしいですよ」
持て余しているという自覚があったからこその照れだったのか、と納得する。
だが、インターネットでの情報流出が世間を賑わせる事もある昨今、対策に対策を重ねる事は必要かもしれない。特にゆめさんは慎重な性格のようだから、理由を聞けば違和感もない。
あとゆめさんの家で気になったと言えば、藤野御影だろうか。何となく覚えのある名前なのだけれど、と思い頭の中で漢字からひらがなに直してみる。ふじのみかげ、だろうか。
なるほど、最初にゆめさんが呟いた謎の人物と同じなのか。
せっかくなので携帯で検索してみる。ゆめさんのペンネームかだろうかと、思ったが簡単に出てきた情報によって否定された。
藤野御影は、デビュー二十数年の四十五歳。女性作家で、ジャンル問わず様々作品を書いている。デビュー後数年はベストセラーを何作も出すような人気作家で、中には僕も読んだことのある作品もあった。
徐々に人気が落ちていったけれど、何年か前にまた人気が再燃し始めたらしい。
写真も見ることが出来て、実年齢よりも若く押しが強いような印象を受ける人で、ゆめさんとは似つかない。
きっとゆめさんの憧れの作家なのだろう。
「何しているんですか?」
「ちょっと調べ物をね」
ずっと携帯の画面を見ていたせいか、ゆめさんが退屈そうな顔をしていた。
別に退屈なら横から覗いてくれてもよかったが、人の調べ物を覗いても面白くもないか。
ふーん、と口を尖らせんばかりのゆめさんを見ていたら、一つ疑問が生まれた。
「ゆめさんって、夜はどうするの?」
「今までは適当に飛び回っていたんですよね。夜中でも明かりのついている家ってありますから、ちょっとお邪魔して何をしているのかなとか覗いたり、一緒にテレビを見ていたり、動画を見ていたり。
多いのはスポーツ観戦とか、動画の視聴ですね」
「今日からは、そういうわけにはいかないと思うんだけど」
「困りましたね。これから毎晩何をするでもなく、ボーっとしているのは無理だと思いますし、萩原さんのアパートくらいは移動できると思うので、夜更かししている人がいる事を期待するしかないです」
どうにもならない時には、テレビをつけたまま寝るくらいはしてあげようか。ワンルームなので、配置を考えないといけないけれど。
「どうしようもなかったら、萩原さんの寝顔を見て暇をつぶすしかなさそうです」
「それは止めて。どうしようもなかったら、テレビつけるから」
「寝顔を見られるの嫌なんですか? 女の一人暮らしの家に入った時は意識していなかったのに」
その二つにどういう繋がりがあるかはわからないけれど、仕事場のような部屋を見て意識する方が難しいと思う。
「女の子の部屋には、何度か入った事あるから」
「何か意外ですね。プレイボーイってやつだったんですか?」
「そんなに器用じゃなかったよ。短大時代に飲み会の後、まともに歩けない人を家まで送って、寝るまで介抱したり、愚痴を聞いたり」
「つまり、男として見られていなかったんですね」
「信頼されているって事でもあっただろうから、嫌ではなかったよ」
頼ってくれること自体は、素直に嬉しかったし。短大の時に仲良くしてくれた人とは、時折連絡を取っている。
「信頼だけでは、食べていけませんよ。使えるものは使うべきです」
「おっしゃる通り」
いきなり不機嫌になったゆめさんに、同意する。実際にまだ連絡を取っているからと言って、一文にすらなっていない。お金を貸してほしいと言えば、貸してくれる人もいるだろうが、借りないといけない状況になった時点で僕に返す当てはないだろうし、信頼は失うだろう。
生きるためには仕方ないと割り切る事も出来るだろうが、僕は生活よりも友人を選ぶ。
向こうから離れていく分には仕方がないが、こちらから裏切る事はしたくない。
人脈とも言えるが、こちらとしては損得で付き合っていないし、考えたことも無かった。
僕の事は置いておいて、ゆめさんの機嫌が悪くなったのは予想外だ。気づかぬうちに失言したのだろうけれど、これからもこういう機会は増えるだろうから、出来るだけ気にしないように流れる景色に目を移した。
家に入る時には、太陽が沈みかけていた。電車から降りて此処に来るまで、ゆめさんからは話しかけ辛い雰囲気が漂っていた。
電車に乗っていた時と違うのは、怒っているというよりも、考え込んでいる感じだと言う事か。
とりあえずいつもの格好に着替える――かつらとマスクは、駅のトイレで既に外している。不機嫌そうなゆめさんに言われて、行った行動だけれど、それ以降は一言も話していない。
「このパソコンを使って、編集と連絡を取るんだよね?」
このまま双方だんまりでは、互いに気分が良くないだろうから、当たり障りのない所を尋ねてみる。
ゆめさんはじっとこちらを見てから、「明日にしましょう」と首を振り、それよりもと続けた。
「さっきはすみませんでした」
「なんのこと?」
「電車で機嫌が悪くなった事です。萩原さんの考えが私には受け入れられなかったとは言え、感情的になる必要はありませんでした」
ゆめさんは殊勝に頭を下げるけれど、僕は首を横に振る。僕の考えは社会に適合していないわけだから、否定されるのは当然なのだから。
「自分の考えを相手に植え付けるために、強い口調や言葉を使って相手をの自信を挫くのは、仕方のない事じゃないかな」
「そんな事、考えていません」
強い口調で言った後で、ゆめさんは自分の口を押えて考え始める。
もちろん口調や言葉だけではないとは思うけれど、会社が従業員を、上司が部下を自分の思う通りに動かすために、少なからずやる事だと思う。
周り皆残業しているんだから、お前も残業すべきだ、みたいなところから、残業はやって当然だと言う考えを押し付けるように。
「さっきも仕方ないって言ったけど、現社会において正しい行動だと思うよ。
現実に社会は回っているんだし、上司や会社の思う通りに動く人間が評価され、出世をしているんだから」
「今の話は萩原さんの考えではないですよね」
「社会に触れて僕が考えた社会の形だから、僕の考えではあるね。
でも考えられても、納得は出来ない。僕としては一方的に押し付けるんじゃなくて、とりあえずはお互いの考えを聞くべきで、話し合いは対等に行うべきだと思う」
対等でなければ、押し付けているのと変わらない。
先ほど謝ったためか、ばつが悪そうな顔をしていたゆめさんだったが、ぶっきらぼうに「理想論ですね」と切り捨てる。
肯定するでもなく、否定するでもなく、曖昧に笑って返したら、もの言いたげなゆめさんが首を振って「ちょっと、他の部屋を見てきます」と壁の向こうに消えていった。
いつもの静けさが戻って来た部屋で、ゆめさんのパソコンの中を見る事も出来たが、自分の信条を反故にすることをする気にもならずに、食事の邪魔になるので少し移動させるのに留めた。
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