幽霊作家㉙
季節も夏に差し掛かって来たこの頃、日差しに当たると流石に暑い。
空を見上げるまでも無く、遠くの山の真上辺りに入道雲も出来ていて、見た目としても夏らしさが出てきた。
とは言ったものの、夏と呼ぶにはまだ早く、暑さは日に日に増していくだろう。
僕の服も半袖に変わったが、ゆめさんの服装は春に出会った時のままだった。
わずかでも涼をと思い、遠回り覚悟で川沿いの道を歩いている時に、ゆめさんに尋ねてみた。
「純粋な疑問なんだけど」
「何ですか?」
「ゆめさんって、服とか変えられないの?」
「私が年中似たような恰好をしていたせいか、変えられないんですよね。
自分の中でしっくりきていたら、駄目なのかもしれませんし、そもそも変えられないのかもしれません」
幽霊の基準だとしっくりくるとか、いつもと同じ状態というのが一つのポイントなのか。
キラキラ光り、時折白波を立てる水面を眼下に見下ろす。
半袖の子供がバシャバシャと水を蹴りながら遊んでいる姿や、釣糸を垂らしている老人の姿もあり、心が穏やかになっていくのが分かった。
「一つ、質問をしてもいいですか?」
「いいよ」
「萩原さんをモデルにした小説で、萩原さんは何を伝えたいんですか?」
「僕のような人間を、二度と作ってはいけない。かなあ……」
僕のような人間になっても幸せにはなれないと、死ぬ前に出来れば少しでも多くの人に伝えるのが、最後に僕がやりたい事だから。
ゆめさんは何か言いたそうに、こちらの様子を窺った後で、諦めたようにため息をついた。
「まあ、感じ方は読み手次第ですからね」
「来る前に訊きたいと言っていたのは、今の質問?」
「はい。そろそろ、文字に起こさないと。締め切りまでに書き上げた方が、今後動きやすそうですからね」
「どんな話にするつもりなの?」
「ここ最近起こった事を、だいたいそのままって感じですかね。
折角ですし、ゴーストライターの件も書こうかなって、思っています。話を進めるにあたって、イレギュラーがあると展開が楽になりますから」
「ゆめさんが、イレギュラーでゴーストライターだ、と。これ以上にないくらいピッタリだね」
「幽霊で作家でゴーストライターですからね。我ながら、ネタに溢れていると思いますよ。
他の登場人物も含め、脚色して、名前も変えて、誰が誰だか分からなくしますし、例えばマスターさんの職業を花屋さんとかに変えるくらいの事はしますが」
マスターが花屋だとしたら、僕は花屋に通い詰める男になるわけか。
月一回ペースだから、良く行く程度かも知れないが、その辺はゆめさんのさじ加減。
「でも、萩原さんだけは、そのままの性格で書いていいんですよね?」
「何だったら、名前もそのままでもいいけど」
「萩原さんについては、萩原さんにお任せしますので、私が書き始めるまでに決めておいてください。
執筆中も出来る限りは萩原さんの意見を入れますが、買い手がいる話になるので、どうしても話の面白さを優先しないといけない事がありますから、ご了承ください。
そう言えば、何処に行くんですか?」
ゆめさんから質問が出た時には、川沿いからだいぶ外れていた。
「ハードディスクとか売っていそうなところかな」
要するに家電量販店なのだけれど、ゆめさんは理由まで察してくれたようで「バックアップを取るんですね」と話を進める。
「可能な限り、ゆめさんのパソコンは、表に出さないようにした方が良いと思ってね」
「私も同意見です。手元に原データがなければ、改変される可能性は否定できませんから」
「あと、まだ発表していない作品については、権利をこちらに確定させたいんだけど、何かいい方法ないかな?」
素人考えだけれど、人気作家を相手に喧嘩を始めるようなものだから、地盤は確実に固めておきたい。行動するときには、相手がどんな行動をとっても既に手遅れの状態にしておくのが、理想ではある。
ここまで念を入れる必要はないかもしれないが、どうせ時間はあるのだから、しないよりはした方が良い。
ゆめさんは良い案があるのか、指を立てて話し始めた。
「製本して、郵便局で消印を押して貰えばいいでしょう」
「消印?」
「著作権とは違いますが、消印には公的な証明能力がありますから、消印の日付にはその作品が存在していたと証明できます。
この後で名前を変えて出版されても、訴えるには十分な証拠になるでしょう」
「その場合封筒とかじゃ駄目だよね?」
「郵便局の受付で言えば、押して貰えますよ。その時には郵送せず持ち帰る事も出来るらしいですから、製本後の冊子に直接押して貰えるはずです。
製本作業はもっと手間がかかるかと思いますが、道具さえ用意したら、個人でもできますね。ネットで調べたら、すぐ出て来るんじゃないでしょうか?」
言われた通り、携帯で調べてみたら、すぐにやり方が出てきた。とりあえず、必要なものをコピーしてメモ帳に保存しておく。
家を出て三十分は経っただろうか、ようやく目的の家電量販店に着いたので、クーラーの効いた店内に逃げ込んだ。
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