幽霊作家㉓
僕の事を小説にしてくれるよう頼んだ後、ゆめさんに言われて良く外に出るようになった。僕について知りたいとの事だったので、良く行く店に行ったり、地元の方に行ってみたり。今日は見知らぬ町に旅行に来ている
「まさか、この期に及んで、旅行に行くとは思ってなかったな」
「一泊二日ですけどね。無駄になる可能性はありますが、どんな情報も無いよりはあった方が良いですから」
「前々から来たくても、踏ん切りがつかなかったところだから、文句も無いんだけどね」
「じゃあ、あとは好き勝手に一人旅していてください。私は邪魔にならないように見ていますので」
ゆめさんが返事を待たずにどこかに消えてしまった。
僕からゆめさんが見えなくなることはないので、建物の中に入って行ったのか、ちらほら居る観光客の中に上手く隠れたのだろう。
せっかく古い町並みの残ったこの町に来たのだから、ゆめさんに言われた通り、好き勝手に観光することにした。
ゆめさんに旅行に行くように言われて、初めに思いついたのがこの町だった。
町の真ん中を川が流れていて、川岸等間隔に柳が植えられている。穏やかな川の流れのお蔭か、川面に映る柳の緑と、空の青と、雲の白が眩い。
浮かべられた船が趣深く、これだけで何十分と時間を潰せる自信がある。
川から道を一本通して建てられた家々は、瓦屋根の歴史を感じさせる。道を一本横に入れば、地面が石畳になり、より当時の様子を思い起こさせた。
すれ違う人力車を目で追ってから、さて、何処に行こうかと首を回した。
*
「萩原さんって、自然も人も建物も好きですよね」
観光を終えて、駅近くのビジネスホテルにチェックインしたら、ゆめさんが現れた。
今日一日僕を見ていたのなら、確かにゆめさんのような感想を持つだろう。
じっと川を見ている時間や、見つけた神社に登って境内にある木々に目を奪われる時間があり、屋敷を見学できるところでは柱の模様や、雨どいをただただ見ていた。
土産屋の店主が話しかけてくれたらしばらく雑談に花を咲かせ、試しに乗った人力車の車夫に飲み物を差し入れもした。
「雰囲気が好きなんだよね。たぶん。自然にしても、人にしても、建造物にしても。
多くのモノはそれぞれ違う雰囲気を持っていて、それぞれに良さがあるんだよ。
その雰囲気を感じ取って、内から何かが湧き上がってくれば好きなんだろうし、何も思わなければ興味がないんじゃないかな」
「詩的ですね。その基準だと、萩原さんはどんな事も好きなんじゃないですか?」
「僕は可能な限り、面白いんだ、と思おうとしているだけだよ。
一歩冷静になったら、急に無感動になる事が沢山あるし。きっと、心の底から楽しんでいる人は、冷静になる間もないんじゃないかな」
話しながら、この部屋の設備を確認する。お湯を沸かすためのケトル、湯飲みと緑茶のパックはあるけれど、冷蔵庫には何もなし。
洗面台には歯ブラシと髭剃りがあって、タオル類は高い位置に置かれている。
「萩原さんが、冷静になった事のないタイミングってあるんですか?」
「人と話している時、かな」
「ずっと訊こうとは思っていたんですが」
窓から昨日行った町並みは見えず、残念に思っていたら、ゆめさんが一段と真剣な声を出した。
振り返ると、ゆめさんが正座をしている。地面には接していないけれど。
「小説に必要な事?」
「必要な事です」
「じゃあ、良いよ」
質問は大体予想出来ている。上手く話せるかは分からないけれど、必要ならば話さないわけにはいくまい。
「では、萩原さんが社会人として働いていた時の事を、教えてください」
「最初に入ったのは、きっとゆめさんも知っているような、大手の自動車メーカーの系列の会社だったんだよね。周りの反応を見る限りは、良い会社だったみたい」
「系列とは言え、大手ですからね」
「僕自身、我ながらよくやった、とは思ったんだよ、当時は車が好きだったし。
いざ入社したら、会社全体にやる気がなかったんだよね。業務時間は同期も先輩もだらだら仕事して、中には遊んでいる人もいて。同期に訊いてみたんだけど、案の定時間内に仕事が終わっていなかったんだって。
だから、終わっていない人は残業して、仕事が終わっていた僕は定時で帰ってから、勉強していたんだよ」
「萩原さんって、車持ってないのに、車好きだったんですね」
「昔は持っていたんだけどね。僕が持っていたのは、入社したところが関わっている車だったし、もう要らないかなと思って売ったんだよ」
社員の勤務態度を見ていたら、いつか不祥事を起こすだろうし、今さら新しい車を買っても邪魔になるだろう。
それに今は、電車やバスでの移動の方が性に合っている。
「話を戻すけど、家での勉強のかいもあって、今度は時間が余ってね。
上司に話したら、次の日から仕事量が多くなって、時間が余ることも無くなったところまではいいんだよ。
一年たって昇給の為の面談をした時に、上司からの第一声が『君、ほとんど残業してないから、昇給は難しいよ』って言われてね。
少なくとも、同期よりは仕事量が多かったし、手を抜いてもいなかったはずなのに、後になって誰よりも評価が低かったって知ったんだよ。その時からかな。自分の中で、妙な違和感が生まれたのは」
「場の調和を大切にする会社だったんじゃないですか?
上司が残業しているのに、新人が先に帰るのはあり得ないってところも多いでしょう。
でも、萩原さんは『そうだね』とは言わないでくださいね」
先回りされたので、「ゆめさんの言う通り」と言う言葉を飲み込んで、当時の考えを思い出す。
「することも無いのに残業する意味はないし、残業代分会社にも迷惑がかかるんだから、定時で帰った方が良いに決まっているよね」
「やる事なくてもちょっと残業したふりをすれば、会社は円満に回って、萩原さんは何もしなくてもお金がもらえてで、ウィンウィンでしたよね。
残業を形として残すことが、その会社での仕事だとも言えます」
「周りに合わせることが出来なかった、ちょっとしたことが我慢できなかった、僕が子供だっただけなんだよ。
頭では理解できていたとは思うんだけど、気持ちの面でどうしても駄目だった。
だからってわけじゃないけど、次の一年はやる気のある新人が僕みたいならないように、時間が出来たら、自分の技術や会社で上手くやっていく方法を教えるようにしていたんだ。
で、次の評価も酷かったから辞めたって感じかな」
ゆめさんは、しばらく僕の話を咀嚼するように頷いた後、「次の会社はどうだったんですか?」と尋ねる。
「次からは割と単純で、募集では週休二日で一日八時間労働だったのに、月に休み一回、一日十二時間以上労働だったところが一年くらいで体調の危険を感じて辞めて。
最後が会社の不正が発覚して、全部新人だった僕に押し付けようとしていたから、半年で辞めたんだよね」
「残りの二つは、分かりやすく会社側の問題ですね」
「でも、会社としてまかり通っているわけでしょ?
雇う側にも、雇われる側にも、法律ってルールがあるはずなのに、会社のルールが第一で、雇った人との約束は努力目標程度の意味しか成してない」
「いま法律を守っていない会社をすべて罰したら、路頭に迷う人が国中に溢れますよ。きっと」
ゆめさんの声が、無感動なものになる。以前も法律の話をした時にもゆめさんは、守っていたら仕事ができない、と言っていたっけ。
ゆめさんの言う通りだと思う部分と、だからと言ってあやふやにしてはいけないだろうと思う部分とがあり、何と返したものかと考えていたら、ゆめさんから問いかけが来た。
「そもそも最初の会社は、法律を破っていなかったんですよね?」
「少なくとも、僕は認識してないよ。でも、あの会社には僕が目指していた大人が一人もいなかった」
「萩原さんが目指していた大人と言うのは?」
「誠実で、勤勉で、意思が固いけど柔軟で、理性的で、相手の意見に耳を傾けて、たぶん子供の頃に大人に抱いていたイメージそのままって感じじゃないかな」
小さい頃は、大人は何でもできて凄い、と幼心に思っていた。
嘘をついてはいけない、約束やルールは守らなければならない、勉強をしっかりしないといけないと言った、親や先生からの教育を完璧に行えるのが大人だと思っていた。
「子供心に抱いた、大人に対する理想を捨てきれなかったんですね。
理想に反する大人を、受け入れることが出来なかった。萩原さん自身、自分の大人像が理想論だとは分かっていたから、先ほど自分の事を子供だって表現したんですね」
ゆめさんの言葉に頷く。付け加えるなら、理想としているところが社会に反していたというところだろう。
「確かに萩原さんの目指すところは、立派かも知れませんね」
「目指しているだけで、かけ離れていると思うけどね」
「社会がどうかは分かりませんが、少なくとも私は今の萩原さん、好きですよ。
きっとマスターさんだってそうでしょうし、今宮さんも好ましく思っているはずです」
自分で言うのもなんだが、生まれてこの方、明確に嫌われた記憶は――仕事は除外するとして――ない。
だから、今でも連絡を取れば会ってくれる人は多いだろうし、今の僕の境遇を案じてくれている人もそれなりに居る。
結局社会に出たら、全く通じなかったけれど。
「買いかぶりすぎだよ」
「何にせよ、萩原さんの事が以前に増して分かった気がします。
きっと萩原さんは、悪魔の囁きも簡単に跳ね除けるんでしょうね」
最後僕が何かを返して話も終わりだろう、と言葉を探し始めた時、小さくゆめさんが「羨ましいです」と呟く。
僕とゆめさんの約束では、否定して貰わないといけないところだから、聞こえなかったふりをして「簡単には無理だろうけど、迷った末に跳ね除けるんじゃないかな」と答えた。
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