幽霊作家⑬
「それにしても、人が来ないのに良く続けられるよね」
「喧嘩売っているのか? ってほど、説得力はないか。でも、一応萩原が居ない時には人来るんだからな? 最近バイトも雇ったし」
「テーブル席が埋まった事は?」
「無い。前にも話したと思うが、ここ家賃掛からないからな。夜に両親がやっている、居酒屋の店舗を借りているだけだから。
一応払うもの払っているから、全く金かかっていないわけじゃないんだけどな。
ほら、一杯目だ。二杯目はどうする?」
「すぐに作ってくれていいよ。
今日はさ、この喫茶店について詳しく訊きたいんだけど、いいかな?」
まずは一口コーヒーを飲む。
実はマスターと言うのは、高校時代からのあだ名で、コーヒーが好きすぎていつの間にか皆から呼ばれるようになっていた。さらに好きが高じて、高校卒業後バリスタの勉強を始め、今はこうして喫茶店でマスターをやっていると言う事だ。
「詳しくって言ってもな。夜には両親が居酒屋をやっている、ってくらいじゃないか。
使わせてもらう条件としては、喫茶店における責任はすべて俺が負う事、居酒屋が始まるまでに戻せる程度しか店を弄ら無い事、余った豆を使わせてもらう事。あとは、使えるのは平日だけって感じだな。
まあ、両親には感謝しているよ。毎月家賃を払わないといけないとなったらやっていけなくなるからな」
マスターが二杯目のコーヒーをカウンターに置くので、受け取ってゆめさんの前に置いておく。飲めないとは思うが、雰囲気くらいは伝わるだろう。
「ここに来るようになって、何度も愚痴を訊かされたけどね。
いきなり呼び出されて、コーヒー入れさせられたとか、手伝わされたとか」
「それはそれ、これはこれだ」
言いながら、マスターが僕の隣の席をじっと見る。
「ところで、お前の隣に誰かいるのかい?」
「幽霊の女の子が一人ね」
「萩原がそんな冗談言うなんてな」
他に客がいないからか、遠慮なしにマスターが笑う。信じて貰えないと分かったうえで言ったので、別にいいのだけれど。
急に話題にあげられたゆめさんが、驚いている中、マスターが今度はこちらを真剣な表情で見る。
「萩原にはだいぶ世話になったからな、何かあったら言ってくれよ?」
「はいはい。じゃあ何か、暇つぶしになりそうなものってない?」
「真面目に返されないうちは、大丈夫ってね。暇つぶしね。萩原って本って読むのか?」
「最近は読んでないかな」
「じゃあ、藤野御影とか読んでみたらどうだ? バイトの子に勧められて読んでみたが、結構面白かったぞ」
藤野御影という名前が出た瞬間、ゆめさんがぴくりと反応したのが見えた。
やはり藤野御影に何かあるのか。ゆめさんには後で訊く事にしようか。
「どういう話なの?」
「俺が読んだのは、学園ミステリってやつでな、有名なミステリ作品を題材にしているんだよ。
ある日、黒板に謎の文字列が書かれていた。悪戯か何かだろうと思われていたんだが、次の日に名前の最初に『あ』と付く人の『赤ペン』が無くなり、続いて『い』と付く人の『一円玉』が無くなった」
「次は『う』と付く人から『う』のものがなくなり、次が『え』みたいな感じになるの?」
「俺もそう思ったが、『う』とつく人から『うちわ』が無くなった代わりに『鉛筆』が置いていて、『え』は『絵』の代わりに『うがい薬』が置いていたわけだ。
で、この謎の真意を探っていく、みたいな話だな。貸してやろうか?」
マスターに勧められて、どうしようかとゆめさんの方を見る。目が合ったゆめさんが、心配そうな顔で首を振るので、「たぶん読まないからいいかな」と返した。
「正直な事で。だが、暇つぶしって事で、今の謎だけでも渡しとくよ」
どういうことだろうかと、首を傾げる。マスターは、あーでもない、こーでもないと言いながら、必死に何かを書き始めた。
ずいぶん時間がかかって、「ほらよ」と裏に『りいのをてこしえるあ』書かれた名刺と手渡す。謎の文字列の上には『五十一』と数字が書いてある。
「解きたかったら解いても良いし、分からなかったら、次来た時にでも教えてやるよ」
「まあ、考えてみるよ」
生憎名刺入れは持っていないので、財布に名刺を入れる。
コーヒーも飲んだし、そろそろゆめさんも満足してくれたんじゃないかなと思った時、背後でドアベルがカランカランと鳴った。珍しく客が来たのだろうか。
店員でもない僕が振り返るのも変だから、飲み終わったカップをゆめさんの前に置いてあるものと入れ替えて、コーヒーをすする。
「こんにちは」と女の子の声がして、マスターが「お疲れ」と声を返した。
その後すぐにスタッフルームの方へと消えていったので、「バイトの子?」とマスターに尋ねた。
「元々客だったんだけど、話を聞いていたらバイト先を探しているらしくてね。
ちょうどバイトの子を探していたし、試しに此処で働いてみないかって誘ったわけよ」
「休憩はちゃんと時間を用意しているよね?」
「もちろん。無理やりにでも三十分休ませているよ。むしろ初めは働きたがるのが、困ったもんでね。
ミスしても反省しているみたいだから怒らないし、法律は守っているよ。契約書もちゃんと作ったし、少しでも俺が楽になればいい、くらいに雇った子だったからな。無理だけはさせてない」
「悪いね。部外者が口出して」
「萩原の境遇を考えたら、当然だろ。それに、お前のお蔭でこの店があるようなものだからな。部外者じゃねえよ」
「じゃあ、社員割り使える?」
僕の軽口に。マスターも「やなこった」と笑い飛ばす。
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