幽霊作家⑱
「萩原さんって子供なんですね」
「でも、ゴミを捨てるよりは、良いんじゃないかな?」
「おっしゃる通りです」
話がひと段落したので、滝の方を見る。初めてこの滝を見た時には、小さいながらも確かにそこに存在する迫力や、崩れかけの看板や錆びついた空き缶から来る哀愁に息をのんだものだが、今となっては感動は薄れてしまった。
代わりに今は、安心感がある。落ち着いて、いつまでも落ちる水を見ていられる。
「ゴミ拾いを終えて見る滝はどうですか?」
「いつもと一緒だね」
音も無くゆめさんが、僕の隣にやってきて、「だと思いました」と感情のない返事をする。
「萩原さん、実は寒いんですよね?」
「ばれてた?」
「春先に滝の近くまで来て、寒くないわけないと思うんですけど。敢えて気温に関して、言わないようにしていたんですか?」
「買いかぶりすぎだよ」
ゆめさんが温度を感じることが出来ないのは、クーラーをつけた時に確信できた。
だから口にしないように気を付けていたけれど、それはゆめさんの為ではなく、不用意にゆめさんの機嫌を損ねるような事をしたくなかったから。
僕の後ろ向きな理由とは逆に、ゆめさんは機嫌が良くなったようで、表情が柔らかくなったように思う。
「萩原さん、確かパソコン持ってきていましたよね。続き書きたいんでお願いしていいですか?」
再開した執筆は、初めこそゆめさんに照れが見られたが、以降は棒読みの演技混じりの物語を語った。
*
滝に行った日から、執筆速度は目に見えて速くなったのが分かる。
執筆初日には千字にも満たなかったものが、以降は四千字程度になり、ゆめさんも安心かと思ったが、日に日に苛立ちが募っていくのが分かった。
初めはゆっくり話してくれていたゆめさんが、だんだんと早口になり、僕の手が追いつかず訊き返すため余計に時間がかかる。
直接は聞いていないけれど、自分だったらもっと速いと暗に言うようにもなって、ゆめさんも限界なのだろうと感じていた頃、とうとうゆめさんの中で何かが爆発した。
「どうしてもっと早く、私に小説を書くように言ってくれなかったんですか。締め切りまで、今日も入れてあと三日しかないのに、このままだと丸三日使ってギリギリ書き終わるかどうかじゃないですか。
読み返しもしないといけないのに、全然間に合いませんよ。なんでそんなにタイピングが遅いんですか」
残り三日と締め切りの正確な日を言ったのは、今日が初めてじゃないだろうか。
編集に生存報告を送った日にも、締め切りは大丈夫かと確認したと思うし、念も押した。
加えて、神社に行った日には僕がタイピングが得意でない事も伝えたはず。
だから、こちらが非難される覚えはないのだけれど、苛立っている人に反論しても話は進まない。
こちらがぐっと我慢して、一言謝る。ストレスはたまるが、こうなる事は想定していた事だ。
すんなり謝った事にゆめさんが一瞬言葉を失うので、こちらに非があるように、相手を逆撫でないように、仕事に戻るように促す。
「萩原さんが徹夜してくれたらいいんです。私なら二日くらい徹夜出来たのに」と呟いたものの、執筆は再開した。
しかし、ゆめさんの話すスピードについて行けないため、またゆめさんが苛立ち、こちらに文句を言い始める。
この理不尽さに、状況は全く違うけれど、働いていた時の事を思い出す。
仕事だとしたら、労働時間は軽く十四時間は超えた頃、ゆめさんが「今日はもういいです」と部屋から姿を消した。
ずっと画面を見続けて、目も頭も肩も痛いのだけれど、そろそろフォローを入れなければ、本当に締め切りに間に合わないから、パソコンを持って駅に向かった。
用事を終えた頃には、深夜になっていたので軽くシャワーを浴びて、ベッドに横になった。
*
次の日も、ゆめさんは機嫌が悪かった。考えてみたら、ストレスを発散するにも、物に触れることが出来ず、溜めこむしか出来ないのか。
昨日以上のストレスが予想される中、これを機に次からは余裕を持ってやってくれる事を信じて、パソコンと向き合った。
実は執筆と言っても、ただ書き続けるわけじゃなくて、以前に書いたところを振り返ったり、表現を考え始めて手が止まったり、やり直したりと、後戻りする機会が多い。
だからこそ、一日四千字程度しか進まないのかもしれない。
深夜になり、僕の作業速度が一気に落ちた事に気が付いたのか、ゆめさんが吐き捨てるように「ここまででいいです」と背を向けた。
僕はゆめさんに、気が付かれないように、昨夜手に入れた紙の束を持って玄関に向かう。
電気をつけて、一枚一枚紙を並べるのだけれど、案外玄関は狭く並べきれないので、髪と紙をテープで張り付けて、縦長の一枚の紙にしてから天井につるすことにした。
眠気との戦いだったためか、作業に一時間ほど費やし、最後にペンでメモ書きを残しておく。リビングに戻った時にはゆめさんに「何していたんですか。明日もあるんですから早く寝てください」と怒られた。
寝てもいいらしいので、反論することも無く電気を消して、一応玄関の電気がついていることを確認してから、夢の中に落ちて行った。
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