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幽霊作家⑲

 眠るのが遅くても、起きるのはだいたい同じ時間になる。早く起きる分には、目覚ましを使えばおきられるが、ずっと寝ていると言う事は殆どできない。

 代わりに、寝ていた時間と状況で、体調が大きく変わってくる。

 夜更かしをしてからの今日は、身体に疲れが残り、全身が重たく感じる。それでも、激務をこなすことは可能だと、この二年の間に知った。

 顔でも洗いたかったが、昨日の作業で洗面台が使えない事を思い出したので、締め切りの今日くらいは我慢することにする。

 朝食代わりに、焼いていない食パンをかじっていたら、予想通りゆめさんが玄関の方から現れた。

「何なんですか、あれは」

「一ページ目に書いていたと思うんだけど、一昨日ゆめさんの家でコピーしてきた原稿だよ」

「そう言う事ではないです」

「勝手に家に入ってごめん」

「そう言う事でも……まあ、いいです。これくらいで、感謝されると思ったら大間違いですからね」

 意地になっているゆめさんに、僕は何も返さずパソコンを開く。何日も使っている間に、パスワードは覚えた。

 ゆめさんからの言葉を待っていたら、「今日は先に修正をやっておきます」と指示があって、ページ数と修正すべき言葉の大まかな場所、どう修正するのかを淡々と話し始めた。

 玄関に行って確認しながらだったのもあって、修正が終わる頃には正午を回っていた。

 しかし、休む間もなく次へと進む。今のゆめさんは疲れないようだから、大丈夫なのだろう。

 物語も残すは後日談だけなのは、僕でもわかるし、後半日もあれば終わると思う。

 予想通り「終わりです」とゆめさんが言った時には、もう夕方になっていた。

 昨日の疲れも相まって今すぐ寝たいのだけれど、出来上がった原稿を送らないといけない。

 通信用のパソコンを開いてパスワードを入力している時に、ある事に気が付いた。

 ゆめさんは足して十一になるようにと言っていたけれど、キーボードの数字を鏡のように左右反対にしているのだ――どちらのパソコンもテンキーが無く分かりやすい。

 結局はゆめさんが言っていた事と変わらないのだけれど、一と〇、二と九、三と八、四と七、五と六がそれぞれ入れ替わっている。

 気が付いても何かに結び付けるだけの思考力は無く、機械的にメール製作画面を開く。

「内容は適当でいいので、送っちゃってください」

 ゆめさんの声は疲れているようで、肉体的疲労は無くとも、精神的疲労はあるようだ。

 だからと言って、丸投げしないでほしいけれど。

 件名には『原稿です』、本文には『遅くなって申し訳ありません』とだけ書いて、データを添付して、送信して画面を閉じた。

 今日は朝の食パンしか食べていないので、お腹に何か入れた方が良い気がしたけれど、身体を動かす事もつらくて、ベッドに倒れ込みそのまま意識がなくなった。

     *

 あまりの空腹で目が覚めた時、まだ日付は変わっていなかった。あと十分もすれば、明日になるけれど。

 今朝と同じく食パンを食べてもいいけれど、せっかくだから温かいものが食べたい。

 冷蔵庫を開けても、食材ばかりで料理は無し。少し歩けばコンビニがあるので、お弁当か何かを買いに行こう。

 財布をポケットに突っ込み、定位置から鍵を取って、つけっぱなしだった電気を消して、家を出る。

 月明かりがぼんやりと寝静まった町を照らし、街灯が道を照らす。無音ではなく、ジーッと虫のような何かの鳴き声がするけれど、僕には何の鳴き声なのか見当もつかない。

 空に見える数えられないほどの星が、何を示しているのかを、僕は少しも知らない。

 数分外を歩いただけで、これなのだから、生き続けていればもっと沢山の感動に出会うだろう。

 コンビニには、僕よりも若いと思われる店員がレジに立っていて、僕が入っても一瞥しただけで眠そうに立っている。

 きっとこの人は生きていけるだろう。

 この時間だ。やってくる客の多くは、店員と同様眠たいに違いない。飲んだ帰りで、足元がふらついているかもしれないし、僕のように寝起きかも知れない。

 そう言った人相手に、毎回明るく大きな声で「いらっしゃいませ」と言った所で、変に絡まれるのがオチだ。

 だから、彼は休むときに休める人なのだと思う。一瞥をした時に、こちらが挨拶するに値するかを計っていたのだとしたら、なおさら。

 妄想はこれくらいにしておいて、夜食を探す。弁当をと思ったけれど、あまりお米を食べたい気分でもないし、脂っこい物もつらい。

 しばし迷って、カルボナーラに手を伸ばす。レジに持って行き、温めを断ってから店を出た。

 いつの間にか曇っていたらしく、空が一段と暗くなっている。夜の雲はどうして、空よりも黒いのか。いつだか、灰色の空に星が瞬いている事に気が付かなければ、黒い方が空で灰色の方が雲だと勘違いしていただろう。

 ただ、いつもこうだとは言えないのが、空の難しい所で、いつ見ても飽きない理由だとも言える。

 家に帰って、カルボナーラを温めている間に、着替える事にした。シャワーでも浴びればいいのだろうけれど、多分食べた後は眠くなるし、早く食べないと逆に何かを吐きそうになる。吐くものは胃の中にはないのに。

 カルボナーラを食べ終えて、軽く歯を磨いてから、ベッドに飛び込む。電気を消して寝ようかと思ったが、部屋の中でチカチカと光るものが目に入ったせいで、気になって身体を起こした。

 光るものはテーブルの上に置かれていて、電気をつけたら、パソコンであることが分かった。ゆめさんの連絡用のパソコン。

 何故光っているのだろうかと、パソコンを開いたところで、パソコンがスリープモードになっている事に気が付いた。

 意識を失う前、シャットダウンはせずに、画面を閉じただけだったらしい。

 パスワードを再入力したところ、メールフォルダを開いたままだった。

 フォルダを閉じて、電源も消せば後は寝るだけなのだけれど、寝る前に送ったメールが気になる。ちゃんとゆめさんのふりができていただろうか。

 返信も来ていて、今さら確認しても遅いのだけれど、寝るにあたって、不安材料は消しておきたい。

 返信を見るのが早いかもしれないが、僕宛ではないので、送信メールを確認する。

 我ながら何とも機能的な内容で、これで僕の存在がバレると言う事はないだろう。

 一応の確認として僕が送ったメール――それ以前のメールを見た方が良いかもしれないが、未読の返信とほぼ同じ理由で見る気はない――を開く。

 この数日の激務のせいで、数日前に送ったメールがとても懐かしいのだが、中に一つ奇妙な文字列を見つけた。

 ゆめさんが自分を示す暗号だと言っていた『mzgzsz svmhbf』。既に意味も聞いたのだけれど、解き方もろもろはサッパリわからない。

 ヒントも無く解ける日が来るかもわからないけれど、すでに僕に見せたものではあるし、答えも知っているから、頭の隅に留めて置いても怒られないだろう。

 暗号は一度脇に置いて、メールの内容に目を移し、最新の文章でも問題ない事を確認する。

 今度こそパソコンをシャットダウンさせてから、ベッドに横になった。


#小説 #創作 #1話目 #オリジナル #ミステリ風

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