幽霊作家㉘
目が覚めるとゆめさんがこちらを見ていた。昨夜ゆめさんが家にいる事を了承し、「テレビをつけたまま寝ようかと提案したのだけれど、結局僕はいつものように寝る事になった。
起きた瞬間に、誰かに覗き込まれる経験は初めてだったけれど、「おはよう」と冷静に挨拶する。
「おはようございます」
「覗き込まれていると起き上がれないんだけど」
「私幽霊ですから、ぶつかりませんよ」
ニコニコ笑うゆめさんは、昨日までと雰囲気が違う。丸みを帯びた、というのが近いだろうか。物腰が柔らかくなったように感じる。
「僕が寝ているのを見ても、楽しくなかったでしょ?」
「萩原さんって、意外と寝相が悪くて、一晩くらいなら面白かったですよ?
今夜はいつも通りにしようと思いますけど。ところで、何で私がいる事を許してくれたんです?」
「ゆめさんがいる事に慣れたかな。あんまりひどい寝顔だったとしても、ゆめさんに見つかっても、周りに広められる心配はないし」
「可愛い寝顔していましたよ?」
ゆめさんの言葉はからかっているわけでもなさそうで、ペースを崩される。
どんな顔をしていいのか分からないので、朝食を作ろうと立ち上がり、軽く支度をしてからキッチンに向かった。
ゆめさんは以外にも、料理中は大人しくリビングで待っていて、適当に作ったオムライスに対して「朝からオムライスですか?」と笑う。
「玉子が昨日で期限切れていたから、使い切ろうと思っただけなんだけどね」
「玉子料理は他にもあると思いますが、期限切れているのに大丈夫ですか?」
「火は通しているし、切れたと言っても昨日だから、大丈夫じゃないかな?」
ゆめさんも経験があるらしく、「確かに大丈夫ですけど」と歯切れ悪く返した。
「ところで、藤野御影の件、ゆめさんはどうしたいの?
今までの作品を全部自分の名前にしたいとか。出来るかどうかは分からないけど」
昨日の話は、ゆめさんがどうしたいかが明確に決まらないと、動きにくい。
法律に明るくないけれど、ある程度はインターネットで調べられるだろうし、必要ならば弁護士に相談してもいいと思っている。
「その辺りは、なるようにしかならないと思いますが、今のシリーズくらいは私の名前になるのではないでしょうか。
正攻法でいこうとした場合、私の名前を使うように訴える事は可能ですが、その場合証拠になるものが必要です。パソコンに証拠はありますが、簡単に弄ることが出来るデータは、証拠にならない可能性があるんですよね」
「ゆめさんの作品だと認められなかった場合、どうなるの?」
「その場合でも今書いた作品に関しては、著作権がこちらにあります。出版社が認めてくれたら、一冊は大丈夫でしょう。恐らく今の藤野御影では、最終巻を書き上げることが出来ませんから、時間の問題だとは思います。
面倒を嫌って、出版社が出版を取り止める事は否定できませんが、人気作ですし心配はないでしょう」
「ゆめさんの事を、出版社は知らないんだっけ」
むざむざ人気作を手放すよりは、小説の書けなくなった藤野御影に責任を押し付けた方が、出版社には得だろう。出版社も被害者ではあるのだから、躊躇う必要も無い。
全てが上手くいかなかった場合でこれなのだから、さぞゆめさんも安心だろう。
しかし、ゆめさんは浮かない顔をしていた。
「思惑が上手くいくかどうかは別として、一つ大きな問題があるんですよ」
「何かあった?」
「最終巻の権利って、萩原さんに帰属しますよね?」
言われてみたらそうかもしれない。ゆめさんは亡くなっていて、いくらゆめさんの言葉をパソコンに打っただけだと言っても、信じてくれる人はまずいないだろう。
世間からだと、僕がゆめさんのパソコンを使って、作品を書いたように見える。
ゆめさんのパソコンを使っていた事に関して言えば、譲り受けたとか、こういう事になった場合に頼まれたとか、言い訳は出来るだろうけど、公的にゆめさんが死んだ後に書かれたものに対して、ゆめさんの作品だと証明できるものは何もない。
「だったら、ゆめさんの遺作にしたらいいんじゃないかな?
生前パソコン類と共にゆめさんに託された、って事にしてしまえばゆめさんの作品になるよね」
「虚偽報告をすることになりますが、萩原さんは良いんですか?」
「良くはないけど、ゆめさんの作品なんだから、ゆめさんの名前で出すのが当然って考え方もあるし。この場合って、権利はどうなるの?」
「萩原さんに著作権を譲渡したことにしたら、私が書いた事を示す著作者人格権だけが、私に残って、あとは萩原さんに移る事になりますかね」
つまり、大方の権利はこちらに来るのか。
だとしたら、出版社側と話し合う事になった時に、楽になるかもしれない。
「ところで、正攻法を使わない場合はどうするの?」
「週刊誌に、メールの内容等を送り付けます」
「なるほどね」
大作家のスキャンダルなのだから、週刊誌が飛びつかない訳がない。
あとは野となれ山となれ。週刊誌や世間が勝手に動いてくれるだろう。
「まだ決めないといけない事は多いけど、ひとまず行動を起こすための準備をしに行こうか」
「萩原さんに訊きたいことがあるので、質問をしながらでもいいですか?」
「ちょっと買い物に行くだけなんだけど、構わないよ」
話が纏まったところで、着替えて出かける事にした。
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