幽霊作家②
風に散る桜が時折視界を白ませる中、空飛ぶ女性と黙って歩く。
本来はのんびり歩きつつ、ほとんど人のいない平日昼間の公園で、桜を楽しむつもりだったのだけれど、今日は考える事ができてしまった。
まず何故僕はこの女性に敬語を使わなかったのか。例え同い年だったとしても、初対面は敬語を使うだろう。特殊な例だからこそ、距離をとる意味合いも含めて敬語を使う気がする。
しかし、この子が自分よりも年下だと、心の何処かで確信していた。どこかで会った事があっただろうかと思考を巡らせいたら、一人思い出した。バス事故の犠牲者。自営業の女の子が確か僕より一つ下で、この子によく似ていた。
だとしたら、何で浮いているのだろうかとか、こまごました疑問は解決できる。現実に起きることとは思っていなかったのだけれど、目の前に見せられてしまえば納得せざるを得ない。
歩みを止めて、黙ってふわふわとついてくる彼女の方を見た。少数ながら周りにいる人たちは、この空飛ぶ女性のことは見えないらしい。
「本を読まなさなそうな顔だっけ? 確かに本はあんまり読まなくなったよ。中学生くらいまでは、結構読んでいたんだけど」
急に会話を戻した成果、女性が目を丸くする。
歩道橋からだいぶかかったし、驚くだろうなとは思っていたけれど、予想以上の反応がおかしかった。
女性は納得できたのか何なのか、安心したような顔をする。文学少女をそのまま成人させたような女性は、こちらを観察するような視線を向けた。
「では、最近の本は読んでないんですね」
「読んでないね。最後にまともに読んだのは、大学受験が始まる前とかじゃないかな。読む気になれなかった、って言うのが正しいかもしれないけど」
読もうと思えば、勉強時間を削ってでも、移動時間を使ってでも読めたとは思う。だけれど、特にここ数年はそうするだけの気力はなかった。
中学の時には友達と競うように読んでいたことを思うと、人生何が起こるかわからないものだ。
「フジノミカゲ」
「誰?」
急に出てきた名前に首を傾げる。この子の名前かとも思ったが、聞き覚えがないので違うだろう。名前は思い出せなくても、聞き覚えくらいはあるだろうから。
女性はじっとこちらを見てから、首を振った。
「何でもないです。私は、ゆめと呼んで下さい」
「ゆめさんは、幽霊ってことで良いんだよね」
「たぶんそうだと思います。ひとまず、貴方の名前を教えてくれませんか?」
「萩原はぎわら稔みのる」
一瞬頭の中でプライバシーという言葉が浮かんだが、相手は幽霊なのだから気にすることも無いだろう。
ゆめという名前にも覚えはないから、向こうは本名ではなさそうだけれど。もしくは事故にあった女性だったというのが僕の思い違いか。
「話を戻すけれど、たぶんって言うのはどういう事?」
「私もよく分からないんですよ。気が付いたら浮いていますし、物に触れませんし、誰からも見えていないみたいですよね。
こういう状況って、幽霊以外考えられませんから。でも、確信は持てないです。幽霊を見るのは初めてですから」
「僕も初めてだね」
「その割には驚いていませんよね」
どうも最近は物事を俯瞰する癖があるらしく、上手く感情を表に出せないことがある。単純に一人でいすぎた為、感情が希薄になっただけかもしれない。
声の感じからゆめさんも、ただ疑問に思っただけのようなので「驚いてはいるんだよ」と軽く返す。
「思い返してみれば、私も似たようなものでした。幽霊になったのに、そこまで取り乱さなかったです。バスの中で大きな衝撃が来たところくらいまでは、覚えているからでしょうか。
きっと即死だったんでしょう。痛かった記憶も無く、案外幸せだったのっかもしれません」
「バスの中って事は、この前あった土砂崩れの……」
「そうです。あまり思い出したいものではないですけどね」
自分が死ぬ直前の事、しかも事故死なのだから、思い出したくもないだろう。悪い事を訊いたかもしれない。
風が吹いて桜を揺らせるけれど、ゆめさんの服は少しもはためかなかった。こういう違和感が、ゆめさんをいっそう幽霊たらしめる。
桜の木から離れたところにあるベンチに腰掛けて、ゆめさんの話をきちんと聞く態勢をとった。
「でも、正直なところ死ぬ直前よりも、死んだ直後の方が思い出したくないですけどね」
「幽霊なってからって事?」
「はい。幽霊になってから、どういうわけか両親の所には行けなかったんですけど、それ以外は自由に動くことが出来まして、報道を見ていたんですよ。
そしたら、人が死んだからって、何でも公開しちゃうんですよね。卒業文集の作文とか、何が楽しくて読み上げるんでしょう。
こちらとしては生き地獄でしたよ、死んでいますけど」
なるほど、思い出すと腹が立つから嫌なのか。ゆめさんに限らず、犠牲者の昔の写真とかをテレビで見る事は多い気がする。
ゆめさんが怒るのも分かるけれど、今は建設的な話がしたいので、話の腰を折る事にした。
「なんで僕にはゆめさんが見えるんだろう。たぶん霊感とかないと思うんだけど」
「そうでした。私は萩原さんの人生を貰いに来たんです」
急に何を言い出すんだろう。幽霊だと思っていたら、死神だったと言う事だろうか。
こちらの反応が思わしくなかったのか、ゆめさんが慌てたように言葉を継ぎ足し始めた。
「萩原さんって、自殺しようとしてましたよね。私、そういう人を探していたんです。
未練の解消って言うんでしょうか、人生を諦めている人なら、快く手伝ってくれるかと思いまして」
「なるほど。とは言え、僕は死のうとはしていなかったんだけど」
「そうなんですか!?」
驚いて声を上げた後、困ったように視線を下げたゆめさんに、「でも」と続ける。
「自分が事故にあった人と代わってあげたいとは、考えていたよ。あと、人生についても諦めていたと言えば諦めていたから、あながち自殺しようとしていたって言うのも間違いではないし」
「だったら、手伝ってくれるんですか?」
「もちろんただでは手伝わないよ」
「報酬については考えがあります」
「そう言う話は、帰ってからすることにして、一つだけ先に聞いてほしい事があるんだ」
人が少ないとはいえ、自殺だの死ぬだのと一人呟いていたら、警察を呼ばれかねない。
確認するように尋ねた僕に、ゆめさんは「何ですか?」と不思議そうな顔をした。
「僕はね、ゆめさんを含め犠牲者の事を、とても羨ましく思っていたんだよ」
「羨ましいって何ですか。他人事だと思って」
「うん。未練解消を手伝ってあげる代わりに、そうやって僕の事を否定してほしい」
予想通り怒ってくれたゆめさんに言葉を返すと、ゆめさんは意味を理解できないのか、顔をしかめる。
その表情に満足した僕は立ち上がり歩き出す。すると後ろから「どういうこと何ですか」と怒ったような声が聞こえてきた。
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