見出し画像

2023年米沢旅行記② 上杉博物館を見学


米沢市上杉博物館で、姫鶴一文字見てきました。
とりあえず書き残しておきたいんだけど、拵えの反対側に梅の花のような、大きなお花の透かし彫りが3つ彫られていてかわいかった……
写真に載っているのは反対側の刀装具の部分だと思われ……かわいかった。

GWに行ってきた人に「姫鶴一文字の前に椅子が置いてあって、座ったまま眺めることができる」と聞いていたのですが、確かに休憩用のベンチの前に展示ケースが置いてあります。
てっきり姫鶴一文字の展示ケースの真ん前に特別に椅子を出してあるのかと思った……そんな、景勝様にしか許されないような贅沢なことにはなってなくて、嬉しいような残念なような。

すっごく当たり前のことですが、帰りの新幹線で本丸にアクセスしたら、近侍にしていた姫鶴ちゃんが同じ拵えの刀を持っていてくれたので、しみじみと彼に会ってきたんだな~という気持ちにさせられました。

2017年10月に大宮で初めて姫鶴を見て、2023年5月にまたこうして見ることができたけど、今度会いに行けるのはいつだろうか……。

姫鶴ちゃんが謙信ちゃんに会いに行こうと思ったら、新幹線で3時間かかるんやで。


※それにしても米沢と謙信景光の所蔵館がある大宮は、遠い。
姫鶴もそりゃ、本丸で謙信ちゃんに再会したら肩車してあげたくなるよ。

米沢市上杉博物館について

米沢市上杉博物館

今回の『上杉景勝と関ケ原合戦』展で展示されている刀剣は姫鶴だけで、あとは上杉家文書と言われる国宝の古文書の展示、数点の甲冑という感じ。たまたま14時からの学芸員さんの解説を聴けたんだけど、この博物館自体は国宝の上杉本洛中洛外屏風(信長から謙信に贈られたもの)と上杉家文書の展示のためのものらしい。ギャラリートークも特別展の展示室ではなく、上杉本洛中洛外屏風の展示室で行われてました。

※わざわざA4で4枚にもなるレジュメ作って配ってくださった。大学時代を思い出すね!

この資料と学芸員さんの話によると……上杉家に伝来した上杉家文書は約2000点あり、それとはまた別に上杉文書と呼ばれる米沢藩の資料が1万点ほどあるので、1ヶ月ごとにテーマを決めて展示を入れ替えているらしい。
2017年に埼玉県立歴史と民族の博物館で観た御手選三十五腰の展示(刀剣!甲冑!陣羽織!)とは大分趣が違って興味深かった。

謙信や景勝、歴代藩主が出した手紙は基本的に他家に行ってしまうので、上杉家やその家臣が買い集めて、上杉家で収集していたらしい。
こういった古文書には2種類あって、①もらった側の家で代々保管されていたもの、②浪人や下級武士など、身分の不安定な人間が所持していたもの、にわかれるらしい。
②の場合は、上杉家の古文書を持っていることで、自分の価値を高めようとしたと考えられると。

上杉家の家臣が買い取った古文書を主家に献上することもあったそうで、古文書を献上した藩士の孫(この人も藩士)がまた別の古文書を献上して……みたいな例も見られるそう。
古文書好きの家系なのか?この家は古文書を献上してから出世しているらしいので、古文書を差し出すと労務評価がよくなった可能性もあるのかも?と。

江戸時代になると上杉家でこういった古文書を収集して書き写し、歴史書を編纂していくことになりますが。
手紙類を冊子に書き写していくときに、2通の手紙を無理矢理1通の手紙として書写したり(本文は景勝が「鎧兜を贈与する」という手紙なのに、なぜか追伸に「この刀はこういう品物だよ!」って刀の説明がされているとか)、明らかな間違いがあるのにそれがだんだん「正史」として覆せないものになるので、間違いを指摘するのが非常に困難になったそう。歴史好きな藩士が独自研究して個人的に歴史書作ったりもして、なかなかのカオス。
戦国時代の古文書や、江戸時代の歴史編纂についてまったく知らなかったので、専門家のお話が聞けてとても面白かったです。

洛中洛外図屏風と同じ展示室に、謙信の死後春日山城の本丸に入った景勝が、そのことと「謙信愛用の刀を贈るね!」と伝えている手紙が展示されているんだけど、この頃景勝は自分の後継者としての正当性を外交的に証明するために、謙信所用の刀剣や甲冑を他家に贈っているらしい。

そういう当時の事情を膨大な古文書から読み解く研究がされているんだけど、そりゃゲームの姫鶴も(そんな中、景勝様が手放さずに一の箪笥に入れておいた御秘蔵の刀)というのを誇りに思うよな……と思いました。
手紙を折った跡なんかもそのまま残っています。

国宝上杉本洛中洛外図屏風についても学芸員さんからお話聞けたんだけど、信長から謙信に贈られてそのまま上杉家に保管されており、来歴がしっかりしている、作品自体も桃山時代を代表する画家の狩野永徳に描かれていて、大変素晴らしいとのこと。
国宝が展示できるのは年間60日だけで、本物はいつもGWに合わせて展示されているそう。

博物館に入ると、いきなり能舞台があってびっくりする。
博物館の裏の置賜の庭には、米沢藩が奨励した『かてもの』や『薬草』が植えられている


左側がかてもの園、右側が薬草園。鷹山公は医学を推奨し、漢方薬になる植物も育てさせていたらしい。


薬草園
ヒメウコギ。生垣にするというから背の高い植物なのかな?と思ったけど、1mあるかな?って感じ。

折角うこぎを見れたので、葉っぱを触るとどうなるのかとか、匂いはどうなのかとか試せたらよかったな!?と思ったけど、展示品なので今回は写真だけで帰りました。でも満足。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?