ひめ旅立ちの日のこと
2021年5月30日日曜日 14:45。ひめはお空へと旅立ちました。
最期まで立派に生き抜いた事を残したくて、今日は旅立った時のことを書きます。
最期の最期まで本当にかわいくて優しくて立派な自慢の子だったから。
写真なども出てくるので辛いと思う方はご注意くださいね。
日曜日はやっぱりつらい。
特にひめが旅立った時間。その後。
ひめが亡くなった実感が全くないのにただたただ涙だけが溢れてくる。
ついさっきまで動いてたお腹が動いてない。
でもまだ体はあったかい。
本当は死んでないんじゃないか?
生き返るかも?
って現実から逃げようとするけど、確かにひめは動かない。体も少しずつかたく、冷たくなっていく...
そんな事を思い出して胸がぎゅうっと痛くなる。
5月30日日曜日の朝。あの日は休みで、目が覚めてからいつも通り隣で眠るひめにおはよーの挨拶とちゅーをして、ベッドの中でゴロゴロしてました。
そろそろ起きるかー!と隣で寝てるひめを抱っこすると、首がぐにゃっと曲がって、私は慌ててすぐ下の部屋に連れて行きましたが父も母もいない。
とりあえずひめのいつもの場所でいつものベッドに寝かせて様子を見ることに。
この時の投稿にもたくさんのいいねや応援のメッセージをいただきました。ゆっくり見れてなくて、先ほど改めて見に行ったらあたたかすぎて優しすぎて、号泣しました。
遅くなりましたが、本当にありがとうございます🙇♀️
お水もシリンジであげてみたけど、ほとんど口からこぼれる。
病院は日曜日で休み。翌日連れていこう。だからひめちゃん、今日1日頑張ってね。と言いながらひめが寝るベッドの横に私も寝転がって、なでなでしたりテレビを見たり。
正直少し不安はあったのですが、ずっと抱っこしてるとよからぬ事が起きるんじゃないか?なんて考えてしまい、ひめの隣でいつも通りに過ごしました。
まさか今日お空に行っちゃうなんて思ってもないから。
時々なでたり、膝の上に乗せたり。
体がぐにゃぐにゃなのもこわくて、たまに抱っこして。
見つめ合って過ごす幸せな時間❤
何か少しでも食べてくれないかな?と思い、買ってきてた焼き芋を少しだけ口のところに近付けると、ペロッと舐めたのでお湯で少し伸ばして口の中に入れたらごっくんと飲み込んでくれました。
今思うと、本当は食べたくなかったかもしれない。
でも私は食べてくれたことに大喜び。
まだまだ大丈夫。
そしてお昼、夕方まで仕事のはずの母が、暇だから帰っていいよと言われたらしく帰宅。
母もひめの様子を見て心配してましたが、一緒にお昼ご飯を食べてテレビを見ていつもみたいに3人で過ごしました。
(これは旅立つ1時間ほど前に撮った、最後のツーショット)
ひめが旅立った日、父も母も私も家族みんないた事は確かなのですが、実は本当の最期の瞬間は私はいませんでした。
14時40分頃、私は薄めて飲むとよいと聞いて、ポカリとこれまた何も食べれない時によいと聞いたバニラアイスを買いにコンビニにいこうとしました。
「ひめちゃん行ってくるね」と寝てるひめの頭をなでなでし、靴下を履こうとタンスに向かうと母が
「ひめがあんたの方見とるで!」
って。
見てみると、のけぞるように頭をぐいっと上に向けて私の方をじーっと見てる。
朝から体も顔も全く動かせなかったので、私はてっきりなでた時に頭を動かしちゃったんだと勘違いして、ひめちゃんごめんなーって言いながら頭の向きを元に戻しました。
そして、行ってくるわ!と言い車を走らせた3分後。
母から着信があり、なんだか嫌な予感がしたのでスピーカーで出てみる。
「ひめの様子おかしいからすぐ帰っておいで」
と。
嫌な胸騒ぎ。
慌てて引き返し、家に到着するまでの3分、ドキドキが止まらない。ぶっ飛ばして帰りたいけど、こんな時に限って前に遅い車。
(がんばれ、ひめ。がんばれ)
と呟きながら運転し家に到着。
玄関を開けると父の
「息止まったな...」
という声が聞こえました。
私はその時なんだかとても冷静で、慌てることもなく泣くこともなく...ひめの方に近寄ると
「最後はあんたが抱っこしてやり」
と母が言いました。
抱っこした瞬間涙があふれ出て、
「ありがとう。ありがとうな、ひめちゃん」
と何度も何度も繰り返しぎゅっと抱きしめました。
ひめは死んだの?
なんで?
私がいない時にいっちゃったの?
と色んなことが頭の中をめぐり、涙はどんどんあふれ出てくるし、でも私の口から出てくる言葉は
「ありがとう」でした。
この時の記憶はあまり確かではありませんが、とにかく抱きしめながら「ありがとう」「大好き」をずっと言っていました。
その後は体を拭いて綺麗にしたり毛をブラッシングしまり、葬儀場に電話したり...
信じたくない、受け入れたくない。
でもしなきゃいけない。
母に
「このまま冷凍保存していい?」
って聞いたら
「あほか」
と一言だけ返ってきました。
真っ白だったおてても、膿で口の周りが汚れて最後の方は真っ黒になってました。
しっぽの毛と耳の毛をカット✂︎
肉球のスタンプを残し
いつものベッドにタオルを敷き、私が着てるインナーを脱いで体にかけ、首には母が愛用してたハンカチをかけてあげた。
夕方になっても夜になってもまだあたたかさが残る。
本当は生きてるんじゃ?なんて何度も思ったりして。
最期の日は家族みんながいる日を選んでくれた。
金曜の夕方から土曜日丸1日。そして日曜日もずっとひめの横で一緒に過ごした。
なのに、なんで最期の瞬間だけ私がいない時だったの?
私がでかけて5分後...
「コンビニなんか行くんじゃなかった」
と言った私に母が
「ひめは優しいから、最期の姿はあんたが耐えられんと思ったんや。出かける前にちゃんと顔向けて挨拶したやろ」
と言ってくれました。
Twitterで知り合い仲良くしてくれてる方にもLINEで伝えると
「ひめたんは〇〇さん(私)の事が大好きだから、最期の瞬間を見られたくなかったんだよ。大好きだから。」
と言ってくれました。そして
「最期の瞬間にだけとらわれちゃダメだよ。一緒に過ごした17年が大切だから」
と。
そうだよね。最期はひめが決めたこと。尊重してあげたい。
最期の瞬間だけにとらわれちゃいけない。
一緒に過ごした17年は幸せでしかなかったから。
でもやっぱり聞いてみたいな。
ひめちゃん、最期はなんで私がいない時を選んだの?
意味があるとしか思えなくて。丸2日ずーっと一緒にいたのに。
犬は旅立ちの時を自分で選ぶと言いますが、本当にそうだと思います。
翌週からはしばらく週末も仕事が入ってたりして忙しかった。だからずっと一緒にいられた、家族みんながいる日を選んでくれた。
旅立ちの時はひめが決めたこと。ママはひめが決めたことならどんな事も否定しないよ。優しいひめはきっと私たちの事を1番に考えてくれたから。
最期まで本当におりこうさんで、本当にかわいくて、本当に立派でした。
ひめちゃん、ありがとう。
本当にありがとうね。
旅立った時のツイート、そして翌日のお別れのツイートにいただいた本当にたくさんのいいねとコメント。全て目は通させていただき、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
コメントだけでなく、あの日はTLがひめちゃんでいっぱいだったよ、とたくさんの方が教えてくれました。
何度伝えても足りませんが、本当にありがとうございます。
私は皆さんに本当に救われました。
今でもあの時のツイートにたまにリアクションをくれる方がいてあがってくるのですが、正直まだきちんと見ることができません。
必ずお返事するって言ったのに、まだまだできそうにありません。ごめんなさい。
しかしひめちゃん、あなたたくさんの方に愛されすぎててママぶったまげたよ。
幸せものだね、ひめたん。