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朱里。 プロレス、キック、総合格闘技の頂点を見た者

今回は、スターダム朱里選手の『朱里。 プロレス、キック、総合格闘技の頂点を見た者』を読みました。

「プロレスラーは人に何かを伝え、影響を与える存在であることが理想。」p5

「プロレスラーをやっている以上、見る人に対して何かしらの影響を与えたい、人生を変えるような存在でありたい」p132


 未だになぜ朱里選手にサインしてほしいと思ったのか、うまく説明できません。

でも、すごく惹かれていたのは事実です。入場曲が流れるとテンションがあがります♪

 以前にも投稿しましたが、先日大阪でのファンミーティングで初めて朱里選手と出会い、サインしていただくとともに、少しお話をしてくださいました。初対面にも関わらず、とても丁寧に「初めて来てくださったんですか?」「ぜひまた会場にもいらしてください」「応援してくださいね」など、他愛もない会話なのですが、目を見て穏やかにしっかりファン一人一人に対応してくださる彼女に惹かれました。

 サインには「サラマポ」って書いてくださるのですが、この本を読むと、彼女のルーツに関することとも関連するのですが、なぜフィリピン語を使ってメッセージを残してくださるのか、よくわかります。


 朱里選手はただ単に強いだけではなく、ファンを惹きつける魅力があります。プロレスラーはみんなそうだろうとツッコまれそうですが、プロレスラー自身が、どのようなバックボーンを持つのかによって、大きく異なるのではないかと思うのです。例えば、相撲、格闘技、レスリング、柔道などなど。

 朱里選手は空手だとありますが、空手って、知らない人、やったことがない人にから見ると、拳足を駆使する打撃が中心なので、地味ですよね(別に空手をディスっているわけではありません)


 ただ、スターダムでの朱里選手の試合で、地味だとは全く思いません。


なぜか?



私の予想…推測ですが、


TAJIRI選手による見せ方やファンに伝える技術・方法論といったプロレス学がその根本にあるからではないかと。


「ただ技を出すだけでは、その凄さが伝わらないことが」ある。「大技をやる前に何かポーズを取って、お客さんの目を引き付けておくのも重要」p71

「お客さんに伝えるのが大事」p91

「"見せ方"重視」p91


つまり、

ただ相手に勝てばいいというわけではなく、ファンに「刺さる」試合をするか、ファンに観られている意識を持って、いかに見せる意識を強く高められているかどうかですね。

いつも私は、"ファン"と表現していますが、多分ファンにだけ、つまり「分かる人には分かる」ではダメなんだと思います。極端なことをいえば、誰が見てもわかる必要がある。



プロレスに限らず、何かを好きになるきっかけって人それぞれですが、「何かに」惹きつけられてその世界に入っていく。

 私にとっては、プロレスラーとは、その人にとっての必殺技というわかりやすい攻撃(いわゆるその人の自己主張)を相手に繰り出して倒すヒーロー(ヒロイン)的なものでした。これは、いわゆる子どもの戦隊モノ、プリキュア的なものと似ているのではないかなぁと感じています。




 また、「自分の魅力も相手の魅力も引き出して、お客さんに憧れや共感を抱いてもらって『また見にきたい』と思ってもらうのが大事。」p140とあります


ただ、それでも単に派手な技、危険な技で相手を潰したり、怪我をさせることのは、プロレスではない。

 おそらく常に意識しているわけではないのでしょうが、「相手の実力」を見極めたうえで「相手の技量に対する信頼関係」p207がないと成立しない。




 朱里選手は、プロレスの最大の魅力は、「立ち上がる姿」p141だと表現しておられますが、まさしくその通りだと思いますし、ファンは立ち上がろうとするその過程、攻撃を受けて、次はどんなふうに立ち上がるのか、を観ているのではないかと。私は、立ち上がろうとする女子プロレスラーがどんなふうに立ち上がるのかを毎試合、真剣に観ています。



 朱里選手のことではないですが、スターダムそして東京女子プロレスなど、なかなか試合には勝てないけど、「魅せることの出来る選手」つまり、プロレスを媒介にして、自己主張出来る選手がたくさんおられるので、ファンは応援したくなるのだと思います。


「お互いの持ち味を出しながらお客さんに伝わる『試合』をする。」p210


 相手のことを十分理解していないと、自分の持ち味も相手の特色も引き出せない、つまりファンにはわからない。

プロレスって単なる喧嘩ではないんですよね。

朱里選手は格闘技など様々な経験があることから、様々な人と出会い、それをプロレスで体現しておられますが、私からは朱里選手のプロレスは、TAJIRI選手のプロレス学がその根本に流れているんだと思います。



「スターダムの守護神」p213

これは、ジュリア選手が朱里選手を表現したそうです。


この本の最後に鈴木みのる選手との対談が収録されています。そこで鈴木選手が「自分には師匠はいるけど、弟子はいない」「『自分はこの人から教わった。この人が師匠だ』って、それは教わった側が思うこと」「先生を作るのは生徒なんだ」p264-265とおっしゃています。

朱里選手のことを先生、師匠だって思ってくれている選手がスターダム、そして団体外にもたくさんおられるのではないかなぁ…と思い馳せるひめのひとりごとなのでした

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