演劇デザイナー、始動。
始めまして。
演劇デザイナーの香西姫乃です。
演劇デザイナーって何?
と思う方が大半かと思います。
演劇デザイナーという名前は、私が勝手に作って勝手に名乗っています。
こういうの言ったもん勝ちですよね。
演劇デザイナーとは、
「演劇のあり方を計画し、良い方向に進める人」
と考えています。
デザインという単語の意味は元々、
「計画を表にあらわす」
「工夫を凝らす」
「計画を前に進める」
という意味があります。
演劇の計画をして、工夫を凝らし、その計画を進めていくというのが
「演劇デザイナー」です。
私の目標は
「演劇が娯楽として広く浸透すること」
そのために、これからこのnoteをはじめ活動していきます。
さて、そんな演劇デザイナーを名乗り活動を始めるにあたって、
自己紹介をしたいと思います。
簡単なプロフィール
名前:香西姫乃(かさいひめの)
1996年6月27日生まれ。生まれた病院は千葉だけどすぐに広島へ移動。
現在は神奈川県に住んでいて、都内女子大デザイン学部3年。
専攻はデザインマネジメントと少しの動画やCG。
香西姫乃は芸名で、由来は高校時代の「火星の姫」というあだ名。
火星人みたいに理解できなくて、
姫のような振る舞いをしていたらしいのでそう呼ばれました。
そんなつもりはなかったんだけどな……。
小学校2年生の時に児童劇団に入団。
そこから現在まで演劇を続けている。
芸歴でいうと14年。長くね!?
現在は母体大学を持たない学生団体である劇団Яeality主宰兼演出を務めています。
第15回杉並演劇祭優秀賞受賞。
2018年7月号のテアトロにも講評乗ってます。
もしよかったらチェックしてくださいね!
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今後、小劇場webメディアなどを運営予定です。
小劇場って怖いってイメージを無くしたい!
ちなみにアメブロでブログも更新中。
更新頻度高めです。目指せ1日1記事。
幼少期から出たがり系女子だった
幼稚園時代から、私は人前にガンガン出て発言し、
大人の会話の中に混じってお話ししている
いわゆる「おませな女の子」でした。
私が幼稚園から小学校に上がる位の時って
「天才てれびくん」略して天てれの黄金期だったんです。
天てれの世界はとても楽しそうで、
「私もてれび戦士になりたい!」と親に言っていたそうです。
親も私が一人っ子だったので、
上下関係のある習い事をさせたかったらしく、
「なんかプロダクション的なサムシング」
を探していてくれました。
そこで、幻のCMと呼ばれる
NHK東京児童劇団の広告を母が目撃します。
当時は児童劇団のhpも無く、怪しげといえば怪しげだったのですが
NHKだし大丈夫だろ!ということで入団試験を受験。
そして一年目、見事に不合格。
私は大号泣だったらしいです。覚えてない。
一年後、また入団試験の時期がやってきて
親が「今年は受験する?」と私に聞いてきました。
小学2年生が私達の学年は入団のラストチャンスで、
今年落ちたら入団は未来永劫不可能という状況です。
私は「後悔したくない」と言って
二度目の入団試験を受験します。
なんとここで合格。
晴れて私はNHK東京児童劇団の団員になれたのです。
運命を変えた8歳の誕生日
2004年6月27日。
私が劇団に入団したのは、私の8歳の誕生日でした。
おそらく、人生が終わるまで絶対に忘れない誕生日。
私が演劇への第一歩を踏み出した1日です。
22回の誕生日のなかで最高のプレゼントがもらえた日。
ここから、私の演劇生活が始まります。
最初の一年は、同期(わたしは40期でした)での養成期間と呼ばれる稽古でした。
この一年は楽しかった。よく覚えてないけど。
3年生に上がると同時に、学年ごとの稽古になります。
そこに居たのは、私が落ちた入団試験で受かった同学年。
正直、ちょっと居づらかった。
9歳ながらにコンプレックスだったんですよね。
ここから高校2年生まで
「40期コンプレックス」が私に付きまといます。
私が落ちた時に入団した子達は39期だったのですが、
39期がお芝居も上手いし
かわいいし
良い子だし
「この子達がいると私はきっと良い役貰えないな……。」
と小学4年生の時には思ってしまうほどでした。
私の居場所は「ネタキャラ」
時が経って中学1年生。
毎年夏休みに2時間の舞台を児童劇団の団員だけで作るのですが、
そこで私は音痴な女の子役を貰いました。
初めは恥ずかしいとか嫌だとかそんなことを思っていたりしたのですが、
ダブルキャストのお姉様が、
もう、なんか、めちゃめちゃはっちゃける人で
(ネタキャラといえばこの人、と団員全員が思っている人だった)
「あ、私恥ずかしいとか言ってる場合じゃないし、
本気で死ぬ気でこの役やらないと私ダメだ。」
と思ったんです。
そこから、おもしろい動きだとか仕草を研究。
無我夢中で役に向き合ったのは初めてでした。
本番も近づいてきた頃、
初めて演出の先生に褒められました。
というか、
「うん、いいね」
くらいだったと思うのですが、
演技を肯定されたんです。
その日は泣いて喜んだ。
そして舞台も無事成功。
「次のネタキャラは私だ」
と、自他共に認められるようになりました。
ここで私は
「39期の誰にも負けない武器」
を手に入れるのです。
これがあったから途中で辞めずに卒団出来たんだな、と思っています。
私にネタキャラをやらせたら右に出るものはいない。
というか出させない。
そんな気持ちになっていました。
台詞一言、出演30秒
中学3年生の夏の舞台。
私は自分史上最も出演時間が短い役を貰います。
2時間の舞台で、
台詞一言、出演30秒。
ちなみに同い年の39期の女の子は主役。
予想はしていたけれど、やっぱり寂しいなぁと思っていました。
しかしこの夏休みが、今の私に直結するのです。
通し稽古が始まると、主役だろうが小学1年生だろうが
朝10時から夜8時までの稽古になります。
私は30秒しか出演がないので、
1日の大半は出番待ちでゴザの上に小学生と一緒に座ってました。
そこで、演出の先生がどのように演出しているのかを観察していました。
何日か見ているうちに、
先生がどこをダメ出しするか予想できるようになりました。
もちろん私が思うよりずっとダメ出しは多いけれど、
「あ、ここはこうだからダメなんだ」
「ここをこうしたらもっと良くなるんじゃないか」
という事を考えるようになっていたんです。
これが物凄く楽しかった。
どうしてこう動くのか
どうしてここに居る必要があるのか
この場面はどこに視線を持って行きたいのか
ここで私は
「演出ってめちゃくちゃ楽しいのでは?」
と思い始めます。
同時に、高校生が扱っている小道具や
音響のタイミングなども気になっていきます。
この小道具はどうしてこの形をしているのだろう
この音は何をイメージして作ったんだろう
もう、毎日が発見の連続で
7回出た夏の舞台の中で一番楽しかったと思います。
私は中学3年生の夏休み
演劇の虜になってしまったのです。
救ってくれたのは39期だった
児童劇団は高校生になると
・合宿の企画(運動会やキャンプファイアー、子供達の部屋分けなど)
・夏の舞台の出欠確認、小道具の管理製作、音響のポン出しなど)
・クリスマス会、卒団式の企画運営
をやるんです。
一年中何か企画が動いている状態で、
そこには参加していたんです。
私は事務作業的なことをよくやっていて、
そこに今も仲が良いおかもとまゆと柴田茉莉もいました。
おかもとと柴田は39期で、少し苦手だったのですが、
一緒に仕事をしていくうちに打ち解けて
今ではお互いを盟友とか戦友と呼んでいます。
「40期コンプレックス」がずっとあって、
この子たちには敵わないと思っていたけれど
私には私にしか出来ない役があって
彼女たちが私を必要としている。
そう思えたら、40期コンプレックスは薄れていきました。
私には私にしか出来ないことがある。
そう39期が教えてくれたんです。
おかもとと柴田がいたから、私は同学年と上手くやれていました。
そんな2人と、卒団後もお芝居を作り始めます。
大学の垣根のない演劇を
高校3年生の12月。
おかもとと共に、大学生になっても演劇をしようという話をします。
それも、自分たちで団体を立ち上げて。
既存のサークルに入っても良かったのですが、
役者をやるにも台本を書くにも裏方をやるにも
一刻も早く自分の手でやりたかったんですよね。
そこで仲間を集めて
劇団Яealityを立ち上げます。
毎回おかもと(脚本を書くときは横月まひろという名前)がオリジナル台本を執筆し、
過去5回公演を行いました。
毎回集まる仲間は様々で、
児童劇団時代の友人から、
中学高校の同級生、
最近はオーディションで募集することも多くなってきました。
毎回文化や環境の違いから衝突等もありましたが
大学生の力だけで舞台を作ってきました。
2018年3月、第5回公演「Яeact」は、
第15回杉並演劇祭で優秀賞を受賞。
初めての団員だけの公演で、
短編5作品2時間の舞台と無謀ともよべる挑戦だったのですが、
「心のひだを良く描けている」
というお褒めの言葉を戴きました。
審査委員長の篠崎さんにも
「あなたの演出はセンスが良いからこれからも頑張ってね」
と仰って頂けて、
もう、感無量……!!!
こうして、演出家香西姫乃は現在も成長中です。
もっと広く演劇を
今までの話だと、
「舞台作っていれば良いんじゃない?」
とお思いになられるかもしれません。
しかし、このままではいけないと私は思っています。
現在小劇場界隈は、
ほとんど同じお客様が出入りしています。
それは、
劇団のファン
役者の知人、友人
演劇関係者
です。
それじゃ文化として発展しないですよね?
演劇は元々、庶民の娯楽として発展していきました。
それが、今は高いチケットや予約制など
「気軽に楽しむ娯楽」
とはちょっと遠くなっています。
「現代にはそれがあってるんじゃない?」
と言われればそれまでなのですが、
それでも、演劇が娯楽であるうちは
もっと多くの人が来やすい環境を作るべきだと思うのです
実際、
「演劇って興味あるけどちょっと怖い」
「事前情報が無いものにお金は払えない」
「何を見ればいいのかわからない」
という声を聞きます。
そうしたら、それを工夫して考え、
計画して実行するのが演劇デザイナーの役割なのでは!?
もっと演劇の間口を広げて、
多くの方に演劇を楽しんでもらえるように。
演劇が居場所を作ったり
仲間を呼んだり
救われることもあると思うから。
これからやりたいこと
これから、私は
・小劇場のwebメディア
・観劇の手引き作成
・劇団情報まとめサイト作成
・演劇関係者の個人広報活動支援
・小劇場情報アプリ開発
を行なっていきます。
目的は観客層を広め、演劇が手軽な娯楽になること
そして、「演劇では食っていけない」と言われないようになること。
演劇界の発展を目指して、活動します。
このnoteには、マガジン別に様々な演劇関連の記事を作っていきます。
アメブロやLINE @、Twitterでも発信していきます。
ご意見ご感想を是非聞かせてください!
ここまでで文字数4000字超え。
ながーい自己紹介を読んでくださりありがとうございます。
「演劇関連でこんな情報が欲しい!」
「こういうことやってほしい!」
などがあれば、コメントやLINE @から直接お聞かせください!
これからどうぞよろしくお願いいたします。