演出は本番の前では無力
コントロールできない
このシーンは、主人公が彼の世に旅立つ瞬間の写真です。
幽霊が、最後に戦友たちに思いを伝えて旅立つのですが、
このシーンはとても幻想的なシーンになりました。
稽古では、明るい蛍光灯の下で行うので
どういう風になるのかっていうのは照明頼りだったんですね。
私のオーダーはかなり抽象的だった気がします。
(よく覚えていない)
それを見事に再現してるれる。
さて、この写真ですが
写真をいただいたデータのままですので、加工はほとんどしてないんじゃないかな??と思います。
そうなんです。
舞台って、インスタみたいにフィルターをかけられないんです。
これって、今の時代ありえなくないですか??
映画だってテレビだって
「こう見せたい!」
という監督の意思で、
青い空をもっと綺麗に!とか
恋する女の子の目線でちょっとキラキラ!
とかできるじゃないですか。
演劇って、それを物理的に行うことができない。
照明や音響で雰囲気は作れるけれど
目に見える映像の操作はできないのです。
テレビや映画はアップにしたいところをアップにするけど
舞台でアップは不可能とは言わないけどあまり見ないです。
舞台は、制限が大きい。
その中でお客様は、
自分の見たいところを、時にはオペラグラスなんかを使って見ています。
それは主人公かもしれないし、
大好きな役者さんかもしれない。
演出が、見て欲しいところを見せるのは、
実はとても難しいことなんだな、と感じています。
この写真、裏切り者の女性が打たれて死んでるところなんですが、
演出的には「そこじゃない」んですね。
(もちろん、写真としてとても美しいしこうやって使えるのは感謝なのですが。)
ここ、本来なら彼女を撃った人にスポットが当たっていなければならない所なんです。
しかし、ドクターの散り方が美しかった。
これは彼女に目が行っても仕方ないな……と私は感じました。
お客様の目線誘導は、演出時に一番時間を割きますが
やはり役者が乗ってる時のそうでない時で変わってしまうことが多くて。。。
コントロールが極めて難しい、と感じます。
加工・編集はお客様
この写真は、写真の男性が悪役だ!とミスリードする場面です。
このシーン、本当は男性がは主役の女の子を守ろうとする場面なんですね。
しかし、それが「悪い大人」という風に見える。
照明は青基調で、夜道という情報がわかります。
ここ、多くのお客様が男性が敵だと思っていたと思います。
私のイメージですけど、後ろから魔の手が伸びているような感じ。
それって、演出としては全く与えていない情報なんです。
彼の演技も、実はそこまで悪い感じになってないんです。
本物の悪役ではない、けれど怪しいレベル。
これは確実に、彼の演技以上にお客様が「悪役フィルター」をかけているのではないかと思いました。
舞台では、最終的に編集作業をするのはお客様だ、と改めて感じました。
私たちは、いわば物語の「素材」を提供しているだけ。
監督はきっと編集までするんだけど
演出は編集はしない。
大きな差だと思いました。
心に残るのは、自分で観た映像
テレビで観光地の特集を観て、実際に行ってみたら感動した……。
みたいなエピソードって結構ありますよね。
実物の方が綺麗、みたいな。
これって、きっと舞台にも言えるだろうな、と思うのです。
舞台は映像じゃなくて生で見るべき!
という方は結構いるんじゃないかと思うのですが
それって、編集されてるからとかじゃなくて
自分で編集作業を行った映像は心に残る
ってことなんじゃないか、と思います。
バラエティとかも、何の気なしにみているのと
スタジオ観覧に行ったのではインパクト違いますよね。
実際に体験、というよりかは
自分で記憶の映像を編集する、という作業が大切なのかなって思います。
それを演劇に落とし込むと
編集ができる余地がある舞台ほど心に残る
ということなのでは??と思います。
それって演出的にはめちゃくちゃ難しいことなのですが、
私が主宰する劇団Яealityの1〜4回公演までの台本の根底にあるのは
「お客様が自分のことだと思って感情移入できる要素を全役に与える」
というものでした。
これって大切だなぁと思っていて
自分のことのように感じられるものって、そこに焦点を当てて自分と重ねて編集しやすいと思うのです。
万人うけ、と呼ばれる舞台は、この要素が上手に取り込まれているのかな、なんて思います。
感動したことは、心のムービーに。
自分で編集するって、大切だなって。
何回言うんだって感じだと思いますが
体験して心に残すって結構エネルギーのいることだし
それを半強制的にしてしまう演劇の力やいかに!
って感じです。
余白のある演出。
心がけたいと思います。