「モノ消費」と「コト消費」
平たく言えばいま、25年間働いてきた記念に、自分自身への退職記念としてロンジンの腕時計が欲しいのである。
さて、コト消費とモノ消費について考えてみることにする。コト消費するよりも、モノ消費した方が良い。と言われているし自分自身でも実感としてある。
コト消費とは、お金を旅行や外食などの体験に変えること。モノ消費とは、お金を服やクルマなどの物質に変えること。
コト消費した場合、その体験はその後の年月の経過とともに豊かな思い出となって残り続けるし、その価値が維持されるかもしくは膨らむ。
モノ消費した場合、幸せなのは買った瞬間が最大であり、基本的には右肩下がりに幸福感は落ちる。
どちらも、実感として同意できる。
昔の自分の判断ミスだな、と思った事。中学生ぐらいの頃だが3000円のお小遣いを何に使うか?で。当日好きだったバンドのCDを買うかライブに行くか考えたことがあった。当時は3000円でライブに行けたんだね。当時の自分は「ライブなら1回聴いたら終わり。CDなら何回でも聴ける、だから絶対CDやん」と思ってCDを買っちゃったけど、今思えば若い時に憧れてたバンドのライブをもし見に行っていれば、そこで受けた感動体験を死ぬまでずっと楽しめたと思う。
今回考えてみたいのは、冒頭に書いたように「人生の節目の記念として高級腕時計を買う理由」まあ言うたら「言い訳」だ。
価値のある「モノ消費」ってないんだろうか?自分の過去経験から印象に残っているモノ消費を書き出してみる。
[日産 スカイラインGTSt(中古)]
大学4年の時に頭金なしの5年フルローンを組んで買ったクルマ。入社同期たちと比叡山の夜道を走りに行ったり、初めての彼女を乗せてドライブしてみたり、いい思い出がたくさん。
[オメガ スピードマスター]
社会人最初のボーナスで、一目惚れで買った限定の真っ赤な高級腕時計。当時は10万円で買えた。「私もそれ気になってた」と言ってくれた女の子と最初の結婚をした。
[バーバリーの革コート]
これは私が苦労の末、やっと一級建築士に合格できたとき、叔母が記念に買ってくれたもの。大丸に連れて行ってくれて「何でも好きなの買ってあげる」と言ってくれた。叔母も苦学して税理士を取った人なので一緒に喜んでくれたのかもしれない。
そのモノに込められた「思い」やそのモノから生まれた「体験」が素晴らしいモノ消費の原則なのではなかろうか?
と、言う事で「言い訳ロジック」完成。タイミングを見て妻に許可を得て、ロンジンの高級腕時計を買いたいと思う。