優しい人を哲学する
1,優しい人の定義は曖昧
思いやりがある人、困っている人を助ける人、誰にでも平等な人。
優しい人と言ってもいろいろある。その全てが優しい人なのかもしれない。
思いやりを持った結果が軋轢を生むかもしれない。誰かを助けたことによって、困る人がでてくるかもしれない。そもそも完全なる平等など存在しないし。
では次に、具体的な優しい人を考えてみる。
アンパンマン、尊敬する先輩、メシア。
いくら大悪党のバイキンマンでもあれだけ殴るのはやりすぎだ。尊敬する先輩にも損得勘定や裏の顔があるかもしれない。メシアのおかげで戦争の原因が一つ増えたわけだが。
優しい人の定義は実に曖昧だ。
2,理論的な優しい人
先ほどのように、誰かに優しさをもたらしたつもりが、誰かを傷つけることもある。なら、理論的に優しい人は外堀から埋めるしかない。
直接悪口を言う、本当に困っている人を見捨てる、みんな不平等に扱う。
これらは、必ず悲しむ人を生む。もちろん直接的な悪口を聞いた第三者が笑顔になったり、自分だけ特別扱いをされて快感を感じる人もいるだろう。しかし、一人でも悲しむ人を生む言動があるなら、それは優しい人ではない。
とりあえず、我々にできることは、確定して誰かが傷ついたり、悲しんだりする言動に気を付けることくらいだろう。
3,誰かにとって優しい人
優しい人の定義は難しいが、ターゲットを絞れば、優しい人は定義可能だ。その証拠に、自分に優しい人はいつ如何なる条件でも存在する。
自分以外にも存在はする。Aさんが喜ぶこと、幸せになることをする人。第三者にいかなる犠牲を払ってもいいのなら、これは実現する。ただ、第三者を雑に扱ったことをAさんが知ったとき、Aさんがそれでもいいと思えることが前提だ。
一見難しい前提のように聞こえるが、戦争をしていた頃は戦争相手国のことを気にしている国民はほぼいなかっただろう。その人たちにとって、戦争に勝つことは優しさである。
しかし、我々が求める優しい人はこれではない。
4,優しい人に条件を加える
どう頑張っても理想的な優しい人は存在しない。なら、条件を加えて優しい人を定義してみる。
条件:「より多くの人にとって」
より多くの人にとって優しい人なら、小を切り捨てれば存在可能だ。残念ながら、世間一般に優しいと言われる人はこの条件がついている。あるいは、「私にとって」という条件かもしれない。
なんでもいい。「私が知る範囲では」「誰かを傷つける時もあるが」など。
5,哲学的な結論
優しい人は条件付きでしか定義できない。
いきなり突き放すようだが、勝手に条件を付けて、勝手に定義してくれ。