65、嫌悪感を抱く相手や物事が教えてくれること
私の場合は、
ダダをこねている子どもが
騒いでいるのを見て嫌な気分になる。
時間にルーズな人を見て嫌な気分になる。
電車の中で電話してる人も嫌な気分になる。
これが良い悪いは別として、
ジャッジをしない状態で
自分と向き合うと、、、
自分は子どもの頃、
一般的に言われる良い子だった。
聞き分けも良かった。
ダダをこねて泣き喚いたこともない。
育てやすい子だったと言われている。
きっと、
自制して、我慢してきたのだと思う。
本当はもっと自分を出したかったかもしれない。
自分はルーズにならないように努力している。
早めに家を出たり、
正確に逆算して
かなり余裕を持つようにしている。
相手を嫌な気分にさせたくないから。
でも、本当はしんどいのかもしれない。
これが自己犠牲に変わっているのかもしれない。
人は自分が我慢して守っていること、
無理してでも守っていること、
しんどくなっても守っていること、
自己犠牲になっても守っていること、
それらのことを
平気で守らずに
やっている人に腹が立つのだと感じる。
相手の行動に
自分のそういう部分が反応して
嫌な気持ちになるのかもしれない。
では、どうしたらいいか?
もっと自分を解放していい。
他人に不快な思いをさせても
ぶつけるってことではなく、
自分の本心をきちんと自分で聞いてあげる。
自分は本当はどう思っているのか?
どう感じているのか?
もしかしたら最初は
ずっと押し殺してきていたから
わからないかもしれない。
それでも良い悪いも関係なく
こんなこと思ったらいけないとかでもなく
ジャッジしないで
純粋な自分の思いを
自分自身で聞いてあげることをする。
幼少期から抑えてきた自分を
解放してあげる。
そうすることで
押し殺してきた自分も
癒されていく。
その解放が進んでいくと、
変化が起きてくる。
ダダをこねている子どもを見ても
前よりも反応しなくなっている
自分がいる。
時間にルーズな人に
前ほど反応しない。
(待たされるのは嫌だから
今後待ち合わせはしなくなるかもしれないが
そういうことは別として)
電車の中で電話している人に対しても
良い悪いとかは別として
反応自体は前よりも
しなくなってくる。
こうした変化を徐々に感じられるように
なっていくと思う。
我慢していた自分を解放して
自分自身で自覚して
声を聞いてあげることで
以前よりも
嫌悪感ていう心の反応自体はしなくなる。
ダメだと思って抑圧しないで
自分のそういった部分も
自分自身で愛していこう。
自分の中の女性性の感じたことを
自分の中の男性性で大切にしていく感覚。
それが出来てくると、
ツインレイの相手からも
より大切にされるのを感じられる。
自分が見ていたりされたりして
嫌悪感を感じること、
嫌悪感を感じる人というのは
自分が我慢していて辛くなっている出来事とも
言い換えることができる。
そこに気付かせてくれる相手でもある。
自分に焦点を向けて
自分を解放し、癒していこう。