意地を張る。カッコつける。④
みなさんごきげんよう。ランチのステーキを食べ過ぎてお腹がパンパンの神聖幾何学マニア★姫です。
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そんな流れで、
本来あるべき自分をかなぐり捨てて、自分の作った最高のキャラクターを演じて生きる。それが自分を破滅に追い込むんだと気が付いても、時は既に遅し、切り崩す勇気もなくて、意地を張って演じ続けて、カッコをつけ続ける。
途中までは、それもまたいいのではないかと思っていた。
自分の作ったキャラクターは、自分のなりたい人間像でもあったから、理想の自分が叶い、取り巻く人たちもその理想の自分に沸いてくれているのなら、それはそれで幸せなことなんじゃないか、と。
今にして思えば私は、“普通の人” という、本来なりたかった自分 (芸能人) から見ると烙印を押されたかのような屈辱感 (=心の欠損) を、自分の作った最高のキャラクターを演じ、賞賛されることにより、補填していたのだと思う。そうすることで自分と自分の生活を守っていたのだと。
だが、幸い (?) 私の心や体や脳は正常だった。
どんどんどんどん、その生活が辛くなっていったのである。www
私は昔からいわゆる "普通" っていうやつにとっても憧れがあった。
この "普通" ってのの定義って非常に曖昧さを持ち合わせているものなのだが、なんとな~く万人が想像する "普通" というものを、なんとな~く想像してみて欲しい。w
人で言うならば、どこにでもいる、目立つでもない目立たないでもない絶妙なファッションセンス、取り立てて強い主義主張もなく、人畜無害の、いやむしろいるのかいないのかすら議論にならないくらいの、そんな人。
ステージに立っていた頃は、ステージで自分を表現する分、オフの自分はそんな感じでありたかった。誰でもない、何でもない、つまらなそうな、ただの人。
だけど、ステージがなくなったら、どうしたらいいのか分からなくなった。私は常に、誰でもない、何でもない、つまらなそうな、ただの人?
このときに初めて、ステージの自分とオフの自分がいることで一人の "姫" という人間が完成していたのだと気が付いた。映画の仕事が始まるまで...と気軽に入った会社で演じることを選んだのは、きっとそのとき既に一人の "姫" としてのバランスを崩していたからに他ならないのだと思う。
演じながら過ごしていたこの時期が、人生でキツかった時TOP3に入ると思うんだけど、このとき『意地を張って』『カッコつけて』も自分にとっていいことなんて何もねぇな。と、この身を以て、だいぶ以て、実感したのである。
詰まるところ、ちょいと視点を変えると、私はバンドのステージでもずっと『意地を張って』『カッコつけて』いたことになる。
そんなバンドがデビューして、人気なんて出ようもんなら、その後の私は完全に地獄絵図である。今から振り返ると、デビュー出来なくて本当に良かった、と胸を撫で下ろす部分がある。(もちろん悔しさは今でもある。)
このときのこの気付きがなければ、私はきっと今もなお意地を張ることが当たり前で、カッコつけることが当たり前になっていただろう。
何といっても、だいぶマシにはなったものの、未だ板に付いたこの癖は抜けないのだ。
今世で消えればラッキー♬ぐらいに思っておくことにしてる。
と、いうワケで。
こんな変な経験は誰しもがするものではないと思いますがwwwwwwwww
まずは他者云々よりも、自分に対して自分がいちばん素直で飾らずにいられることが最重要事項。それが出来るようになったなら、他者に対しても素直で飾らずにいられる時間が、少しづつ増やせたらとっても良い。
自分のために、自分を生きる。
現場からは以上です。
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