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オタクって強い ~ライター備忘録~

ガヴリーロフ氏のリサイタルを経て、恋人とライターにまつわるいろんな話をして、記憶に残しておきたいなと思い、まとめました。Twitterでこの前つぶやいたような話です。

音楽の感想を表現するのは難しい

前回、ガヴリーロフ氏のピアノリサイタルの感想を書いていて思った。音楽を聴いて感じたことをまとめるのは、かなり難しい。

この感動をどうにか伝えたい!と思っても、それをうまく言語化することができない。言語化した途端に、その感動は陳腐なものになってしまって、なんかちょっと違う、もっと言いたいことがあるのに!って思う。

以前、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を読んだ時、読んでいると音楽が聴こえてくるような感覚に陥ったのを覚えている。あんなふうに音楽の感動を伝えられたらどんなにいいか。でも、私にそんな技量はない。

似たようなことを妹が言っていた。
私は小説の感想を書くのは好きだし得意なほうだと思っている。そういう私に対して、妹は「難しくない?なんで書けるの?自分の言いたいことを表現しようとすると、途端に陳腐になるから嫌で、感想が書けない」と話していた。

私はその時、(そうかな、そんなに難しいことじゃない。思ったことをそのまま言葉にすればいいだけ)と思っていた。不思議と小説の感想に関しては、自分の伝えたいことがちゃんと伝えられている気がする。

だが音楽は違った。一応思い出として感想を綴ったけれど、まだ伝えたい気持ちの数パーセントしか伝えられていない気がする。もっと言いたいことあるんだけど…って胸の中で、まだ芽の出ない、伝えきれていない想いが渦巻いている。

ガチオタの表現がすごかった

ピアノリサイタルの日、他の観客はどんな反応なんだろうと気になり、Twitterで検索をかけてみた。そうしたら、長文レビューがいっぱい出てきた。驚いたのは表現力。みんななんでこんなにうまく表現できるの?こんな言葉どこから出てくるの?なんでこんな書けるの?皆さんのレビューは素晴らしかった。

ツイートしている人のほとんどは、ピアノやクラシック専用アカウントだった。つまりはガチ勢。ピアノやクラシックのガチオタクというわけだ。彼らは普段からピアノ音楽をよく聴いているんだろうと思った。

この話を恋人にしたら、「ピアノやクラシックのガチオタは恐ろしいほどマニアックだからね」みたいなことを言っていた。彼らは普段から音楽を聴いているのはもちろんだが、それだけではなく、ロシアピアニズムを研究したり、いろんな書物を読んだりしている人たちなのだと。

そういうことをしているうちに、自然と表現力が備わっていったのかもしれない。様々なピアニストの音楽を聴いたり、様々な書物を読んだりしているからこそ、表現の引き出しも多いんだろうと思った。

そう考えると、やっぱりオタクって強い。彼らはライターでも専門家でもない。ただ単にピアノ、クラシックが大好きで、純粋に思ったこと感じたことをそのまま書いている。私が小説の感想を書くのと同じ感覚なんだろうと思った。

「好き!」という気持ちや熱意は大切

こういう人こそ、ふっとライターになっちゃったりするんだよね。私は子供の頃から文章を書くことが好きで得意だったから、それを仕事にしようと思って生きてきたタイプだけど、周りを見るとそうじゃないライターもいっぱいいる。編集・ライター養成講座の先生方も、文章力は後からいくらでも身につけられるから、そんなに必要ないとおっしゃっていた。

文章書くのはどちらかというとそんなに得意じゃないけど、あまりにも◯◯が好きで、それについて発信し続けていたら、そのライターになっちゃった人とか。何かに対する熱意からライターになった人も多い。

いろんな人がいるけど、どちらにしても、好きという気持ちや熱意は、物を書くときのネタや原動力になるから、ライターにとってはすごく大事なものだなと思う。

生み手と受け手の相乗効果

ただ、単純に好きだから、いろんな表現を知っているから、素敵なレビューが書けるのかもしれないけど、それだけではないみたい。彼はこうも話していた。

「ガヴリーロフの演奏がああだったから、みんなのレビューもああなったんだと思うよ。普通の一般的な演奏だったら、ああいう表現にはならない。そう考えると、生み手と受け手の相乗効果だね」

書く対象(生み手)の面白さや素晴らしさと、書く人(受け手)の表現力や技量。その二つが合わさってこそ、いい記事が生まれる。彼の言葉で改めてそう感じた。私が書いた編集・ライター養成講座の卒業制作もそうだった。

この記事は、人のこれまでの人生を振り返って綴っていく形式で、普通なら日記のようになってつまらないと思う。でも、これは横尾さんが波乱万丈の人生を送ってきた素敵な方だったからこそ、面白みが出て、優秀賞をいただけた。先生方にもそのように評価をいただいた。横尾さんの人物像自体が良かったから、記事も通り一遍にならなかったのだ。

わかりやすく書くのが私の強み?

あと、この話を通じて改めて気づいたことがもう一つ。
「そういう奴ら(クラシックのガチオタ)って回りくどくて複雑な書き方をする人が多い。変な装飾を多用したり、遠回しな表現をしたり。姫はそういうタイプじゃなくて、どちらかというと簡潔にわかりやすく書くのが得意なんじゃないの」

彼にそう言われて、そうかもしれないと改めて思った。これまでも私の文章について、他人によく言われるのが「わかりやすい」だった。講座でも、先生に「簡潔でわかりやすい」という評価をいただいたことがある。

私は今、ライターというより事実を伝える記者のような仕事がメインなのだけど、私には合ってるのかもしれないなと思った。出来事、人物、場所、商品などをわかりやすく説明したりするのが向いているのかなと感じた。逆に、評論家とか作家っぽい文章は書けないのかもな。

「好き!」を伝え合える、この世界が好き

専門分野をつくるべきと言われるライター界で、オタクは強い。周りに変人と言われるくらいがいい。私は興味分野が広くて、専門分野といえるものをまだ持っていない。だからそういう"変人さ"のある人を羨ましく思う。

でも、好きなものはいっぱいあって、これからも世の中に私の「好き!」をたくさん伝えていきたいと思う。そんなの自己満足だし、仕事だとそうはいかないこともあるけれど、noteやSNSはそういう場所だから。

誰もが自由に発言し、いろんな感情が行き交うこの世界が私は好きです。



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