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自分の二面性

わたしが誰かを知っている人には、想像つかないかもしれない話。


仕事場では、だいたいいつも明るくて前向きで、段取りがよくて、テキパキしている方だと思う。

立場上、決断しないといけないことも多いし、悩みなんかを相談されることも日常茶飯事。

だからこそ、明るく、前向きに、テキパキしていた方がよいような気がして、もうここ3年くらいはその「設定」のスイッチが自動的に入るようになっている気がしている。

#これはこれでいい

#自分で勝手に作っている設定に不満はない


でも、時々、とてつもなく辛くなる。

何かをきっかけに、疲労や無理がどっと押し寄せ、朝起きられなくなる。

いつもなら自動制御されている、仕事用スイッチが手動でも入らなくなる。

こんなんじゃだめだと思いながら、どうしようもない自分と向き合わなくてはならない時間がやってくる。

葛藤?という言葉が合っているのかよくわからないけど、自分の中での戦いが起きる。

で、仕事用人格が勝てば仕事に行けるし、負ければ辛いまま仕事にいく。

#結局行くのだけど


負けパターンが続くと、仕事がうまくいかない。

またそれに落ち込む、というか切ない気持ちになる。

ずっとこんな感じで仕事しないといけないのかとおもうと、逃げ出したくなることもしばしば。

でも、明日は毎日やってきて、明日も明後日も仕事しなければならない。


そういえば、過去におんなじような感覚を持ったことがある。

数年前に、当時付き合っていた人と別れたときだ。

自分はこんなにさみしくて、切なくて、やるせないのに、世の中はいつもと一緒だと絶望した。

#そりゃそうだ 、世の中が合ってる


誰か一人のために、世の中がいちいち落ち込んだり、絶望したりしていては、世の中が大変だ。

でも、そんな当たり前のことに、数年前に気付いた。


ということは、昨日振られたばかりで落ち込んでいる人が、朝まで体調が悪かった人が、いま自分の近くにいるかもしれないということを念頭において生きることがどれだけ大事かということだ。

みんながみんな、あけっぴろげに自分を晒せるわけではない。

だいたいの人は、自分が弱いところや弱っているところを見せないし、見せたくない。


毎日毎日、関わる人全員のコンディションを確認しながらコミュニケーションをとるのは簡単ではないけれど、

いま自分が見ているその人が、その人の全てではないこと

を、ちゃんと分かっていないといけないなあと、改めて感じた。

わたしはいつも誰かに優しくできているだろうか。



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