資本主義社会と努力礼賛について
奇跡の復活を果たしたスポーツ選手。
「努力は必ず報われる」とのこと。
素晴らしいことだ。あまりに素晴らしい。
そしてきれいだ。何かはわからないけれどもきれいだ。
私たちは生きる時間が長くなるにつれてたくさんの壁にぶつかりたくさん諦めてきた。
そんな中「努力は必ず報われる」という言葉に違和感を覚えてしまった。
私はそのスポーツ選手を批判するわけでもない。
なんだったら応援もしている。
少し直すと「適切な方法で適切な努力をすると報われる可能性が高くなる」くらいだったら納得するのだが、
「努力は報われる」
と言い切られると言葉足らずだなと感じる。私の中では齟齬が生まれた。
一生懸命工事現場で仕事をしても資産家が投資で稼ぐ金額の方が大きいように適切な方法で努力をしていかないと努力は報われない。
知らないけれども農業分野で1位になるよりもIT分野で100位の方がたぶん稼げる。
市場にも規模の経済が働き、中学生くらいでもばんばん稼げるフィールドが広がっている。
企業の寿命が20年と言われている時代だ。
努力する場所を変えてみてもいいのではないだろうか。何事も。
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