求めない。与える。それが愛?


求め合うのが「恋」。与え合うのが「愛」。
相手に何かを望むのは「恋」。何も望まないのが「愛」。

『あの世に聞いた、この世の仕組み』雲 黒斎

どこかで聞いたような言葉だなと思う。
この本でこの言葉を見てから、愛ってなんだろうと考えてきた。
答えは出ていない。

私のもっているどの関係が愛なのだろう。
どれが愛ではないのだろう。

私は恋愛感情はもっている。
あれが恋なのだろうをもっている。
あなたの恋と一緒のものか確かめる術はないけれど
私にとっての恋はあれだ。

その人がいると、ときめく。
その人がいると、その時間が特別なものになる。
その人がいると、その人ばかりを見てしまう。

その人と友人以上になりたいとは思わない。
関わっている場で話せたなら、それでいい。
この関係をどこかにもっていこうとはしない。
それぐらいの距離感がいい。

こちらは勝手にときめいたり
勝手に相手の恋を知って悲しくなったりする。
(自分との関係を作ろうとは思わないのに、相手のそういう関係に悲しくなるのはどういうことなんだろう。)
自分の心の中だけで起きる出来事。

私の「恋」。

与え合うのが「愛」。

私は愛を与えられてきたのだろうか。
愛を与えてきたのだろうか。
愛を与えているのだろうか。
どれが愛だろう。

求めない 与える と「花」

求めない。与える。
と聞いたとき、最初に思ったのは花の水やりだ。
花に水を与えるとき、私たちは何かを求めているのだろうか。
綺麗な花が咲くこと。
成長すること。
求めてはいるなと思う。

でも、花は人の期待に応えて咲くわけではない。
求められているから咲くわけではない。
ただ花は咲く。
そして花はその存在をもって、人間に何かを与えたりする。

花は与えようとして与えるわけではない。
人間が何かを勝手に受け取るだけだ。

花は人間に求めもしないし、与えもしない。
ただ花が咲く。

人間は花を愛しているだろうか。

愛はスキルか

「愛」は身につけられるものだろうか。
「愛」はスキルだろうか。
自分が愛することができるか、生まれた時に決まっているなら
愛をもたない人は愛をもつことはできない。

「愛」がスキルであるならば
身につけるには順序があって、方法がある。
コツがある。

愛にコツがあると言われると
神聖な愛が穢れたように感じる。

でも、先天的に決まっているよりはずっといい。
愛を身につける方法を探してみよう。

自分を愛す

自分を愛することができているだろうか。
自分に何を求めているか。
自分に何を与えているか。

自分に与えているものを思い出せるだろうか。

自分に否定的な言葉を与えていないだろうか。
私には思い当たる節がある。
あなたにはないだろうか。

何か一つ自分に与えてみよう。
何か一つ誰かに与えてみよう。

そこから愛をはじめよう。


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