今年の春、夫が亡くなりました。 その時私は32歳、2人目妊娠中、娘は1歳4ヶ月。 桜がもうすぐ終わるかな…という頃 「週末晴れたら花見しよ!」って言ってたのに 少しずつ散っていって お葬式とかいろいろ終わった時には葉桜になっていた 私の中で桜のイメージは 寂しいものになってしまったような気がします。 突然いなくなって、帰ってこない夫。 あの日の朝、私は頭が痛くてギリギリまで寝てた。 あ、もう夫の出勤する時間だと気づいて、 でも頭痛いしLINEだけして寝てようかなどうしよ
近所のお散歩コースに栗が落ちている道がある。 通ると必ず1個だけ、まん丸の大きな栗を見つけることができる。 毎回1個だけ、拾って帰る。 下の子がそれはそれは楽しみにして、 「栗食べたい」と。 茹でている間も「栗まだ?」 タイマーをかけて「ピピってなったらね」と言うと遊びに戻っていく。 しばらくして、ピピっと鳴ると トテトテ歩いてキッチンにやってくる。 たった1個の栗をこんなに楽しみにして 美味しそうに食べてる息子を見てると もっとたくさん栗拾ってやる!!と思い立ってしま
息子が2歳になりました 週末にトミカのプラレールをプレゼントしました。 ご馳走に関しては、昔の私なら張り切っていろいろ計画してたと思うんですが、 「どうせ覚えてないだろうしな〜」と思ってしまい全く何もやる気がなかったのですが、 子どもたちのお昼寝中に「やっぱり!」と奮い立ち 好きそうなものを作って無事お祝いしました。 娘とは性格が正反対で、不思議に思うことがたくさん。 好き嫌いも正反対で、おかずはお肉系は娘、野菜系は息子、と担当が決まっているかのようで 二人の中で利害が
グリーフの絵本って たくさんあるんだなと 子育てをしていて気づいた。 とても有名なグリーフ絵本のひとつ 『わすれられない おくりもの』 たくさんのことを知っていて 仲間から慕われているアナグマ 歳をとって自分がもう長くないということも知っている 旅立っていく者の目線と、 アナグマからたくさんのおくりものをもらってきた仲間たちの遺される者の目線 子供の頃はこの本が なんとなく暗くてなんとなく苦手だった。 今読んでみると暖かい気持ちになれる本だったんだなと気づけた。 私は
前の投稿からかなり時間が経ってしまった。 少し経ったくらいの頃に「そろそろ書くか」と思っていたが、 なんとなく、本当になんとなく後回しにしていたのが、気づけばこんなにも時間が経ってしまい、 経過した時間の分だけ大それたことを書かなきゃいけないんじゃないかと思うようになり、 誰も求めてないのにプレッシャーだけが募っていき、今日に至る。 今日までにいろいろな変化が起こり、 生活がガラリガラリと変わった。 仕事を辞め、 1人で子供2人を見るという無謀な挑戦を辞め、 大学上京以来
娘の髪の毛を切りました。 前髪はちょこちょこ切っていましたが、 後ろの髪は1度も切ったことがなく、 胸の下くらいまで伸びていました。 ある日、 「〇〇くんと〇〇くんは髪の毛くくってないよ」 と保育園の男の子の名前を挙げて、 だから自分もくくりたくないと訴えてきました。 また夜寝る時、私にぴっったりくっついて寝るので うっかり娘の髪の毛を踏んでしまって 「いたいー!」と夜中に叫ばせてしまうこともあり、 もう思い切って切るか!と 勢いで切ってみました。 この娘の髪の毛を
8月といえば イベントがたくさんです。 今月は息子1歳のバースデーから始まりました。 去年の今頃はあの陣痛に耐えてた時間か…と、 息子1歳の感慨深さより勝ってしまうほどにつらかった臨月&陣痛。 この1年を振り返ると、 時間が経ったなぁと強く思う年でした。 生まれてきた子供を見て、 もう後には引き返せないような この子たちをなんとしても育てなければならないという責任感とか、 でも毎日毎日がただ大変なだけで 自分の選択が正しかったのか考えては 後悔しないように生きるだけ。
うちには夫の仏壇はない。 最初は今のアパートに引っ越してきて、 子供が触るだろうし、 子供の手の届かないところなんて狭いアパートでは難しいし、 そもそも意味あるのかなと思って置かなかった。 霊とか占いとかスピリチュアルなこととか 大好きなくせに こういうのはなんとなく自分の思想には無いものだった。 ずっとどうしようかと思っていたが、 葬儀の時にもらった仏壇用の写真(遺影)も 箱に入ってしまってあるのをうっかり開けてしまい動悸がしてしまったことがある。 そんな状態だとや
毎日暑くて休みの日も家にこもってばかり これから夏休みの時期になり、 どこに出かけた、何をした、という投稿を見るのが嫌で SNSは見れない日があったりする 夫が生きてたらどこか出かけたりしたかなと 考えてしまうからだ。 でも考えると、夫は出不精だった。 たぶんこの暑さなら結局どこも出かけなかったかもしれない。 「見れない」で言うとニュースも見れなくなっている。 悲しい事件や辛い事故など そうした情報が入ってくると頭がぼーっとしてしまうことがある。 なので休みの日はひ
先日出勤すると、まだ来てないスタッフがいることに気づいた。 お休みかな?と気にしていると、 別のスタッフが 「あの人、連絡がつかないらしいよ!」 と教えてくれた。 その瞬間、あの日、夫にいくら電話をかけてもLINEを送っても、連絡がつかないことを思い出してしまった。 手が震え始めて、まったく仕事にならなかった。 でも頭は冷静で、 「これじゃ仕事進まないなぁ〜 聞いてみるしか落ち着く方法ないよな」 と考えていた。 上司に事情を聞こうと、勇気を出して聞いてみた。 す
本格的に暑くなる前に… と思い立って近くの海に遊びに。 上の子は 「やったー!うみだー!」と喜んで お気に入りの服を着ると言ったり、 海でシャボン玉するから持ってくと言ったり。 着いてからも 「おおーきいねぇ!」と大はしゃぎだったが、 波打ち際まで歩いていくと、 急に静かになり、立ち尽くして嫌そうな顔。 どうしたの?と聞くと、 「こわい…」 波が行ったり来たりするのが怖かったみたいで 着いて2分もせず「かえりたい…」。 え、もう帰るの?もう少し見ようよ と言うと
保育園に提出する書類の中に 家族構成を書くものがあった。 上の子が入園する時は 夫はまだ生きていたので、 もちろん緊急連絡先も私と夫の名前を書いた。 慣らし保育中に夫が亡くなり、 何かあった時の緊急連絡先を 私以外にももう1人分提出しないといけないので その家族構成表を書き換えるために 保育園の職員室に伺った。 淡々と変更点を書き換えよう、 書き終えたらさっと帰ろう、と思っていたが 「父」の欄の夫の名前を見て、 どうしようかと悩んだ。 横線を引いて消すしかないんだけど
5月に入り仕事復帰しましたが、 まともに1週間働けてない…。 5月直前に下の子の突発性発疹で 慣らし保育(私の1人時間)が潰れ、 ゴールデンウィーク終わりに 上の子の発熱、 治ったと思ったら私と上の子の同時発熱。 大黒柱として働かねばならないのに なにこれ… 死別シングルはまともに働けないのかよ… と誰にでもなく嘆いている。 元々フルタイムで働いていたのに 復帰したらこんな働き方で、 みんなから何て思われるかなとかも考えていた。 すると職場の方が、 「家のことが仕事
夫と出会ったのは定かではないが 多分私が24~5で、夫が27~8の時。 同じ職場だったが、その時はあまり印象がなくて 何年後かに私の異動で一緒に仕事をする機会が増えた。 真面目で仕事以外の話はしない、 あまり人に心を開いていないような感じだった。 会社の飲み会にも基本来なかったが、 たまに現れた時に「珍しいですね」と言うと 「付き合い悪いって言われたんで。」と一言。 え、なにこの人…こわ。 と強烈な印象を植え付けてきた。 一緒に仕事をするようになってだんだんと打ち解け
先日、夫の命日を迎えました。 夫が亡くなって1年が経ちました。 この日を迎えるのに 2ヶ月前くらいから命日反応があり 少しずつ冬から春に、暖かくなっていくたびに 気持ちが落ち込んでいました。 この1年をどう言い表したらいいのか 振り返ったところでうまくはまる言葉もなく、 夫はいないのに日常は続いていて なんで私はここにいるんだろうと 急に自分を客観的にみていることが多かったです(メタ認知と言うらしいです) 意外にも命日当日はあっさりと過ごしました。 というより何も考えず
下の子も今月から慣らし保育に行き始めました。 まだ8ヶ月弱なので 人見知りもなく訳もわかってなさそうで、 大人しく引き渡されていました。 上の子は7ヶ月くらいから人見知りはもちろんパパ見知りもしてて、私以外は絶対ダメでしたが… 姉弟でもこうも性格が違うのかと不思議です。 ということで久々の1人時間。 最初は1時間からスタートなので 保育園近くのカフェでモーニングを。 滞在時間30分くらい。 それでも1人で外食?できたことが 結構嬉しい。 生まれたての頃とか、 夜まとまっ