話さなくてもわかってくれている人のいる不思議さー沈黙の中でもわかられていること。
引用させていただいていた記事の内容を読み間違えたかな?と不安になり、再度読み返してみました。大丈夫。私なりに読ませていただいていました。
話さない間に、沈黙している間にも対話をしている人が私のまわりにもいらっしゃるということに気付きました。
それは稀有な存在であり、プライベートでは何ら関係をもつことはあり得ない方なのですが、私がお渡ししたわずかな情報から、ご自分が思われる最適解をご提示されるのがそれは初めてお目に掛かったときから見事でした。
なんだか柔らかい雰囲気で、相手に警戒されない感じ。でも、なんとも言えない頭の良さを感じました。私は、変な話ですが、なんとなくご出身の学校まで当ててしまい(選択肢的に当てるのは容易と言えば容易でしたが。)、そちらの学校に対するイメージを高めてしまいました。教え子がたくさん進んだ学校であり、学部でした。
親子ほど年齢の離れたその方は、まあ、素晴らしい仕事をされます。いつ眠っているのだろう?
絶対に期限通りには仕上がっては来ないだろうと推測していた実務的なお願いも、しっかり仕上げていただいていました。
頭だけでは乗り切らない、なんとも言えない心遣い。
その仕事振りから、私は、懇到切至という言葉に出会ったほどです。用意周到とも違う、なんて言うんだろう?とその様を表す言葉を探していたのです。
私は、素晴らしい仕事が好きです。
あー、プロだな、と思わされる仕事を見ると心の底から感嘆します。
私は、至らないところばかりだけれど、高校教諭であれ、そして専業主婦であれ、プロでありたかった面があります。
今は塾を経営していますが、ときに、
先生、一人ひとりにそんなに真剣だと疲れるだろうなあ。
と保護者に指摘されたことがありますが、何度そうならないように、と思っても、そうでなければ済まないみたいです。人を見つめてしまいます。
やり過ぎかもしれない。
かつて、一人の子に気を取られている間、他の子はお留守になってるんだよ!
と叱られたことがありました。
一人ひとりと向き合いたくて、私は教室を開校したのかもしれません。
そんな仕事の仕方をしてきて、悩んだことは数知れず。
伝えたはずのことが生徒に伝わってなくて、情けない思いをしたことも数知れず。最近もそれでぷっ倒れた次第です。
そんな私が見ていても、大丈夫ですか?と言いたくなるような、一人ひとりのクライアントに向き合う姿には、いつも呆れるばかりです。
もし、それが我が子の仕事振りなら、
あなた、身体壊すからやめなさい!
とでも言ってしまいそうです。
でも、一個人としては、ああ、こんな人もおられたのだなあ、とホッとしたりもしています。
そうそうお話をしているわけでもありませんが、いつもそんなことまで考えてくださっていたのだなあ、と呆れるほど感嘆しています。
最近思います。
若い頃にした、一生懸命だったことって、身体に残っているなあ、ということ。子育てで忙しく、なかなか完璧にはできない自分と戦っていました。
仕事もそうですが、何せやることが多い。
その時間をしっかり取るなり、なんなら省くなりしなければもちません。が、一方、なんともならない時間のやりくりの中で、なんとかしようともがいてきたものは、それかりに自分の中に残っているものです。
そんな生き方をどこかで肯定されるような、話すことなくてもなんとなく繋がっている人。
互いにそんなことは話さないのだけれど、私にとってはとんでもなくありがたい存在です。
そして話していないことでもきちんてこちらの意図をつかんでくださって、ちゃんと対応してくださっています。だから、沈黙の間にも対話は成立している。
同じ目的に向かって、ちゃんと対話できているのです。
頭が良いというだけでなく、思いやりもあり、洞察力もあり、本当に賢い方なのでしょう。
さてさて、そんな人を育てられたのは、どんなお母さまなのでしょうね?ちょっと羨ましくなったりもします。
我が子はどんな仕事振りなのかな?と思いつつ、やはり、あんまり無理しないで自分も大事にしてほしいな、というのは、母親ってものです。(笑)
ちょっと勝手な話でした!
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