受け容れるということ
この方の、引用されていた、良寛さんの言葉が、とても気に入ってしまった。「災難に遭うときには遭うのがいい。死ぬときには死ぬのがいい。」
いつのころからだろうか・・・?
明日は、誰とも何にも起こりませんように・・・、と平穏無事を祈り続けた自分が、いつの間にか、毎日起こることを楽しむことができるようになっている。受け入れる、ということが少しはできるようになったのか・・・?
今、車を走らせながら、つくづく自分は、正しさ、というものと付き合ってきたのだと感じていた。どうしても人が利害で動くということがわからない。この人と付き合っておいた方が得だから、付き合う、というのもわからない。もしもあるとしたら、こんな素敵な人と付き合えるようになったなんて、少しは自分の人間としてのレベルが上がったかな、とは思っても。もしも、自分のすることが、ひどく人を傷つけることになるなら、自分がしんどい方を選ぶだろう・・・。
私は聖人君子なんかじゃない。
実は打算だってある。
私がいいことしておいたら、自分にとって大切なひとにいいことが回って来るんじゃないかなあ・・・、と思っているのである。大切なひとの代表格は、もちろん子どもたち。もう、自分の手を離れて自立して、どこにでもついていける年齢でもないけど、それでも、自分が悪いことしたら、絶対彼らに悪いことが起こるだろう・・・、程度に神様か何かわからないけど、この世の法則性くらいは信じている。なぜなら、私は、おまけをしてもらうのが得意な、とんでもなく、「神様がついてる」と言われるような人生を送ってきたからである。善い行いの報いがあるなら、悪い行いの報いはもっとあるだろう・・・。
こんな単純明快な生き方をこの年までしてきて、めちゃくちゃシンプルに生きてきて、今更ながら驚くことばかりである。
人って、こんな風に動くんだ!利害のもとには、結構なこともできちゃうんだなあ・・・?
私は子供です。
世の中全然知らない子供です。
いや、あちこち巡ってきたから、結構いろんな経験をしてきたとは思いますが、学びが身に着かない。人間って、いざとなったらいろんなことするんだ、ということは知っていても、一つ一つに驚いてしまう・・・。
ただのアホやん!
かつてメンターが言ってくれた。
あなたみたいに実直に、真面目にコツコツ努力する人は最高やん。まっすぐしてたら、そりゃあぶつかることも多いやろうけど・・・。
今、この言葉を思い出した。
というのも、私は、今、あることを受け容れるのに必死になっているからである。自分をちょっと認めてあげたくて仕方がないのである。
だから、裏切られるときには裏切られておけばいい、信じられなくなったときには信じられなくなっておけばいい、と、自分に言い聞かせているのである。
先日、イチロー選手が、「教えて!イチローせんせい!」の中で話していた。
俺、めっちゃ人に嫌われるの好きなんだよね!ぞくぞくするんだよね!
嫌われるのが嫌いなんじゃないけど、でもね。