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「嫌い」を明確にしたら、見えてきたもの

 この数日、自分の「嫌い」をしっかり捉えることができるように、訓練?している。

 「嫌い」とまではいかなくて、「違和感」くらいでもいい。とりあえず、自分の中での「あれっ!?」をやり過ごさないように、しっかり見つめるようにしている。 

 誰かの、つまりは相手の身になってみるということをやめたわけではない。相手の身になって考える、ということは、むしろ昔から得意だったから、どちらかと言えばそちらに偏りがちである。

 今、嫌なことがある。明確に嫌、というより、おかしいなあ、ということである。どう考えても非常識、ということに対して。その相手は、私の周りでは、とても怖い人、で通っている。そんな人、友達にしたくない、とか、ちょっと普通考えられないよねー、とか。別に私は私に有利になるように話しているつもりもない。友人は、十分に良識があり、私が悪い、と思ったことは言ってくれるし、それに、あんまり私が深刻にならないで済むように宥めてくれる人である。

 その、ちょっと困った人がしていることに対して、ああ、こういうことか!と気付いてしまった。すると、きれいに悪意のない人が誰なのかがわかってくる。

 人間関係の中で、1人、支配的であったり、あるいは、計算のある人がいて、誰がどんな思いしても、かまわない、という人がいたら、その人に関わる人間関係は、おかしくなる。誤解が生まれる。ときには人間関係に亀裂が入る。そして、それをこそ望んでいる人もいる。

 そんなものに振り回されている時間などない。

 それよりも、自分の「嫌い」をしっかり受け止めて、自分が悪かったのか?などと考えず、また、誰かに相談して、私が悪いの?などと考えるより、まずは事実をしっかり認識するためにも、私は私の「嫌い」としばらくがっつりと付き合っていきたいのである。


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櫻井真弓/国語大好き!(&数学)
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