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老い先短いから・・・、と母を唆す私。
最近母に楽しいことを提案するときに必ず、
老い先短いねんから・・・。
と言うようにしている。
効果てきめんである。
お食事や楽しい事、例えばお洋服を選んだり、メガネのフレームを変えたり、その他コンサートや旅行などなど、これがいいなと思ったときにはこのフレーズを使えば母はたいてい乗ってくれた。
今朝も先日選んだお洋服と以前送ってあげたお洋服を勝手に選んでコーディネートして、
どう思う?
と訊いたので褒めてあげると、喜んでいた。
GUで若々しいパンツやトップスを選び、何にでも合いそうな白は多めに買ったので、お出かけするのが楽しくなったようである。
やっぱり女性は華やかで明るい色を着るのがいいと思う。
髪の色を白一緒にして柔らかくウェーブを掛けたらとんでもなく可愛くなった。
一回一回のお食事が、
ああ、これが最後でなくてよかった・・・。
と思わせられる。
それに、ああ、あそこに連れて行っておこう、とかあれを見せておこう、とか思ったところは気付いたときに行くことにしている。
ふと耳にしたおいしいお店。素敵な温泉。可愛いお店。
思えば遠くに嫁いできた私は、里帰りの時にはいつも祖父母の家に行って、子どもたちを見せるようにしてきた。
殊更に用意をしなくてもいいように連絡をせずに行く。
その方が喜んでくれる。
帰りしなに、玄関の引き戸を閉めるとき、
ああ、ひ孫を見せることができた。これが最後だろうか?
と思ったものだった。
こちらからもせめてもと思って、どこかで知ったおいしいものを送ったりもした。おばあちゃんが送ってくれることもあった。
母と話していて大笑いするとき、きっとおばあちゃんが今頃、
わてもいれてえなあ。ええなああんたら。
って、天国で言ってるだろうな、と思う。
小さいときに住んでいたおばあちゃんの家。
食堂の小さな丸椅子に先に正座したおばあちゃんが、
これ、案外楽やで~。あんたもやってみなあれ。
などといって、母も一緒に正座して、大笑いしてたのを思い出す。
仲良かった様子しか思い出せない。
思えばよくできた姑だった。
母の嫁としての自由度など、およそ地方性では語れないくらいだった。
そこに内孫では初の女の子だった私を入れて、楽しい話をしていた。
おばあちゃんは外孫より内孫を大事にしてくれた。
そういうところはよくわかったところのある姑だったと思う。
祖父にしても祖母にしても致し方なく別居するようになってからも、あれこれ母のことを心配していた。
母が脚や腰が痛いと言えば、
〇ちゃん、痛ないかなあ・・・。人
と常々気に掛けていた。
あんたのお母ちゃんがなんでもする人やさかい、あんたも何でもできると思うわ・・・。
などと、母が洋裁や編み物、お料理などをあれこれ工夫することなどを褒めてくれた。
母がいない場で母のことを気に掛け、そしてあれこれ心遣いをしてくれていた。
思えば人のことを悪く言ったり、相手が嫌な思いをするようなことを言わない家だった。
叔父や叔母たちも。
核家族になり、祖父母のいない家で住み始めて、あれこれ知ったこともある。
どうしてこうも嫌なことを言う人が多いのか?と思ったときに、単純に実家の祖父母や叔父叔母がそういうことを言う人でなかったのだな。だから誰もそういうことは言わないものだと思い込んでいたのだな、と気付いてびっくりしたことがある。
人ができることはちゃんと認める人たちだった。
いい祖父母だったなと思う。
そんなおじいちゃんおばあちゃんが大事にしていた嫁の母。
父も含めて、私に望むことは母が楽しく暮らすことだと思う。
みんなから預かっているような気持ちで、毎日母が楽しくなるように工夫したいと思っている。
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