目の前にある課題と感情論
だいたい、私が私が、というタイプが好きではない。
大きな目標があって、そこにみんなで向かっていかなければならない時―まあ言ってしまえば職業的な目標や到達点、使命感に至るまで、一致団結して事に当たらなければならないことってたくさんある。
それは老親の介護かもしれないし、子育てかもしれないし、同じ会社にいるということかもしれない。
それぞれに大切なものは違う。
個人的に大切なものは違う。
それはそうなんだけれど、基本的に人は一人で生きているのではないのだから、思い切り大雑把につかんでしまえば、結局、周りにどれだけ貢献したかが、その人の幸福度合いに影響するものではないかと思っている。
例えば私が育てていただいたと思っている学校現場においてでも、誰か一人の、そう先生方の個人的感情ーつまりはどちらが先に昇進したか?ということよりも、どれだけ生徒に、あるいは学校に貢献したかということで自分の幸福を測ってみてはいかがだろうか?
周りの考え方などさておき、勝手に自己貢献感を大事にしてみる。
よく巷では、
あの人、どこどこの学校で、校長先生までいきはった人やて・・・。
私は校長先生どころか、担任をもつ前に寿退社してしまった人間なので、そんなこと言われようもないが、もしも、そういう立場になって、周りにそういう言われ方をしたら、きっとショックだろうと思う。
職業人としてのあり方だけで語られるのなんてまっぴらごめんだし、それより子どもの頃から親戚にそう扱われたように、
親しみやすい人
でいたい。その場その場に馴染んだ在り方で、どこかでの属性をあまり違う場で影響させたくはない。
ただ、もしかしたら、どこかで学んだことが、どこかの場で役立つことができるのであれば、それは仕方なく使うことだろう。
かつて、夫が単身赴任をしてたウィークデイの夜に、少年野球の会合があった。
うちの息子は新五年生。新六年生だけでもいいのに、五年生も加えた会合だった。なぜかよくわからないけれど、紛糾していた。息子はまだ下級生だし、別に発言したくもなかったが、あまりに紛糾していたので、まあ、仕方なく発言した。
で、まとまってしまった。というか方向性が決まったようだった。中身の詳細は覚えていないが、そういうことだったと思う。
会議がうまく進みだしたのに、その後、同学年のお父さんや上級生のお父さんたちが、私に、厳しく、ならいい。めちゃくちゃ偉そうに上から目線で、
それ、○○したらいい。
○○だ!
それ○○やっとけよ!
みたいにいつもはおとなしい人が言い出した。
なんや、これ?まあね、少年野球。男の世界ってやつか・・・。
風当たり、きっつ!という状態だった。
私が発言して腹立てるなら、自分たちが言えば?
発言することもできないで、それなりに方向性を決める発言をした私に偉そうに言うわけ?
このときは、その後の息子の立場を思ってではなく発言したが、その年の下級生のチームのキャプテンだったから、それはそれで、別に筋が通らなくもない。というよりみんなでいい意見を言い合うというのが良いと思う。
仲の良いご夫妻がおられて、奥さんから、
うちのが、やっぱり下級生にも会議出てもらって良かった、って言ってたよ!話がまとまったし・・・。
ただね、(なぜかぐふっと笑って間があり、)、みんな、
あの人、いつも明るい楽しいお母さんだと思ってたけど、やっぱりどっかで国語教えてたいうのは、ほんまやってんなあ・・・。
って笑ってたんだよ!
と言われた。
おもしろかった。
別のお母さんからは、
なんで五年の親に意見言わせた!?
って言ってた。
とか嫌なことを言われた。そのお母さんは、部長をしながら私にあれこれアドバイスをしてもらいたがり、後で結局うまく使われていたのだなあと言うことが分かった。
あまり巻き込まれることもなく、いつもマイペースだったけど、私はいつも、部員たちのことを考え、チームが楽しくなるようにと考えていた。
どうして、そこに、男だとか女だとか、上級生だとか下級生だとかを持ち込むのだろうか?
目標は一つ。
野球を通して、子どもたちを育てること。
それだけだ。だれがうまい、そうでないも私は別にどうでもよかった。
いや私たち両親が、文化部出身で、そんなスポーツ選手などというものが遠い世界のもので(私の元いた職場は、卒業生だけでプロ野球球団一つ作れると言われていたが、どうも疫病神らしく、私が在籍していた間には甲子園出場はならなかった。)、息子が足が速く、野球チームに入れていただいて、楽しく過ごさせていただいて、仲間がいるということだけで、それはもうありがたかった。
だから、一瞬、夫の出席できない会議で、仕方なく私が役立ちそうだったから発言しただけである。
むしろ勇気を褒めてほしい。
それなのに、やれ女だ男だ、うるさい。
面倒くさい。
そういうことうだうだいう奴大っ嫌い。
そうだった、そうだった。
その中の仲良くしている知的なお母さんにも、言われた。
うちのがお宅の旦那さんが出席されずに奥さん来られてた、って言ってたの。
私は、その会合の日に、その旦那さんから、
○○すればいいんだ!
と偉そうに言われていたので、おもしろくないんだなと思っていたから、
そうか、牽制か・・・。女は黙ってろって?
と思って、聞いていた。
つまらん。めちゃくちゃつまらん。
まあね。世の中、その性質上か、男性を立てておいた方がうまく回ることくらいわかっている。
義父のお葬式の時も、義理の義理の伯母に当たる人に言われた。
まゆみさん、○○ちゃんから言ってもらったら、座ってもらえるかもしれんわ。男の人から言ってもらったら・・・。
つまりは本家のお兄さんがもうちょっと上座に座られないので、
あちらにどうぞ。
とお願いしたときのことだった。
お兄さんは、
私、ここで仕事してなだめながで・・・。
ということだった。
はい・・・。
とは言っていたが、正直、心の中で、
あんたとおんなじ女でくくらんといてくれる?
と思っていた。
どう考えても、日ごろ偉そうに嫌なことばっかり言っている人たち、理不尽な人たちが、ちゃんとしかるべき動きも判断もできず、役に立っていなかった。
私は口だけの人が大っ嫌い。
手が出せないなら、口も出すな!
こういうのを、自分の立場を守って偉そうにしているだけの人間と言うのであろう。
目上を立てるくらいの気持ちはある。
でも、愛情があって、うちの人間だと認めた感じで注意するのと、抑えるために注意するのとでは違う。
謝れ!ちゃんと謝れ!
と思っている。
おかしいけれど、他にたくさんあることなのに、そのときの、
ばかもん!人間じゃない!
という病院で怒鳴られたおじさんの言葉と、お葬式の日の朝、前日親戚の方々がおいしいおいしいと食べてくださったお料理のうちの一つであった、金時豆の煮ものを、
お父さん、これはいらないって・・・。でも、柔らかくは煮えてるわねえ・・・。
と言った、気の小さい言葉と(豆の煮方はそれぞれの家に特徴があり、お義母さんの豆は固いが、私はふっくらと煮るのが好きである。)、その三つめの、
男の人から言ってもらったらまた違うから・・・。
という言葉だけが、どうも許せない。
あんたらに何がわかってるって言うねん。
いったい何してくれたって言うねん。
そのときに、そのご夫妻が帰られた後、他の伯母さま方が、
あんただけが動くことない。私らもしてあげるから・・・。
と言って、台所で助けてくださったことが忘れられない。
遠くから来た嫁、それも姪と同じ年の娘が頑張っているのに、その土地の在り方で、なんとか舅を送り出そうとしているのに、その朝に、しょうもない意地悪をするその心の小ささ、器の小ささを思うと、身の毛がよだつ。
人間って怖い。
そのときは、とにかくその場にいる全員で、舅を無事送り出すことが、その場にいる全員の役割であり使命であり、課題である。
それを個々の感情論で、誰かを効率よく働かせないようにする人間が、私は仕事のできる人間だとは思わない。
しょうもない。
誰の顔がつぶれるの、とか言っている場合ではない。
ただもう、なんとかみんなで送り出さなければならないのである。
それなのに、豆?(笑)
日ごろの生き方が超絶顕れた一件であった。笑笑