こころ惑わされるので、「般若心経」を学んでみようと思った日。
ここのところ、子どもたちに絡み、どうも心揺れる日々が続いている。
親御さんの姿から、
そんなことしてたら、子どもたちの気持ちがシャッキリしなくなるじゃん!
と思ってみたり、このままだと合格は無理だなあと思ってみたり、あるいはあまりの姿に講師としての誇りなどめちゃくちゃに傷つけられたりと不快な思いをすることが多かった。
昨夜も、あるご連絡があり、
もういやーだ!
と思うことがあった。
なんか勘違いしとるやろ?
でも、そういうことって説明してわかる人ならしないだろうということもわかっている。
こちらが筋を通せば逆上するに決まっている。
だからここは受け流したいところ。
それに間違ったことをすることに乗る気持ちはないので、断固思うようにする気はない。
勝手なことをして合格するほど大学受験は甘くない。
まあ、高校受験ならだましだまし行けたとしても・・・。
だが、これで教師としての仕事はできてる?
と悩むこともある。
まるで私に、
ええ格好ばっかりせんと、ちゃんと言えよ!
と言われているようなことばかりが続く。
何かを教わっているようである。
これは新卒のときの勤め先であったことである。
あれこれみんな大変なんだからと自分で何とかしようとしていたことについて、会議で発言したら、あっという間にすんなり通ってしまったことなど。
でも、それは発言した対象に常識も教養もあり、自分の言動を振り返る力がある場合のみであろう。
相手に良識がない場合、こちらも良識で突っ走ることはできない。
さてさて、そろそろ遊ぶ時期が来ているような・・・?
あっちがグレーでやりたいことを通すというなら、私ものらりくらりと交わして思うようにはさせない。
私には私なりの使命がある。
教育の世界で間違ったことをさせておくわけにはいかない。
かつて多勢に無勢で相当に困らされた場があった。
こういうことばかり書くとどれほど大変なことばかりだったんですか?と言われそうであるが、たいてい話題にするのは、心に残っていることばかりなので、当然良くないことのほうが話題になる。
たくさん思いを掛けていただいて、楽しい思いをしてきたことのほうが当然に多い。
でも、話題としては良くないことのほうが当然面白い。
その場というのは、当然に夫が上手に絡んでくれたらそういう思いをするようなところではなかったのであるが、こういうとき、かつての先輩は全く役に立たない。というか何かをしてやろうという気が全くない。思えば大学時代、私だけではなく、誰かがやりやすいようにと慮って何かをしておいてやるというタイプの人ではなく、結構自分に厳しい分(自分ではそう思っていると思われる。)、人を甘やかすこともしない。
だから、自分は仕事でしっかりやるから、家のことは自分でやって・・・。
という感じだった。とはいえ、夫の会社は当然に家庭生活にまでその影響が強いところだったので、違う地方から来て、社内結婚でもなく、経歴も全く違うところから来た私が分が悪いのは当然だった。その文化が私の職場とは全然違った。
でも、そこが私の悪い癖。(笑)
そのうち、
ここでこのメンツでお茶会してみたらどうなる?
ここで、私が○○さんと仲良くしゃべってみたらどうなる?
と遊び心満載でやってみた。
別に何かを実際的にやる気もない。
例えば新たな派閥を作るとか、あるいは誰かとグループを作るとか、誰かだけをはみごにするとか。(笑)
だいたいそういう面倒くさいことが苦手なタイプである。
面倒。
でも、面白がってやってみたくなったのである。
そうそう今回も正攻法ではなくて遊んでみよう。
昨日もおかしなことを言う生徒がいた。
私がある学年で、これでは勉強時間が足りないな、でも、結構なコマ数を受講しておられて、いくら何でもそれ以上というのは個別では無理だろうな。
だから、学年全体でみんなにとって良い指導はできないものだろうか?
と考えていた。
そしたら、ある小さい子が、
そこに僕は入ってるんですか?
と聞き始めた。
というか、夏期講習始まってるんですか?
と言う。
どうもあれこれあれこれはっきりしないことを言う。
つまりは、夏期講習は受けないけれど、何かあるんだったら参加したい。
家では集中できない。だから塾に来たい。
自分が家でやるって言いました。
とか、親が家でやれって言った、だとか。
これでは頭がおかしくなってしまうだろう。
そんなややこしいことを言われても私にはわからない。
私に言うなら、夏期講習を受講するかそうでないか?ということだけである。
お家のあれこれをもってこられても困る。
これでは親が先生にあれこれ言って何とかしてもらえ!と言っているようなものである。
こういうの、子どものために良くないことだと思う。
子どもの頭が雑然としてしまう。
地方性の問題だろうか?
シャッキリしない。
何か思うようにしたいことがあったとしてもはっきりしていないからこちらも動きようがない。
こういうとき思い出す話がある。
世の中では当然のことかもしれない。
転勤先から帰ってきて、夫の地元に戻ってきて別居することになったとき、住むことになるマンションにはガスコンロがなかった。
義父が、取引先のガス屋さんに、ガスコンロを入れてくれるようにと頼んでくれた。その時に、義父が、
金は取らんやろけど・・・。
と言った。
当時夫はちょっと昇進で帰ってきていたし、そちらも取引先であることくらいはわかっていた。また、義父は当然取引先の偉いさん?ということになるだろう。
でも、こういうの良くないと思っていた。
なんで相手のちゃんと値段のついた商品を入れてもらうのに、金額をお支払いしなくていいのだろうか?
そして当日、義母もいてくれたけれど、その業者さんが家にガスコンロを入れて説明をしてくださった。
いつものようにいい人ぶってお義母さんは、いかにもおとなしそうに、
はいー、はいー。
と言っているが、どうも業者さんは相手にしていない。私相手に、
奥さん、ここはこうやって、ああやって・・・。
と説明してくださっていた。
どうも一番いいガスコンロで、ご飯も炊けるというものだった。そうそう家電に愛情があるわけでもない私に、ありがたいのかそうでないのかもわからないものだった。でもしばらくは面白がってガスでご飯を炊いていた。
その日の夕方、まだ誰も知り合いのないときなのに、ピンポーンと玄関チャイムが鳴った。
そしたら、いきなり目の前に座ってご飯を炊く鍋の蓋を勢い込んで開けておられるお昼に来られた業者さんがおられた。
奥さん、さっき私気付いたんやけど、今頃言うのはやらしい話なんやけど、蓋開けたら、ここにちょっと禿げたところがあって・・・。だから私、これ今持ってきたんやけど。
ごめんなさいねえ・・・。
と恐縮しておられた。
だから家電に関心のない私は、
そんなん、ご飯炊けるのは一緒なんだから別によかったのに・・・。
と言いながら目を丸くしていた。
こちらこそ恐縮していた。
よく考えてみた。
おそらくお義父さんにガスコンロを依頼されて、いかにも入れといて・・・、という感じで、相手はお金を取れる立場でもないし、そういうニュアンスを感じていたのだろう。
だから少々の不良品を持って行ってもいいと思ったけれど、後でやっぱり良くないなとでも思ったのではないだろうか?
でなければ、気付かないか、気付いた時にすぐにおっしゃったことだろう。第一持ってくる前に、確認もしていないだろうか?
確かその場で箱から出されたわけではなかったと思う。
こういうの、相手は嫌だろうなと思った。
おそらくはモノやお金というよりも、いわゆるちょっとした権力にものを言わせて、
やっといて・・・。
というニュアンス。
そういうときは、取引先に利益があるように、
ちゃんとお金取ってや・・・。
と言うべきである。
モノややお金が惜しいというよりも、もちろんそれも大事だけれど、モノやお金を介して粗末にされた思いがいつまでも残ることだろう。
いくら取引先でも信頼関係がなければ長くは続かない。
それって私たちの業界でもそうだと思う。
お願いをする。あるいは事情を話す。
そういう過程も経ないで、思うようにしたいというニュアンス。
それをされた側は傷む。
私の場合、商品ではないが、自分の知的財産や、あちこちで身に着けてきたものであるだけに、かなり傷む。
もちろん通ってきているということは、当然価値があると思って通ってきているのであろう。
でも、おかしなことをしたら信頼関係がなくなる。
一生懸命になろうと思っても、それ以上のものにはならない。
お金がないのか、それ以外の理由なのかはわからない。
お金の価値はニュートラルである。
お金は何倍もの価値にもなれば、使い方によっては、その額面以下の価値にしかならないこともある。
こと教育に関しては、できるだけ公明正大であった方がよい。
とはいえ、今私が、何か損をするようなことをしているかと言われればその事実はない。ただ、間隙を縫って、あれこれしたそうな気配がカナンのである。
そのがめつさ、汚さを見て辛くなる。
小さい子にそういうことを言わせるような教育をしているのか・・・、としんどくなる。
どういうご家庭だろうか?
子どもの心はどうなるのだろうか?
ついつい大人である私が胸を痛めてしまう。
かといって、思い通りにしてあげたとしたら、もっと間違えさせることになるので、それもできない。
やらないとやるまで言ってるだろうな、とも思っている。
だから、昨日、何かを調べていた折に、NHKの「100分de名著」の中の「般若心経」に目が行って、思わず読もうと思ってしまった。
一か月ほど前に、お坊様から、
お経がうまいですね・・・。
と褒められたところである。
褒められるようなことではなくて、般若心経の言葉を目で追っていて、思わずその意味に心を寄せてしまい、惹きつけられるように内容がどんなだろう?とのめってしまったのである。
こういうところは子どもである。
だからその意味や背景などが知りたかった。
思わずNHKブックスの、「般若心経」と「ドストエフスキー」と「ハイデッガー」と「下半身ストレッチ」を頼むことにし、送料が無料になり、ついでにブックカバーまでついてくることになった。
このチョイス、自分でも相当におかしい。(笑)
衝動買い的。でも、気持ちをそっちに向けたかった。
人の気持ちのきれいでなさに、というか当然のことを避けて通ろうとして、あれこれ揺らしてくるその思いに、私はやられている。そんな状態で生徒たちを教えてはいけない。
一日に数分でも、哲学なり文学なりの世界に遊ぶ時間がなければやっていられなくなるだろう。
子どもにお金の話をするのはやめてほしい。
それは親御さんの問題で、ご家庭で解決してくる問題である。それに何かあったとしたら、親御さんから教師に言うべきことであって、子どもに言わせるのは絶対に良くない。
少なくとも日本の道徳や倫理観のある社会で、子どもにそういう話をさせるのは良くない。よほどの考えがあり、筋を通して話せるほどの子どもならよいかもしれない。
でもまだ何も固まっていない、そう考えも深くない子どもに、そう、まだまだ子どもなタイプの子どもに、そういうことをさせると心が汚れてしまうと思う。
それを見ている自分も嫌な思いをしているのである。
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