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子育ての時代を懐かしむ自分ー自分を愛しんでいる
新卒で、22歳で高校教諭になった。
当時、教員になるのは、宝くじに当たるくらい倍率が高かったので、運良く採用された、という意識は抜けなかった。
単純に、ある学校が求めていた条件に私がたまたま合った、という位の話だった。
しかも、婚約者が、期限付きのように待っていた。こんな私が採用されてもいいのか?と悩んだけど、周りに許されて、私は教壇に立つことになった。いやいや学校内部の人ではなかったけど。
3年間、必死だった。
今思えば、22歳なんて、ひよっ子もいいところ。だけど、先生と呼ばれたら、先生でなければならない。
限界もわからず、ただただ仕事した。
だから、一通りのことは学ばせていただいた。
あの頃、一生懸命だったことが、後の人生でどれほど役に立ってくれたかしれない。
婚約者がいるのに、非常勤講師や常勤講師でも良かっただろうに、大学まで出してくれた両親のことを思うと、なんとか形にしなければ、申し訳なく、とにかく専任教諭を目指した。辞めてみてから、私の立場なら、なんであんなにがむしゃらに専任教諭にこだわったのか、今なら不思議と言えば言える。
でも、一生懸命に取り組んだことには、それなりの学びがあり、自分の中には大きなものが残る。
もう一つ。
25歳で結婚し、26歳で初めての出産をした。
わりと早めだったと思う。
今の娘の歳には、次の年に幼稚園に上がる娘のママをし、程なく下の子を身篭っていた。
仕事をしていた思い出が、押し寄せてくる瞬間がなかったとは言えないが、周りができないことばかりを言うのをまともに受けて、とにかく頑張っていた。そう言えば、何か気の利いたことをして、褒められた、などという記憶、ほとんどない。
それは、私のようなタイプには打ってつけ。努力する余地、今で言う、伸び代がたくさんある。
どろんこ遊び着はミシンを持たなかったので、3000円を倹約するため、手縫いで縫った。いつの間にか楽しんでいた。
ケーキ一つ作れなかったので、お菓子作りもあれこれ研究。
どろんこ遊びが好きだった娘のお気に入りのプーさんのTシャツがいつも着ることができるよう、白いものは白く、とばかりに洗剤の研究。どれが一番安くて効果的?自転車に娘を乗せて、あちこちのドラッグストアまで走り回った。
誰も何一つ褒めてくれない。口を開けば注意ばかり。
そんな日々を、なんとか暮らしを楽しいものにしようと努力した。
子どもたちは、私のひそかな努力を知らない。
私の仕事への気持ちを知らないし、周りの状況も知らない。彼らに繋がる人たちの悪口も言ったことない。
復帰したときも、ママの自己実現のため、で通されたが、文句は言わなかった。
夫は自己実現する妻に協力的な素晴らしい人、になり、私は出来の悪い母?かな?家事が完璧ではなくなるから。
なんでもよかった。
夫の会社の業績について、子どもに話したってわからないし、子どもたちがそれでしあわせなら別に、だった。
そのことを説明する気などなかった。
けど、もう何年も経って、誰に言うわけでもないのに、今、その当時の自分を、まるでよその若い娘さんを見るように、愛おしく見つめている。
誰にも褒められたことも庇われたこともない。遠くから嫁に来たことを労わられたこともない。
けど、自分の心の中にある温かい想いだけは、私のもの。そのときそのとき、若くて知恵もなかった私が、一生懸命努力するしかなかった、その懸命さと、自分を曲げようとはしなかった努力を褒めてやりたい。
この思い出は、私だけのもの。
誰に褒めてもらえなくても、私だけは、そうっと、心の中で、いっぱいいっぱい褒めてあげよう。
などと、ある人からの言葉で気づいた。けど、その人だって、私からすれば、そんなこと本当に思ってる?と感じるのは、私のせいかなあ?
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